December 18 (Tue.) -5-
アズマと目が合った。表情は読めない。肯定か否定か、まだわからない。
「言ってましたよね、左手、“生きてるものに影響を与える”って。それなら、血を止めることだって」
「できない」
アズマが静かに言った。ヤマがぱっとふり返り、アズマに責めるまなざしを向ける。
「僕はお前の能力を知ってる! 本当はやれるんじゃないのか!?」
「できない……無理だ」
「アズマさん――」
「“左手”は視覚と連動する。見えないと、使えない」
うっとうめいて、ヤマが口をつぐんだ。
同時に、詩織はアズマに向き直った。
「見えれば……できますか?」
できるはずだという確信はあった。最後の問題さえクリアできれば。
ただし、それはアズマ自身の心の問題で、1番の難関かもしれなかった。
「“目”なら、あります。どういう風にしたらいいか、教えてくれる人も。あとはアズマさんが、“できる”かどうか――だと、思います」
「……」
アズマは眉を寄せて目を伏せた。
やはり迷いが見える。アズマにとって血の繋がった実の兄は、同時にずっと虐待を受けていた相手で。はたしてそれを、助けたいと思えるだろうか。
「君が、それを言うんだね。相川詩織さん」
つかの間の沈黙を破ったのはツカサだった。詩織はツカサに視線を移す。目を閉じたままのツカサは、かすかに笑っているようだった。
「僕がしたことは、知っているんだろう」
「……はい。でも」
「できないなら、それでいい……弟も……もう、自由になりたいはずだ……」
ふ、とツカサが息を吐いた。詩織は思わず小さく身震いした。
こうしているといやでも思い出してしまう。母が、亡くなった時のことを。
「おいこら! お前! しっかりしやがれ!!」
牧田医師が怒鳴っている。詩織は両手で胸をおさえた。気分が、悪い。
「あ……」
一瞬だけ意識が遠のいて、身体がうしろに傾きかけた。
倒れる、と思ったとき。
耳元で静かな声がした。
「大丈夫か」
気がつけばアズマに肩を支えられていた。顔を仰向けてみると、アズマは詩織ではなく、ツカサの方を見ていた。
「アズマ、さん」
「ツカサ」
アズマは少し強引に、詩織を床に座らせた。そして。
「3人を“繋いで”くれ。……やってみる」
言いながら牧田医師に歩み寄った。ツカサが薄く目を開く。その横に膝をつき、険しい顔の医師に頭を下げた。
「たのみがあります。今から俺は先生の道具になる。そしてこいつが、先生の“目”になる。使ってください」
「は!? 何わけのわからんこと言ってんだ!」
「ツカサ、ヤマ」
ヤマが床に両手をつき、金の眼を大きく開いた。と思いきや、牧田医師がバネ仕掛けのように立ち上がった。
「なっ、なんだこりゃ!?」
「ヤマには見える。ツカサがそれを共有させる。俺は出血部を直接押さえられる。指示してください。説明はあとで、必ず」
「……ええい!」
牧田医師は目を細めてツカサの腹部を見据えた。理解するのはあきらめて、治療に専念してくれるようだ。
「なら、視界、もう少し体幹側に動かせるか」
「体幹って?」
「心臓のある方に。ゆっくりと移動だ」
「ツカサ。俺はまだ繋がってない」
アズマが言うと、ツカサがかすかに首を振った。
「言ったことは、なかったか。僕はお前にだけは……干渉、できない」
怪訝そうに眉をひそめたアズマは、しかしすぐに切り替える。
「ヤマ、“左手”を捉えられるか」
「できるよ! 視覚化する!」
「お、おおっ」
牧田医師が声を上げる。どんな風に見えたのかはわからないが、「信じられない」という風に強く頭を振ったので、きっと非現実的なものが映ったに違いない。
「俺には見えない。誘導たのみます」
「……奥。あと3センチ奥だ。よし、そのまま、もう2センチ、左に――」
「アズマ……どうして……?」
ツカサが虚ろにつぶやいた。アズマはちらりとだけ、ツカサの顔を見た。
「あんたに、死んでほしいわけじゃない」
「……」
「集中する。黙ってろ」
「――そこだ!」
医師の鋭い声と共に、ツカサの身体がびくりと痙攣した。医師が興奮気味にアズマの肩をはたいた。
「よくやった! そのまま押さえててくれ。病院へ直行するぞ!」
「このまま、って」
ヤマが不安げな顔になった。アズマと金色の目を見交わす。うなずいたアズマのひたいには、うっすらと汗が浮いていた。詩織もふと思い出す。SPMを使い続けると、気力も体力もひどく消耗するらしい、と。
「問題ない」
「……わかった。僕もがんばる」
「ツカサ、立てるか」
医師とアズマが両脇からツカサを支えた。詩織も急いで膝を払い、立ち上がった。
その時だった。
――シオリ、ちゃん――
詩織は思わず息を呑んだ。心の中で響くような声。今はあまりはっきりしないが、ツカサの支配を受けたときと同じ聞こえ方だ。
しかし、この声は。
「……クリスちゃん……!?」
とっさにその名前が口をついて出た。
次の瞬間。“声”は、くっきりと輪郭を持った。
『シオリちゃん! お願い――お姉ちゃんを助けて!』
悲痛な響きは、詩織の胸を深く突き刺し、消えていった。




