December 18 (Tue.) -4-
灯りが、すべて消えていた。
目の前にそびえる研究所の影はどこか寒々しく感じられた。アズマの指示で門の前まで来ると、医師は車で強引に間を突破した。がりがりといういやな音がした。詩織はそれを、耳をふさいで聞かなかったことにする。
ヘッドライトはつけたまま、建物近くで車を降りた。
「どっちだ」
「ツカサが使ってた個室なら……」
中へ入る。手探りながらも慣れた様子で廊下の電灯をつけたアズマが、小走りに廊下を進む。詩織も牧田医師とあとを追った。牧田医師は金属のトランクを抱えていた。
訓練室とは逆方向。個室が並ぶ一帯の一番奥。
扉の前でアズマは立ち止まった。中からすすり泣く声が聞こえる。手を伸ばしかけ、しかしそこで動きを止めてしまったアズマに代わり、医師が勢いよく扉を引いた。
「おい! どうした!」
「あ……」
ふり返ったのはパーカー姿の少年だった。詩織も一度会ったことがある。
「えと、ヤマ、さん――」
「助けて! お願いだ、ツカサを助けてよ!」
「坊主。そこどけ」
牧田医師が大股に踏み込む。ヤマは素直に場所を譲った。
そのヤマをよく見ると、パーカーの脇腹の辺りがどす黒く染まっていた。
「……!」
不意にアズマの手が詩織の目をふさいだ。音だけが状況を伝えてくる。牧田医師の固い声と涙混じりのヤマの声。そして。
「刺されたんだ! あいつに! ハヌマに!」
「意識はあるんだな?」
「……まだ、なんとか……」
ツカサの返事も聞こえた。しかしよく聞き取れないほど小さい。詩織は足が竦んで動けなかった。視界がなくなる寸前に見えた、床を汚す赤い色が、じわじわと心の中に広がりだす。
「しかし出血が……こりゃまずいぞ。すぐにでも設備のある病院で処置しろってレベルだ」
がちゃがちゃという金属音。トランクのふたを開けた気配がする。
「とにかく、応急処置だ」
「――どうしても病院に行かなきゃダメなのか?」
不安そうに言ったのはヤマだ。牧田医師の動きが、一瞬止まった。
「どういうことだ」
「俺達には、国民コードがない。病院に行ったところで治療を受けさせてもらえるんだろうか」
アズマがやっと口を開いた。詩織の目から手がはずれる。医師は眉をひそめつつ右手にゴム手袋を着けるところだった。
「そんなのはおれがなんとかしてやる。いざとなりゃ相川になんとかさせる! いいから救急を呼べ!」
牧田医師はポケットからe-phoneを出して放り投げた。詩織があたふたとキャッチしたのを見届けると、手早くツカサの服をたくし上げ、手でぐっと腹部をおさえる。ツカサがうめいた。ヤマが息を呑み、のろのろとその場にしゃがみ込んだ。
「しかし病院以前に、出血が止まらねぇと……!」
「な、中から、血が出てるから?」
「ああ。下手すりゃ血管か、内臓か。ああ、くそ。」
悪態をつく医師の向こうから、ふと、ツカサがこちらを見た。
深く影の落ちた顔が歪む。自嘲の色の濃い笑みだった。
「僕は……お前の目の前で、死ぬのかな」
詩織は思わずアズマを見上げた。アズマは何も言わない。ただ、とても苦しそうな表情に見えた。
「仕方のないこと、かな」
「何言ってる! とりあえず踏ん張れ!」
医師が腹立たしげに叱咤した。しかし、ツカサは力なく目を閉じてしまう。
「僕はもう、いい……ヤマが……無事なら……」
――すまない。助けてくれないか、ヤマを――
通話の最後にツカサはそう言った。見る限りヤマはそれほど弱っていないようだが、それでも自分より、ヤマを優先してほしいと。
「僕はちょっと刺さっただけで、びっくりして気絶してただけだよ! ツカサのが重傷だって、はじめからわかってたじゃないか!」
「そう、だったかな」
「ヘンなこと言うなよツカサ……いやだよ……」
ヤマが牧田医師にすがりついた。
「あんた医者なんだろ、なんとかしてくれよ!」
医師は渋く眉間にしわを作る。ツカサの状態は、やはり厳しいようだ。
「“中”の出血部は、CT撮るか切らなきゃわからん。さすがに開腹するほどの道具は持ってきてねぇんだよ。第一から、こんなとこでの処置じゃ滅菌が充分にできねぇ」
「そんな!」
「……手」
詩織はつぶやいた。
頭の中がせわしなく回転する。今日までこの目で見てきたこと。聞いたこと。それから、ツカサとつながっていた間に流れ込んだ記憶の断片。
それを全部ひっぱり出して考えた結果、それしかないと詩織は思った。
「アズマさん。アズマさんの“左手”で、血……止められませんか?」




