December 17 (Mon.) -3-
一気に力が抜ける思いだった。そんな詩織の表情はよほど間抜けだったらしく、アンジュが軽く噴いた。
「そんな顔をしていないで。言いたいことあるなら言ってしまいなさい。もう、大丈夫だから」
「……!」
詩織はうなずいた。それからそっと見上げると、アズマも黙って手を離してくれた。立ち上がろうとして少しよろける。しかし倒れなければそれでいいと思えた。
「わ、わたし……ツカサさんのこと、すごい人だとは思ってます」
アンジュの横まで歩いていく。10メートル近く離れて油断なくたたずむ葉沼のその向こう。苦い表情をしているツカサを、まっすぐ見やる。
「いろんなことを、自分でなんとかしたいって思ってて。それだけじゃなくて、考えて行動して、本当になんとかできちゃうこと、多いんですよね……」
「――ハヌマ!」
ツカサが遮ったのと同時に葉沼が前へ出ようとした。
しかし詩織は動かなかった。代わりにアズマとアンジュが鋭く相手を制した。
「動くな、葉沼」
「まったく。ひとの話は最後まで聞きなさいな」
「お前達……!」
葉沼が不自然に身体をひねる。よく見ると左足が床から離れないようだ。まるで誰かの“手”が強くつかんで押さえつけているように。
もう1人、詩織が初めて見る少年もいるが、そちらは「どうしたらいいかわからない」といった様子でおろおろしていた。
「詩織ちゃん、続けて」
アンジュがそう言ってくれたので、他の人間は気にしないことにした。
ツカサだけに意識を集中させて息を吸い込む。
「だけど、できちゃうことの方が多いから。できないことがあると……不安になるんですよね? なんとかしないとって、余計に焦ってしまうんですよね」
ツカサの表情が少しずつ強ばってきた。詩織にもわかるほどだから、他の人達にもきっと伝わっているだろう。“ヘクセ”は皆が血縁で、家族のように近しい距離で過ごしてきたはずだ。
「ツカサさんが、ツカサさん達、SPMの存在を知ってほしいっていうのはわかるんです。だけどそれと、力を見せつけて怖がらせることは違うんじゃないでしょうか? それだと“力”のない人は、ツカサさん達を受け入れられないと思うんです! そうなったら、SPMの人達を“守る”ことにならないんじゃないですか……!?」
言葉がとぎれると、恐ろしいほどの静けさがその場を覆った。
詩織は一瞬だけくじけそうになったが、そこでぽんと肩をたたかれた。右を見るとアンジュが。左をふり返るとアズマが。励ますようなまなざしを向けてくれている。
1人ではない。
そのことがこんなにも支えになるのだと、詩織は初めて知った。
「居場所なら……もう、ちゃんとここにあるのに」
本当は、自分が正しいという絶対の自信などない。うまく伝えられているかどうかもわからない。
それでも詩織は言わずにはいられなかった。
「このままじゃ、この場所だって壊れちゃいます! “家族”に悪いことをさせたり、傷つけたり……そんなことしてたら、いつか、家族からも恨まれるようになっちゃったり、しませんか?」
これまで見てきた限り、今のアズマとツカサがいい関係でいるとはとても思えない。過去の2人は、お互いを思いやっている間はあんなにも幸せそうだったのに。
それを思い出しながら、一層力を込めて、詩織は叫んだ。
「全部を思うとおりになんて、誰にもできないんです。それなら――わたしだったら! みんないっしょに、笑って過ごせる方がいい!」
「――黙れ」
ツカサの抑揚のない声。即座に言い返したのはアンジュだった。
「私は同じ“M”だから、あなたの気持ちも少しはわかるつもりよ。でもね。SPPやSPMの存在を知らしめるにしても、人を助ける方向に力を使うことだってできたはずよね? ただしそれは時間もかかるだろうし、理解してもらえるかどうかわからない。……つまりそういうことなのでしょう?」
「……」
「あなたは自分の望みをかなえるために、最も楽な方法を選んだの。それだけは自覚した方がいいわ」
いまだ答えは返らない。アンジュは無造作に前髪を払い、かすかに苦笑を浮かべた。
「あなたは人の思考を読むことができる。必然的に大量の情報が手に入るわけだけれど、それを選別する術が未熟ね。自分の見たいものしか見ていない。大方の“普通の”人間と同じように。そういう意味では詩織ちゃんの方がまだオトナかもしれないわ」
とん、とん。
つま先を床に打ちつけて、アンジュは不意に語調を強くした。
「この辺りにしておきましょうか。そろそろ、本気でいかせてもらうわね」
「……どうするつもりかな、黒井アンジュさん」
ようやく問い返した声は力ないものだった。
そんなツカサに向かい、堂々と、アンジュは宣言した。
「決まっているでしょう。詩織ちゃんを連れて、全力でここから逃げるわ」
* * * * *
不意に、マリアは目を開いた。むくりと起きあがって牧田医師を見ると、気配に気づいたらしい牧田も目を覚まし、椅子から背を離した。
「どうした」
「センセ、車で来た? 運転はできるんでしょ?」
「そりゃできるが……急にどうした」
「行かなくちゃ」
「あん?」
「あんなカッコじゃタクシーも呼べないだろうから。迎えに行くの。連れてってくれない?」
「待て待て待て。行くったってこんな時間に」
「お願い」
甘えるように上目遣いをすると、牧田は気味悪げな表情で見返してきた。可愛らしさアピールのおねだりは失敗のようだ。
それでもすぐに、ため息混じりでうなずいた。
「ま、仕方ねーな……相川からはお前さんの指示を聞けと言われてるしな」
「……ありがと」
頭の芯はいまだにうずく。しかしマリアはそれを無視して、勢いよくふとんをはねのけた。
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