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-BLACK MARIA-  作者: 高砂イサミ
9th episode
46/66

December 17 (Mon.) -4-


「わ……っ」

 アンジュがいきなり詩織を抱き上げ、ひょいと肩にかついだ。詩織からはツカサが見えなくなる。代わりにアズマと目が合った。アズマは膝に手を当てて立ち上がった。

「もう失礼するわね。神崎ツカサさん」

「待て」

 ツカサの制止は、アンジュだけに向けられたものではないようだ。その証拠に“ヘクセ”側が襲ってくる気配はない。アンジュも余裕のある様子で、1歩ずつうしろへ歩を進めていった。

「アズマ君。歩ける?」

「ああ――」


「お前も行くのか、トール」


 ツカサが静かにそう言った。アズマははっとしたように目を見開いて、すぐに視線を落とした。

「あんたのそばにはいられない。“左手”の力を利用させたくない。そうやってあんたが堕ちていく姿は……見たくない」

 アンジュがすっと立ち位置を変え、アズマとツカサの間に入った。

「あなたのやろうとしたことを間違いと断言するつもりは、私にはないわ。けれど理性的に議論をしなくていいのなら、あなたのやり方は嫌い。あなたのことも、嫌いだわ」

 詩織は思わず首を回す。見えたのは少し乱れた、それでもやはり綺麗な黒髪だけで、アンジュの顔は見えなかった。

 今どんな表情をしているのだろう。想像するのが難しい。

「きっと似たもの同士ということもあるのでしょうね。そういう依存の仕方、私自身を見ているようで腹が立つの」

「……依存」

「わかるはずよ。あとは自分で、考えてちょうだいね」

 これは脅迫気味ににっこりと微笑んだ時の声音だ。詩織がこっそり首をすくめると、アンジュの指に背中をつつかれた。

 そして次の瞬間、ぐんっと身体が横に振れた。


「さよなら……兄さん」


 かすかにそんなつぶやきが聞こえた気もしたが、アンジュの背中にしがみついて揺れをこらえるので精いっぱいだった。

 ツカサの様子も確認することはできなかった。

 部屋を出ると、廊下には冷たい風が吹き込んでいた。廊下をななめに突っ切ったと思った時には、もうまっ暗な冷たい空間へと飛び出している。外だ。懸命に顔を上げた詩織は、建物の横腹に2カ所、人が通れるほどの穴が開いているのを見てあ然とした。

「シャッターを破るよりも壁を壊した方が早かったの」

「あ、アンジュさん」

「そうか……」

「ツカサさん達、追ってこないようね」

 アンジュが走るペースは、普段よりずいぶんとゆるいものだった。そして門だったと思われる鉄の枠をくぐったところでさらに減速した。

「――ごめんなさい詩織ちゃん。ここから、自分で歩ける?」

「! はいっ!」

 答えたのと、アンジュが崩れるように砂利道に膝をついたのはほぼ同時だった。詩織はあわててアンジュをのぞきこんだ。

「アンジュさん……!」

「さすがに疲れたわ。アズマ君は……平気?」

「……」

 追いついてきたアズマが、立ち止まろうとして1歩よろけた。暗がりの中でも、両腕がだらりと力なく下がっているのがわかった。

 それを見た瞬間、ふつりと、詩織の中で糸が切れた。

「詩織ちゃん? ……いやね。泣かなくてもいいのに」

 地面に膝をつけたままのアンジュが優しく頭をなでてくれる。それでも涙が止まらない。せめて声が漏れないように、詩織は両手で口を押さえた。

「そんなに怖かったの? それとももしかして、『私のせい』だとか『迷惑をかけた』だなんてこと、思っている?」

 問われて小さくうなずいた。声にならない分心の中で、何度も「ごめんなさい」とくり返す。2人は詩織を助けてくれた。そのために怪我をした。それは事実だ。

 と、アズマが詩織のすぐ横に来て身をかがめた。

「あんたは悪くない。あやまるのは俺の方だ」

 言い終える前に、詩織は力いっぱい首をふった。アズマにはあやまってほしくない。それよりもあやまりたいことがたくさんある。ただ、今は頭の中がぐちゃぐちゃで、うまく言葉にできそうもなかった。

