December 18 (Tue.) -1-
車のテールランプは見る間に闇の向こうへと消えていった。相川家の玄関からそれを見送ったアンジュは、ふとマリアを見下ろした。
「マリア……」
「言いたいことはわかるけど」
マリアは斜めにアンジュを見上げ、猫っぽく目を細めた。
「もう長くはもたないし。残りは好きなように使わせてよ」
アンジュはわずかに眉根を寄せた。
「そんなこと、聞きたくないわ」
「ん?」
マリアは「珍しいものを見た」という顔でぱちぱちと瞬いた。うつむき気味のアンジュはとても悲しげだ。
――おねえちゃん――
そう呼ばれていた頃をふと思い出し、マリアはくすりと笑った。それからアンジュの背を軽くたたく。
「ごめんね」
アンジュはもう何も言わず、小さくうなずいただけだった。
* * * * *
牧田医師の運転する車は、またあの研究所へと向かっている。
詩織は横目にアズマの様子をうかがった。一見いつもと同じように静かに座っているだけだが、握り合わせた手には力が入っている。
何も言えずにまた前を見たところで、牧田医師とバックミラー越しに目が合った。医師は渋い顔で軽く頭を振った。
「ほんっとうによくわからんのだが……電話の様子からして、急を要するのは確からしいからな。ただしだ。これは別料金にしとくからな?」
「は、はいっ」
「おい。大丈夫か、坊主」
少し強くなった医師の口調に、アズマがぴくりと顔を上げる。しかし返事はなく、またすぐに視線を落としてしまう。医師が音を立ててハンドルをたたいた。
「状況が定かでないうちは気を揉んでも仕方ねぇ。まずは向こうに着いてからだ。てか黒井・妹もそれなりに気になるんだがな、おれは……」
「マリアさん、ですか」
詩織は屋敷を出る直前を思い出す。
自分は行けない、とマリアは言った。まだ身体が本調子ではない。長時間の乗車はつらいので、アンジュと一緒に帰りを待っていると。
何か、大事なことを隠していそうな雰囲気だった。そしてそれを聞いてほしくなさそうだった。
だから詩織は、何も聞かないことにした。
「――なあ嬢ちゃん。まぁたなんだかおりこうさんなこと考えてねえか?」
車体が大きく揺れて身体が傾いた。医師の運転は、らしいというか、非常に豪快だ。貴島とはだいぶ違う。詩織の父とも。
「え……?」
「お前さんな、おれから見りゃあ気を遣いすぎだ。それが悪いってんじゃねえぞ。ただ、たまには言いたいこと言ってみてもいいんじゃねえかってな。あの2人に対しても親父に対しても。どーんと本音でぶつかった方がいい時もある」
「え、でも」
「無理はしなくていいが、てか、おれが言えた義理でもないかもしれんが」
詩織は口をつぐむ。そんな風に考えたことはなかった。自分よりもひとを優先するのが当たり前で。それを逆転させるにはどうすればいいかよくわからない。
そんな気配を察したようで、医師は大きなため息をついた。
「あのな。お前ら、家族なんだろうが。それくらいしたところでバチはあたらんだろうさ」
詩織はドキリとした。気がつけばぶんぶんと首を振っていた。
「違います……だってアンジュさん達とは、血もつながってない、し」
すると医師は、ちらりとだけこちらを見返った。
「血のつながりのない親子だの義理の兄弟姉妹だのが、他にいないと思ってんのか? 逆に血縁どうしがうまくいってない家庭だって五万とある。そこは問題じゃねえと思うんだがなあ」
「……俺もそう思う」
不意にアズマの声が聞こえ、詩織の心臓は思いきり跳ねた。
「え、あの」
「あんた達を見ていると、時々うらやましい」
「え……えっ」
「お前さんらは“家族”だよ。少なくとも黒井・妹はそう思ってるみてえだぜ。自信持ちな」
徐々に、身体が熱くなっていった。
本当だろうか。アンジュとマリアと、家族だと言っていいのだろうか。
だとしたら。どんなに。
「さあて、こっからは飛ばすぞ、お前ら!」
いつの間にか車は国道を抜けて、細い砂利道にさしかかっていた。
スピードが上がったのが体感でわかる。身体が浮き上がるような感覚。
こんな時だというのにそれが心地よくて、詩織はつい頬をゆるませてしまった。あわてて手で顔を押さえると、アズマが視線だけこちらに向けた。
気のせいなのかもしれないが、視線は少しだけ、優しげに思えた。
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