December 1 (Sat.) am. -2-
昨夜とはうってかわって、朝から雲1つない青空が広がっている。
それでも、雪のなごりと泥水で覆われた旧市街地の道に、彼ら以外の人影はない。
「あそこにいるのか」
「うん。あとは同じ部屋に女の子が2人」
「それは、あの時の……?」
「じゃないの」
「ともかく行きましょう。“彼”が……お待ちです」
* * * * *
僕を、裏切るのか?
“トール”――
「――っ!!」
「あ、起きた!」
はっと目を開けるなり、すぐ近くで幼い少女の声が響いた。続いてばたばたと駆けていく足音。彼は痛む身体を無理やり起こした。
なんということのない寝室、のように見えた。ベッドと窓際のワークデスクと、クローゼットが1台ずつ。薄オレンジのカーテンの向こうはずいぶんと明るい。彼は記憶をたどってみたが、ここがどこなのか、なぜここにいるのか、まったくわからなかった。
ともかく覚えていることといえば――ナイフで肩を刺され、3人がかりの反撃にあいつつ、それでもなんとか彼らを撒こうとひたすら走ったあげく、人けのない住宅街に足を踏み入れたこと。
そこからがかなり曖昧だ。途中で強烈な脱力感に襲われ意識を失いかけて。
そんな状態のまま、誰かと何かやりとりをしたような気は、する。
「入りますよー?」
先ほどと同じ声がして、カチャリとドアが開いた。顔をのぞかせたのは2人。もう1人も、さほど年のいっていない少女だった。
「あの、具合……どうですか?」
「肩とかおなかとか、痛くない?」
自分の身に目を落とす。左肩から胸の下まで包帯が巻かれ、脇腹や左手首に湿布が貼ってある。もう1度顔を上げると、クローゼットの側面に黒いコートがかけてあるのが目に入った。
「え、……あ、あの」
何よりも焦燥が先に立ち、彼はベッドを降りた。
とりあえずは体も、左腕も動く。むしるようにコートを取って腕を通しながら、少し開いていた部屋のドアを押す。
「待ってお兄さん、どこ行くの」
後ろから2つの足音がついてくる。と思った矢先に指をつかまれた。
彼は思わず、乱暴にそれを振り払った。
「あ……」
黒髪の幼い少女が傷ついたような顔をした。もう1人もおびえたように身をこわばらせている。その様子にわずかな罪悪感を覚えるが、彼はすぐに体を返した。
あまり長く、1カ所に留まるわけにはいかない。
「お兄さん――待ってってば!」
黒髪少女はそれでもめげなかった。今度は全身で、体当たり気味に彼に飛びついてきた。
「!」
「外は寒いよ! もうすぐお姉ちゃんがお洋服とか買って帰ってくるから!」
彼は無言のまま首を回した。腰のあたりに抱きついているので顔は見えないが、もう1人に目をやると、懸命にこくこくとうなずいた。
自分を落ち着かせるために、彼は1つ息を吐いた。
「離してくれ」
発した声は、自分でも驚くほど乾いていた。黒髪少女の腕によけいに力がこもる。
「すぐに行っちゃわない?」
「……」
「じゃあダメ!」
「おい」
さすがにいらついてきた。それでも一応は子供相手と我慢して、細い2本の腕をできるだけていねいに引きはがす。
意外にもそれ以上の抵抗はなく、彼は拍子抜けして相手を見下ろした。
目が合った。少女の瞳は吸い込まれそうな漆黒だった。
「どうしても?」
「……。手当ては、助かった」
言うと、少女はぎゅっと両手を握り、こらえるように唇を噛んだ。そこで、いつの間にか姿を消していたもう1人が、カウンターの向こうのキッチンスペースから出てきた。
「これ。どうぞ……」
震える手が差し出したのはミネラルウォーターのペットボトルだった。彼はそれを黙って受け取り、2人に背を向けた。
そろそろ限界だ。これ以上ここにいては、穏やかに流れる時間と空気に酔ってしまいそうだった。
が――その足は、数歩でぴたりと止まった。
彼はペットボトルを床に落とした。ばっとふり返り、目を見開く2人の腕をそれぞれつかんで引きずりながら部屋の奥へとって返す。その先にはガラス窓とベランダが見える。
「え、えっ?」
「あのっ……」
彼は窓を開け、2人を外に押し出した。
「“姉さん”が帰るまで、そこにいろ」
有無を言わさず窓の鍵まで閉めてカーテンを引く。と同時に、重い振動が床を伝わってきた。
彼が窓を背にした時、部屋のガラス戸ごしに、“姉”ではありえない人影が映った。