December 18 (Tue.) -15-
信じられなかった。しばらく絶句した後に、マリアはやっと、彼女の名を呼んだ。
「“クリス”……なの?」
「当たり」
自分と同じ顔がこくりとうなずいて、さらに困惑は深まった。
「な、なんで? あんたはあたしが創った、あたしの仮人格のはずなのに! どうしてあたしの前に現れるの!?」
「なんでだろうね。わたしもわかんない」
「わからないって――」
「そんなことはいいんだよ。お姉ちゃん。わたしお姉ちゃんに言いたいことがあって、それでここにいるの」
“クリス”がすいっと前に出てきた。マリアは動けない。まるで、その場に見えない力で縫い止められたように。
「ねえ、まだダメだよ。あきらめちゃわないでよ。『もういい』なんてウソでしょ? まだまだたくさん、やりたいことだってあるでしょう?」
「……あ、は」
マリアはくしゃりと前髪をつかんだ。とてつもなく複雑な気分だった。
「自分で自分に説教するの図、なのかな、これって?」
「ごまかさないで」
「いやーそりゃあね。いろんなとこに行ってみたかったとか、いろんなことして遊びたかったとか、そういうのは確かにあるけどさ」
乾いた笑いが漏れた。クリスはそれを黙って見つめていた。
「でも、それ以上に……しんどかったんだもん」
研究所前から兆候があった、SPM発動後の頭痛。それがここへ来て急激に悪化した。いきなりアズマに捕らわれて身の危険を察知し、その拍子に“マリア”として覚醒してからだ。
それは能力を使うたびにひどくなった。それでも目的があるうちは耐えられた。
だからこそ今は――これからは、もう無理だ。
命のあるうちにやろうと決めたことはやり終えてしまった。
傍目にどうだったかわからないが、これでもけっこうつらかったのだ。もうたくさんだ。これ以上痛いのは、いやだ。
「そうだね。苦しいのはいやだよね。それはホントだね」
「知ったような口きくなぁ……」
「だってわたしはお姉ちゃんの、“黒井マリア”の一部だよ? だからわかるもん。お姉ちゃんの本音」
クリスの口調が少し強気になった。マリアは深くため息をついた。
もはや反論さえ面倒くさい。
「いいでしょもう。疲れてるの。お願いだから、休ませてよ……」
「やだ。だって、わたしは」
クリスはすっと息を吸った。
「わたしは、アンジュお姉ちゃんとシオリちゃんのところに、帰りたい」
「……」
「“わたし”はお姉ちゃんから生まれたんだから。わたしの願いは、マリアお姉ちゃんの願いなんでしょ。違う?」
「――そこまで言うなら、あんたが“マリア”になればいいじゃない!」
急に腹が立ってきて、マリアは思わず声を荒らげた。クリスが口をつぐむ。しかしその黒い瞳は、変わらずマリアを睨んでいる。マリアもそれを睨み返した。
「ほら、早く行きなさいよ! チャンスじゃない。あんたが表に出て“本物”になってくれればあたしは逝ける。あんたは望み通りアンジュ達といっしょに暮らせる。それなら文句ないでしょ!」
「……できるならそうしたかったんだけど、ね」
つぶやいたクリスは、残念そうな、同時にひどくおとなびた微笑を浮かべた。
「ダメだったよ。何度ためしても、わたしじゃ“本物”になれなかった」
「!」
「だからね、お姉ちゃん」
クリスが両手をのばし、マリアの頬に触れる。そうしてゆっくりと顔を寄せてきた。
「ちゃんとお姉ちゃんが戻って。そうすればアンジュお姉ちゃんとシオリちゃんは悲しませなくて済むから。それで充分だよ。そのためなら――」
ふと言葉がとぎれた。何か考えるように、クリスは一瞬だけ視線を落とした。
「ねえお姉ちゃん。わかってるでしょ? お姉ちゃんの脳に負担がかかってた原因のひとつは“クリス”だって。当たり前だよね。自分に暗示をかけっぱなしってことだもんね」
ひとりごとのようなつぶやきに覚悟の響きを感じ、マリアは異様な胸のざわめきを覚えた。
「ちょっと、あんた」
「あたしがいなくなればよけいな負担はなくなるよ。そしたらさ。もうちょっとだけ、がんばれる?」
マリアはとっさに、何も言うことができなかった。
――それでいいの? 本当に?
ようやくそう口にしようと思ったところで、クリスはマリアとひたいを合わせた。
感触はなかった。ただ、暖かさだけがあった。
「いいの。本来の“クリス”の役目はもう終わってたんだから。それに、わたしは消えるわけじゃないよ。お姉ちゃんの中に帰るだけ」
その姿がわずかに揺らいだ。そこからは目に見える速さで輪郭がぼやけていった。
「ま、待ってよ、クリス」
――待てない。消えたくなくてずっとしがみついてたけど……
そのせいで2人とも消えちゃったら、意味ないもんね。
「クリス!!」
――アンジュお姉ちゃん達と、シオリちゃんと、お兄さんにもよろしく。
仲良くしなきゃダメだよ?
それと。
名前呼んでくれて、ありがと。
生きてね。マリアお姉ちゃん――
少女の姿がぱちんとはじけた。白い光の粒子がマリアの全身を覆う。
マリアは呆然と、それを目で追った。
「……なんでよ……」
口をついて出た問いかけは、クリスに対するものではなく、どちらかといえば自分に向けられていた。
「なんで今さら……こんなこと思い出すの……!」
ついさっきスクリーンに映し出されたような記憶が。
もっとたくさんの思い出が。
次々と浮かんでは脳裏を廻る。
マリアは目を閉じ、自分の身体を抱いた。震えているのが滑稽にも思えたが、どうしても止まらない。
どれだけの間そうしてじっとしていただろう。マリアはふと、顔を仰向けた。
呼んでいるような気がした。聞き覚えのある声が、自分を。
内から操られるように手をかざす。と、雲が切れたかのように、一筋の光が降ってきた。
そして――