「まったく、2人とも……」

 アンジュが苦笑混じりにため息をつき、重い空気を払うように明るい声を上げた。

「反省会はあとにして。とにかく行きましょう。道はほぼまっすぐだし、迷うことはないはずよ」

「……歩いてか」

 詩織はやっと顔を上げた。時は深夜。門からずっとのびる道は、暗くて先が見通せない。

 ここへ連れてこられた時は、かなりおぼろげな記憶ではあるが、たしか車で来たような気がする。その距離を歩くのだろうかと思ったところで、涙は自然と引っこんだ。

「タクシーを呼ぶ? もしも聞かれたときに、この状況を説明できる?」

「相川が一緒だ。あんたとは体力が違う」

「わ、わたし、がんばって歩きます、けど」

「無理だ」

 間髪入れずに断言されてしまった。詩織も本音では自信がなかったため、それ以上は何も言えなかった。

「そうね。ここは、仕方がないのかしらね」

 アンジュの視線が詩織に向いた。タクシーの手配は自分しかできないと思い出し、詩織は急いでポケットを探った。

 ところがが。いつも入っているはずのe-phoneが、どこにもない。

「すいません、e-phone……なくしちゃったみたい、です」

「あら」

「だったら、これで」

 アズマが自分のポケットから出したものを詩織の手に押しつけた。それが父の持っていたe-phoneだと気づくまでに、少し時間がかかった。

「そういえばそんなものもあったわね」

「使えるか」

「たぶん……」

 さわるのは初めてだが、メーカーは自分のものと同じらしい。それならなんとかなるのではないか。詩織はこわごわとふたを開けてみた。

 その時突然、振動と共に着信音が鳴り響いた。驚いたあまりもう少しでe-phoneを取り落とすところだった。

「……あ。着信、“牧田”さんから……」

 ディスプレイには登録番号が表示されていた。心当たりの人物はいるものの、状況が状況なだけに出るのをためらってしまう。するとアンジュがさりげなく機器をさらって耳元へ持っていった。

「もしもし? 牧田先生?」

 やはり声には緊張感があった。しかしそれは、応答があったのだろうタイミングでふわりと溶けた。

「なんとか無事よ。これから帰るところ。……ああ、本当? それは助かるわ」

 あとは何度かあいづちを打っただけで、アンジュは通話を切った。そして気の抜けたような笑い声をもらす。

「2人とも安心して。マリアが牧田先生の車で迎えに来てくれるそうよ」

 マリア――つまり、クリス。

 頭の中で結びつくまでに、また時間が必要だった。自分も疲れているのかもしれない。詩織はそう思いながら息を吐いた。ものを考えようとするだけでも、ひどくおっくうだった。

「さあ、では少しだけがんばりましょうか。牧田先生の車と合流するまでは」

 詩織はうなずいた。身体を動かしていた方が良さそうだった。そうでもなければ、このまま倒れてしまいそうな気がした。

 しかし、迎えはいつ来てくれるのだろうか。見当もつかないまま3人寄り添うように歩き始める。詩織はその間、無心を保つことに専念した。

 そうでもしなければ、余計なことを考えてしまいそうで――


「!」


 アンジュが立ち止まった。ぽんと肩に手を置かれ、詩織もうつむきがちだった顔を上げる。

 向こうにぽつりと灯りが見えた。光はどんどん大きくなる。近づいてくる。

「早かったわね……」

 アンジュがつぶやいた。走行音。ブレーキを踏む音。

 ほどなく、詩織達の前にまっ白な乗用車が止まった。

「お姉ちゃん、お兄さん! シオリちゃん!!」

 後部座席の扉が開き、小さな影が飛び出した。まっすぐに詩織の腕に飛び込んでぎゅっと抱きついてくる。

「クリス、ちゃん……?」

 戸惑いながら呼んでみる。と、少女は顔を上げ、金の瞳で詩織を捉えた。


「お帰り、みんな。お疲れさま」


 にっと笑った表情に息を呑む。しかし詩織はすぐに、マリアを抱き返した。また涙が出そうになった。

「ありがとう……ただいま」

「おい! おいおい! どういう状況なんだよ、こりゃあ!」

 あとから下りてきた牧田医師がすっとんきょうな声を上げた。それがずいぶんと遠くに聞こえるな、と思ったときには、もう詩織の意識はほとんど呑まれかかっていた。


 そして、落ちる寸前。

 詩織の耳に残ったのは、マリアの甘いささやきだった。



「おやすみ詩織ちゃん。せっかくだから、良い夢を……」




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