December 17 (Mon.) -2-
ツカサが心外そうに目を細めている。当たり前だろう。萎縮しかかりながら、なぐられた腹部の痛みに耐えながら、詩織は勇気をふりしぼって先を続けようとした。
しかしそれをツカサが遮った。
「僕はトールと話をしている。僕達と偶然関わっただけの他人に、口を出してほしくないな」
「でも……!」
反論しようと身体をひねった拍子に、指先がぬるりとすべった。詩織ははっとアズマを見上げる。じっとツカサを見るアズマの顔色は冴えない。詩織の肩を押さえている手から、熱を感じられない。
それからおそるおそる自分の指を見る。そこには黒っぽいモノが付着して、まだら模様になっていた。
ぐっと胸が詰まった。とっさに唇を噛んで涙をこらえる。泣いている場合ではないのだ。ここで言うのをやめてしまったら、きっと後悔する。
「『でも』、何かな」
「……わたし……ツカサさんとアズマさんが、ずっと、見えてました」
「……何を見たというんだい」
「たぶん、だけど……昔のこと。ツカサさんの、思い出……?」
驚いた顔をしたのは、ツカサのうしろの2人だった。当のツカサは少しだけ顔をしかめ、苦笑した。
「同調しすぎたか。こちらの記憶が逆流したのは初めてだ。そういう可能性もあると考えたことはあるけどね。……それにしても、君は他人に対する心理的な壁があまりに薄いんだね。おもしろいな」
ツカサが意味ありげに微笑した。
「もしかしてそれは、君の特別な“生い立ち”に関係しているのかな?」
詩織は一瞬、言葉を失った。自分もまたツカサにすべてを知られていたというのは、少し考えればわかることだった。
しかし動揺はすぐに消える。
むしろ、急にふっきれた。
「そうです……わたしは、普通の生まれじゃないかもしれません。だけど、あなたとは違います、ツカサさん」
相川、とアズマがささやいた気もするが、もう止まらなかった。
自分は思いのほかいろいろなことに怒っていたらしい。どこか頭の冷静な部分がそう分析した。詩織はそんな自分に、内心で驚いた。
「自分のために、ひとを傷つけたいなんて思いません。それはやっちゃいけないことです! なのにあなたは、自分の家族も――!」
暗い光景が脳裏をよぎる。
カーテンを閉め切った部屋で、自分は――たぶんツカサは――床を見下ろしている。
足下には黒髪の少年がうずくまっていて。
少年は、両手をガムテープでぐるぐるに巻き固められていて。
――お前の能力について詳しく知るためだ。いうことを聞きなさい。
――いやだ……できないよ……
――死にかけの汚らしい野良犬だ。なぜためらうことがある。
お前の力を見せてみなさい。
あの犬の心臓を、その“左手”で止めるんだ。
それでも小さく首をふる少年に向かい。
手にしていた電気コードが鋭く風を切った。
「……どうして、そうなっちゃったんですか……?」
いやな感触がまとわりついている気がした。詩織はぎゅっと両手を握り、ひとつ息を吸って、必死に気持ちを落ち着ける。
熱くなりすぎてはいけない。本当に伝えたいことがわからなくなる。
「あんなこと、しなければよかったのに。ツカサさんだって、本当はわかってるはずなのに……1番大事なものから、よけいに遠ざかってる、こと」
ざり、と。
足をずらした音が異様に大きく響いた。
「記憶を少しのぞき見たくらいで。志もなく温い日常を生きる小娘が、僕を語らないでくれないか」
冷たい冷たい声が降ってきた。詩織はびくりと首をすくめる。しかしすぐに、顔を上げた。
「そんなの関係ない! もう、気付かないふりはやめてください! ツカサさんはっ」
「黙れ」
葉沼がすっと前へ出た。とっさのことですくんだ詩織に、手を伸ばしてくる。
視界がスローモーションになった。アズマに身体を強く引き寄せられたのも、どこか遠いできごとのようで――
しかしその最後に、風が頬をかすめた。
「ふふ……よくがんばったわね、詩織ちゃん」
ぱちぱちとまばたきすると、目の前にあるのは恐ろしげな男性の姿ではなかった。
「……あ……」
「黒井アンジュ!」
長い黒髪のうしろ姿、そのずっと向こうから葉沼の低い声が聞こえた。
アンジュが肩越しにふり返った。顔も服もあちこち汚れている。それでも表情は涼やかだった。もしかしたら無理をしているのかもしれないが。
そんなアンジュはふと、決まりが悪そうに微笑した。
「あの時はごめんなさい。遅くなったけれど……助けに来たわ」




