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-BLACK MARIA-  作者: 高砂イサミ
1st episode
5/66

November 30 (Fri.) -2-


「葉沼さん、鳥戸さん! トオルです!」

 先頭を走っていた少年が、息を弾ませながら前方を指さした。降りしきる白色の向こう、100メートルほど先にかろうじて人影が見える。――が。

「いや……待て」

 長身の男が手を伸ばし、少年の襟首をつかんで引き戻した。その横で長髪の男が目を細める。

「他に誰かいますね」

「まさか。この時間に、この旧市街地に?」

「気配がする。……3人だ」

「ど、どうしましょう……!?」


  ――どうした。何をしている?


 瞬間、3人は同時に背筋を伸ばした。

 1拍置いて、長髪の男が空を仰ぎ、口を開いた。

「“師”よ。トオルが……逃げました」


  ――……トールが?


「お許しください。計画を実行することができませんでした。我々はトオルを追ってきていますが、どうやら人が――」

 しばしの沈黙。3人の表情が徐々にこわばっていく。

 そして。


  ――今は、戻れ――


「! ……了解しました」

 安堵とともにいくぶんかの戸惑いの空気が流れた。それでも“彼”の言葉は絶対だ。

 3人は身をひるがえし、すぐにその姿を闇へ溶け込ませていった。



            * * * * *



 クリスを追って、詩織とアンジュも駆けだした。

「クリス!!」

 アンジュが傘を放り投げる。詩織はあわててそれを拾い上げ、よけいに風の抵抗を受けながら懸命にアンジュを追いかけた。

「お兄さん、だいじょうぶ!?」

 クリスは意外に足が速く、もう人影の横にしゃがんでのぞきこんでいる。その数メートル手前でアンジュが立ち止まる。少し遅れて、詩織も追いついた。

 目を凝らしてみると、影はようやく青年の姿になった。黒髪も黒いコートも重そうに濡れている。意識がないのか、冷たいコンクリートの壁にぐったりと背を預け、顔を伏せたまま動かない。それでもアンジュは警戒するように声を低めた。

「クリス、駄目よ。こちらへ来て」

「だって!」

 珍しく、クリスがアンジュに反発した。そのことに驚きつつ、詩織も小さく呼びかける。

「クリスちゃん、あぶないよ」

「……わかってるけど!」

「今、救急車呼ぶから、ね……?」

 詩織にも見えている。黒いコートの肩に冗談のように生えている、小振りなナイフの柄。

 しかしそのことよりも、クリスの身に危険が及ぶ心配の方が大きかった。この区域は“旧市街地”。住民数が少なく、廃墟同然の建物ばかりが建ち並んでいるために、ガラの悪い人間が入り込みやすいのだ。

「クリス」

 もう1度アンジュに名を呼ばれ、しぶしぶといった様子で、クリスが立ち上がった。

 ――瞬間。


「誰だ……お前達」


 詩織には黒い翼がひるがえったように見えた。

 青年の右手が、背後からクリスののどをつかんでいた。クリスが大きく目を開いて硬直する。同じく身を固くした詩織とアンジュに青年の視線が向けられた。

 その瞳はニホン人離れして、ほとんど金に近い色だった。

「……誰、と聞かれても、『善良な一般市民』としか答えられないわね……」

 雪に濡れた髪を払い、アンジュが緊張気味に目を細めた。その手がすっと下りると、青年はわずかににじり下がる。金色のまなざしに一層険が増した。

 が――クリスの首を捉える手には、あまり力が入っていないようだった。

「あなた。何か事情があるのでしょうけど、私達は、それとは無関係の人間よ?」

「……」

「少なくとも、あなたに害を及ぼすことはないわ。か弱い女子供が3人よ。何かしようとしたところで、できるはずもないもの」

 アンジュが慎重に言葉を紡ぐ。詩織はそれを、息を詰めて見守っていた。

「だから私には、あなたにお願いすることしかできないわ。クリスを……その子を、離してもらえないかしら」

 少しの間、沈黙が続いた後。

 青年は静かに白い息を吐き出した。それと同時に力がゆるむ。解放されたクリスがはじかれたように駆けてきて、アンジュの広げた腕に飛び込んだ。

 詩織はそこへ傘を差しかけた。そうしておそるおそる横目にうかがうと、青年は片膝をついたまま、左肩に手を当てていた。苦しげな息を殺しているのが伝わってくる。

 勇気をふり絞って、詩織は口を開いた。

「救急車、呼んできますから――」

「呼ぶな」

 静かながら強い拒絶が返された。一呼吸置いて、詩織は青年に向き直った。

「でも」

「かまうな。早く、行け……」

「……でも……」

「詩織ちゃん」

 アンジュが言外に「これ以上関わるな」と云った。詩織は少しだけ迷った。

 そして――心を決める。

「あの。うち、すぐそこなんです。手当だけでも……させてもらえませんか」

「シオリちゃん!」

 今度はクリスの嬉しそうな声が聞こえた。きっとアンジュはその横で、あきれた顔をしているはずだ。

 青年が再び目を上げる。血の気の失せた顔は、よく見ると最初の印象より若いようだった。アンジュと同じか、もしかすると少し下だろうか。

「お願いします」

「……」

「お願いします!」

 クリスも出てきてぺこりと頭を下げた。青年は、わずかに眉根を寄せた。

「何を考えてる」

「え……」

「余計なことに、首を突っ込むな……」

「違うもん! 余計なことなんかじゃないもん!」

 間髪入れずに言い返したのはクリスだった。

「だってお兄さんは、あたしのこと、最初から怪我させないようにしてくれてたでしょ? アンジュお姉ちゃんのこと信じてあたしを放してくれたでしょ? あたしわかっちゃったもの。お兄さんは……ほんとは、いい人だよね?」

 詩織は思わずクリスを見下ろした。クリスにしては珍しい、というか、初めて聞くような強引な物言いだった。

 そんな詩織の困惑など気にとめない様子で、クリスはにっこりと笑った。

「だからね、お兄さんが痛そうなのはあたしもイヤなの。ね……お姉ちゃん?」


「ごめんなさい――うちのお姫様、言い出したら聞かないのよ」


「!?」

 青年がはっと半身をひねった時には、アンジュは詩織のとなりではなく、青年の背後にいた。青年がとっさに上げかけた左腕をぱしっと押さえ、もう一方の手を手刀にして素早く相手の首筋を打つ。

 一瞬硬直した後、青年はふっと力を失った。

 前に倒れかかった体をアンジュが受け止める。詩織は複雑な気分で、そろそろとそこへ近づいていった。

「アンジュさん……」

「大丈夫。手加減したわ」

 アンジュがほほえんだ。詩織は力なく笑い返した。

 先ほどのアンジュの発言には嘘がある。そもそもアンジュは、詩織のボディガードとして父から紹介されてきたのだ。たぶん“か弱い女子供”には当てはまらないだろう。青年を説得するための嘘だったということは、もちろんわかっているのだが――

 と、アンジュが詩織を見上げてきた。

「それより詩織ちゃん。私が彼を運んでいくから、あなたは先に戻って、部屋を暖めておいてくれる?」

「!」

「お姉ちゃん! ありがとー!」

 クリスが両手を上げて叫んだ。詩織もアンジュにぺこりと頭を下げる。それからマンションへ向かって、大急ぎで駆けだした。



            * * * * *



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