December 25 (Tue.) -2-
「……?」
不思議そうなアズマの目の前に、e-phoneを開いて差しだす。
「よければ、見てください」
アズマはそれを受け取った。画面をさっと見て、もう1度見返すようにして、それから詩織に視線を戻す。
「これは……」
詩織は少し赤くなった。
「アズマさんのこと、いろいろ、勝手に知っちゃったので……その代わりというか、おわびというか……」
少しの間沈黙してから、アズマはe-phoneを返してきた。画面にはメールボックスを開いてある。すぐに目につくのは、そこに表示される数字のはずだ。
――未送信メール 1276件――
「全部、相川先生宛てだな」
アズマに言われ、詩織はうなずいた。
書くだけ書いて保存していた父へのメール。迷惑なのではないかと心配で――不安で、送信することができなかったものだ。それを気がつけばこんなに溜めてしまっていた。
しかし今になって、それで良いのだろうかと思っている。
「本当は、お父さんに話したかったこと、聞いてほしいこと、たくさんあったんです。だけどわたし、ずっと、ガマンした方がいいんだって思ってて。そしたら良いことはなくても、悪いことも起きないかったから。だから……そこから、なかなか動けませんでした」
噛みしめるようにゆっくりと、詩織は言葉を選ぶ。アズマも、マリアとアンジュも、静かに聞いてくれている。
「でも、ある日突然、何かが変わったり、終わっちゃったり。そういうこともあるってわかったから。今のままじゃ、“その時”に後悔するかもしれないな、って」
「そうだね。詩織ちゃんもクリスもだーい好きなフィクションの世界じゃなくたって、いろんなことは、前触れもなくさりげなーく起きるもんだ」
マリアがうんうんとうなずいた。それから勢いよく身を乗り出し、膝の上に頬杖をつく。
「で? そうならないために? 詩織ちゃんは何か考えたのかな?」
「あ、えっと。大したことじゃないんです、けど」
「なになになーに?」
マリアのにやにや笑いに首をすくめつつ。
詩織は思い切って口を開いた。
「送ります。お父さんにメール、今度こそ。『いっしょにお母さんのお墓参りに行きたいです』って」
端から見ればとるに足らないような第1歩かもしれない。それでも、これまではその1歩すら踏み出そうとはしなかったから。もしかしたら、少しくらいは何かが変わるかもしれない。良い方にか悪い方にかはまだわからないけれど。
不意にマリアがくすりと笑った。思いのほか優しい響きだった。
「ふっふ……いいんじゃないの。手始めとしては悪くないよ」
「そう、ですか。……よかった」
詩織も思わず頬をゆるませかかった。
が。
「あっ……」
「ん? どーかした?」
「わたし、おわびのつもりだったのに。結局わたしの決心のために、メールを見せたみたくなっちゃいました……」
詩織はおろおろとアズマを見上げた。アズマは面食らったような表情だった。怒っていないことはわかったが、詩織は神妙に頭を下げた。
「ご、ごめんなさい……」
「どうしてそこであやまる」
「だって、わたし……」
「何度も言った。もう1度言う。相川があやまることは何もない。あやまるべきなのは――」
「はーいはいはいそこまでー!!」
あきれ顔のマリアが強引に割り込んできた。その横では、アンジュが声を殺して笑っていた。
「2人とも、お互いにそれ以上あやまるの禁止ね! 見てらんないわまったくもー!」
「あ、だ、だけど」
「そんなことより……ちょっと、こっち」
マリアが詩織に手招きをした。おっかなびっくり歩み寄ると、マリアは両手を伸ばし、詩織の手をしっかりと握った。
「ことのついでにね。あたしまだ、ちゃんと言ったことなかったし」
「何をですか……?」
「あのね詩織ちゃん。――ありがとう」
「え」
突然の予想外の言葉に、詩織は一瞬硬直した。
「……え? マリアさん……?」
「詩織ちゃんはあたし達を受け入れてくれた。あたし達に居場所をくれた。それに、あの時……あたしが死にそうになったとき、聞こえたよ。詩織ちゃんがあたしを呼んでくれてたの」
マリアの表情は真剣そのものだった。
握られた手からじわりと暖かさが広がる。戸惑う詩織の視界に、ふと、アンジュの姿が入り込んだ。
「私からも言わせてちょうだい。ありがとう、詩織ちゃん」
「アンジュさん……」
「ねえ詩織ちゃん。わかる? 詩織ちゃんにはこうやって、お礼の言葉を受け取るだけの価値があるんだよ。いつまでも馬鹿みたいに自分を卑下するものじゃないよ」
ここでまた小悪魔的な微笑に戻り、マリアは綺麗にウインクを決めた。詩織は答えなかった。胸が詰まって声にならなかった。
そこへ。
「……相川」
背後からアズマの声が聞こえた。詩織はびくりと背筋をのばした。
「は、はい」
「俺は……俺の“左手”は、少し前まで“壊す”ことしか知らなかった」
床板がかすかに音を立てる。こちらへ近づいてきているようだ。
「その同じ力で、人を“助ける”こともできると、教えてくれたのは相川だ。……ありがとう」
「……!!」
詩織はぱっとふり返った。アズマを、アンジュを、最後にマリアを見る。
全身が熱い。ふるえが止まらないほどだ。耳まで赤くなっているのを自覚しながら、詩織に言えることなど、もう一言だけしかなかった。
「わたしこそ……ありがとう、ございます……!」
* * * * *
貴島から「マンションの下に着いた」と連絡が入った。詩織達は防寒装備をして、そろって玄関を出た。
「ところで、今日は相川の母親の墓参りなんだろう。どうして俺まで」
「ん? あーそれはね。あたしがアズマ君の顔を見たかったから」
「……は?」
「実を言うとさー、けっこう好みなんだよね、アズマ君のかーおっ!」
「………………」
「さあ行きましょう。貴島さんをお待たせすると悪いわ」
「どっちにしろイヤな顔はされそうだけどね! この前、貴島さんとか相川邸の人達に暗示かけてお屋敷から追い出したの、やっぱちょっと怒ってたみたいだからさー?」
「だからせめて、今日はおとなしくなさいね?」
「はいはい。わかってますよー」
他愛ない会話を聞きながら、詩織は空を見上げた。見渡す限りに広がる重く暗い雲。それでも気分が暗くなるようなことはない。もし雪が降ったなら、詩織には初めてのホワイトクリスマスだ。
「降ると道路が混んでしまうから、帰り着く頃に降り出すのがベストといったところかしらね」
「そう、ですね。積もるでしょうか」
「それはわからないわ」
「もし積もったらさ、みんなで雪合戦しようよ! あの運動公園で! アズマ君もちゃんと来てよねっ!」
「……」
「ちょっと返事はー?」
「もう、好きにしてくれ……」
アズマがそっぽを向き、マリアとアンジュが声を立てて笑った。アズマに悪い気もしたが、詩織もつい笑ってしまった。
その時詩織のポケットで「ポンッ」と音が鳴った。詩織がそれに気づいたのは少しだけあとのこと。
メールの着信音だった。
その送信者の欄には、『おとうさん』と表示されていた。
END




