December 17 (Mon.) pm. -1-
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詩織は屋上から外を眺めていた。夕暮れ時でまっ赤に染まった空。オレンジ色の町。それがだんだんと青く暗く変わっていく様子が好きだった。何度見ても、ちっとも飽きない。
『――詩織? ここにいたのね』
うしろから優しい声が聞こえた。フェンスに張りついていた詩織はぱっとふり返った。
お母さん!
『もうすぐお夕飯よ。帰ってらっしゃい。……あらあら、こんなにほっぺ冷やして』
母は両手で詩織の顔をはさんだ。ぬくもりの上に自分の手を重ねて、詩織はにこりと笑った。
『どうしたの?』
ううん。なんでもない。ごはんこれから? おてつだいする?
『……ねえ、詩織』
母が不意に、表情を消した。こういう時に何を言うかは、詩織もなんとなくわかっていた。
『お母さんと2人だけで、さびしくない……?』
そんなことないよ。平気だよ! だってお父さんは、おしごといそがしいんでしょ?
思いきり元気よく答えると、母は困ったように首を傾けた。
『ありがとう。でも、あなたったら……聞き分けがよすぎるわ……』
ごめんね。
母は続けてそう言った。
――だってお母さん。わたしが笑ってれば、お母さんも笑ってくれたでしょう?
わたしはそれで良かったんだもの。
本当に、それだけで……
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突然息ができなくなった。思わず飛び起きた詩織は、いたずらっぽい笑顔が間近にあったのでまたびっくりした。
「おはよ。よく寝てたね」
「ク、……マリア、さん?」
マリアがつまんでいた詩織の鼻を離す。少し違和感の残る鼻をさすりながら視線を動かすと、そこは父の屋敷の客間だとわかった。窓はカーテンが閉めきりになっている。どうやら外はまだ暗いようだ。
部屋にはアンジュとアズマもいた。となりのベッドに腰かけていたアンジュがほっとしたように立ち上がった。
「なかなか目を覚まさないから、どうしようかと思っていたわ」
「え? 今……」
「そろそろ火曜日になるとこ。あれから丸1日くらいね。ほんと、別にあたしの真似する必要とかないんだからね?」
「!?」
マリアの答えに耳を疑った。“まだ”暗いのではなく“もう”暗くなっていたらしい。
とっさに「学校が」と思ったあとで、あわててアンジュとアズマの様子をうかがってみた。ベッドの脇で膝を折ったアンジュからは湿布のにおいがした。アズマは詩織のベッドの足元で椅子に座っている。その腕は膝に預けたままほとんど動かさない。長そでの下から少しだけ、包帯の白がのぞいた。
「あー、もう。また泣くんだからー」
マリアがあきれたように肩をすくめた。詩織はつんとしてきた鼻をもう少し強くおさえてうつむいた。
「ごめ……なさ……」
「あやまらなくてもいいってば。みんな自分のやりたいようにやっただけなんだから。詩織ちゃんは『なんで巻き込んだんだ』って怒るくらいでいいの。……ま、どうせできないだろうけど?」
くすくすと笑うマリアの、その向こうをそっと見やる。
アズマと目が合った。すぐに、アズマの方から視線をはずされた。
「……見たんだったな」
「……はい……」
「そうか」
「おっと、意味深な会話!?」
なぜかはしゃぐマリアをアンジュがつかまえ口をふさいだ。それを視界の端に、詩織はぎゅっとふとんを握った。
「見ない方が、よかったですよね……ごめんなさい」
「……」
「えらそうなことも、言っちゃいました」
「詩織ちゃん、今は平気なの? ツカサさんの暗示は」
じたばたするマリアを抱きかかえながら、アンジュが気遣わしげに口をはさんだ。詩織もそれではたと気がついた。
「あの、なんともないみたいです、今は」
また急に操られてしまうのではないかという不安はある。しかしツカサの気配というか、以前に感じたような違和感はなかった。アンジュも不思議に思ったらしく、マリアの口だけ解放した。
「支配が切れるということはあるの?」
「あるよ。こっちにその気がなくなった時とか、あとは力が足りなくなったりとか。他人に干渉し続けるのって、けっこー精神力いるんだから」
マリアが、うしろから回るアンジュの腕にあごを乗せ、にっと唇をつり上げた。
「ただでさえツカサさん、半分無意識にしろ、“ヘクセ”含めた大人数の支配で疲れてるはずなんだ。ここで1回とぎれたとすれば、再起までには時間かかるんじゃないかなー」
「そういうものかしらね」
「――それでも、終わりじゃない」
強い一言に、アンジュとマリアもふり返った。アズマは硬い表情でじっと床を見ていた。
「まだ何も変わってない。あいつが回復したら、同じことをくり返す」
「ん? ……ふーん。アズマ君はそういう風に考えるんだ」
アズマがきっと顔を上げ、きつくマリアを睨んだ。詩織は思わず身体を縮めた。が、当のマリアはおどけた仕草でホールドアップした。
「だってさ。まじめな話、今回の件でけっこういろいろ変わったと思うんだよね。アズマ君がちゃんと行動したからだよ。えらいえらい」
「何もしてない」
遮る口調はさらに暗かった。詩織は胸を締めつけられる思いでそれを聞いた。
「逃げただけだ。それしかできなかった。もっと、あいつを止められるくらいの力が、俺にあれば……」
――それは、違う。
詩織は言いかけたが、うまく言葉にならなかった。どうにかして伝えようと懸命に考えはじめたところで、突然、マリアが声を上げて笑った。
「なに言ってんの! よかったんだよそれで。アズマ君が逃げたからこそ、ツカサさんはもう1度考え直すチャンスを得られたんじゃない。それって大きいことだと思わない?」
ね? と可愛らしく首をかしげて見せながら、マリアはいつになく優しげに続けた。
「逃げることだって行動だよ。結果論かもだけど、アズマ君が動いたから事態も動いたってこと。もうちょっと自分をほめてあげてもいいんじゃないの?」
アズマは答えなかった。考え込むように、ゆっくりと、深く顔を伏せる。
そして、静寂が落ちる前に大げさなため息をついたのはアンジュだった。若干引きつった苦笑を浮かべつつ、詩織の肩を軽くたたく。
「さ、少し落ちついたら下へ行きましょう。まだメインイベントが残っているのよ」
なんのことかわからなかった。詩織はぱちぱちと瞬いた。
「メインイベント……?」
「そう。牧田先生におしかりをいただくという、ね」
「え」
思いもよらない不意打ちの恐怖だった。呆然とする詩織を指さして、マリアがはじけたように笑った。
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