December 18 (Tue.) -13-
相川邸の門は少しだけ開いていた。牧田医師の乗用車はその前で急停止した。
それとほとんど同時に、詩織は車を飛び出した。せいいっぱいの速さで走り、体当たりするように扉を押し開ける。
そこで思わず硬直した。
玄関ホールに倒れている黒服の男が2人。その近くでアンジュがうずくまっている。よく見ればその腕には、小さな身体を抱いていた。
「マリア、さん……!?」
「おいおいおいおい!!」
牧田医師が詩織の横をすり抜け、姉妹に駆け寄っていった。詩織はふらふらとあとに続く。足下がおぼつかず、倒れないようにするだけでせいいっぱいだった。
「おい!! 嬢ちゃん!!」
アンジュの腕からマリアを引きはがし、牧田医師が心臓マッサージを始める。仰向けにされたマリアの顔色は蒼白だ。生気がまるで感じられない。
「……うそ……」
マリアの様子がおかしいことには詩織も気づいていた。ここを出る時、どうしてもう少し心配しなかったのだろう。アンジュがいっしょに残ったということはあったにしても。
処置を続ける医師とアンジュのそばにすとんと膝をつく。
目を上げると、アンジュは静かに涙を流していた。
「アンジュさん――」
「……マリア」
アンジュがつぶやいて顔を伏せる。声はないが、かすかに肩が震えていた。
詩織も目の前が暗くなるような気がした。ぎこちなくマリアに視線を移す。状況は、変わっていないようだ。
「く、そ……っ」
処置を続けながら牧田医師が毒づいた。はじかれたように、詩織は身を乗り出した。
「マリアさん。……マリアさん!」
ツカサの時もそうだった。深く影が落ちた顔を見ていると思い出してしまう。
母が亡くなったときのこと。――1人になってしまったときのことを。
「………………やだ……」
声が漏れた。1度あふれてしまうと、止まらなくなった。
「いやだ、いやです! マリアさん!」
「お、おい」
「お願い。いかないで」
まるで小さな子供のようだと心のどこかで思いながら。
詩織はマリアにすがりついて叫んだ。
「いなくならないで……もう、置いていかないで!!」
そうして、マリアの手を強く握りしめた。
* * * * *
ふと、誰かに手を握られていることに気づいて、ツカサは目を開く。少しばかり歪んだ視界も数度またたきすると元に戻った。白い天井。薬品のにおいがすることから、救護室にいるのだろうと推測できた。
「ツカサ! 起きたのか!?」
耳元で声がした。と思った次の瞬間、首に思いきり抱きつかれた。
「よかったあぁぁツカサあぁぁぁぁぁぁ」
「く、苦しいよ、トモ」
「あぁっ、ごめん!」
あわてた声を上げてぱっと離れ、少年はフードの下の表情をくしゃりと歪ませた。
「でも心配したんだよ! 先生達はだいじょうぶって言ってたけど、ぜんぜん目ぇ覚まさないしさあ!」
「そう、か」
「ツカサ」
今度は控えめに、上から顔をのぞき込まれた。彼の青みがかった眼に視力はないが、視線はしっかりとかみ合った。
「“トモ”って呼び方、なつかしいね。すごくひさしぶりに聞いた」
「……そういえばそうだったかな」
“ヘクセ”結成以来、自身を含め、皆の元の名は呼ばないと決めていた。そのはずが、気がつけばなんのためらいもなくその名を口にしていた。
「ツカサにもらった“ヤマ”って名前もそこそこ気に入ってるけどさ。なんでかな、やっぱり“トモ”の方が嬉しいや。……怒る?」
「いや」
思わず苦笑する。少し前であれば、たしなめるくらいのことはしたかもしれないが。
今は。
「それで、向こうに行ったのかな、アズマは」
話題を変えることにした。言ってから周囲をうかがってみる。動かせる範囲の視界に弟の姿はないようだ。最後に視線を戻すと、トモナリはうなずいて、ふと首を傾けた。
「ホントなんだ。ツカサがあいつの心だけ読めないっての。読めるなら、いるいないもわかるもんな」
「ああ、本当だよ。どうしてだろうね」
「えーそれを僕に聞くの?」
真剣な顔で考え込むトモナリ。それを見て、ツカサは申し訳ない気分になった。
本当は薄々気づいていた。同じ精神感応力者の防御さえ突破できる自分が、よりによって血縁の精神に干渉できないはずがない。ということは。
原因は自分自身にあるのではないか。
ただ――こわかっただけなのではないかと。
黒井アンジュの言葉を借りるなら、自分はアズマに『依存』していた。あの時すぐにはそれを認められなかったが、考えるほどに、その言葉は内に深く食いこんでくるようだった。
幼い頃に無条件でそばにいてくれた弟が、いずれ自分から離れていってしまったら。
何かのきっかけで嫌われてしまったら。
そして、そんな弟の心を知ってしまったら――
平静ではいられた自信は、ない。だから彼の心に触れることだけ、無意識のうちに拒絶していたのかもしれない。
「僕もなかなか、情けない人間だったようだね……」
「へ? 急にどうしたんだよー」
トモナリは膝を折り、ベッドに頬杖をついた。
「まーいいや。とにかく早く良くなってよ。それでさ、ちゃんとみんなと話そう? なんかよくわかんないことになってきちゃったしさ」
「そうだね。それがいい」
そこでツカサは真顔になった。
「それと……彼女達とも、話をしてみたいと思う」
黒井マリア。彼女がもし、生きているなら。
そう心の中でつけ足して息を吐く。自身の心の動きは、自分でも意外だった。
できることなら、彼女に生きていてほしい。
いつしかツカサはそう願っていた。
* * * * *




