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-BLACK MARIA-  作者: 高砂イサミ
9th episode
42/66

December 16 (Sun.) -7-


 何か思う暇もなかった。とっさに詩織の手を下から打ち上げ、腹部に拳の一撃。ナイフは飛んで床をすべっていった。詩織が身体をくの字に曲げる。そのまま倒れかかったのを抱き止め、すぐさま顔をのぞきこんだ。手加減はしたつもりだが、相手はなんの訓練もしていない女の子だ。

 詩織は苦げではあるが、しっかりと呼吸をしていた。アズマは思わずほっと息を吐いた。

 そして顔は上げないまま、近づいてくる足音に向けて口を開く。

「ツカサ。これ以上……まわりを巻き込むな」

 すぐさま返ってきた答えには、強い苛立ちの響きがあった。

「僕に意見していいと言った覚えはないよ。そこまで堕落してしまったのか、お前は」

「ツカサ!」

「仕方がないな。彼女の処分は後だ。その前に、お前を躾し直す必要があるらしい」

 腕が震える。切り傷で血まみれの両腕は脈打つような痛みを訴えている。

 それでももう少し強く、詩織を抱きしめた。

「来るな」

「トール。僕の言うことを聞きなさい」

 アズマは顔を上げた。初めて正面からツカサを見据える。

 難しい顔の葉沼と今にも泣きだしそうな新とを従えて、ツカサはゆっくりとこちらへ向かってくる。

「違う……“トール”じゃ、ない」

「新しい名前は、僕達が生まれ変わるための決意の現れだ。それを拒むのかい? いつからそんな聞き分けのない子になったのかな?」

「お前こそ、いつからそんな風になった」

「僕は最初から今の僕だよ」

 アズマの目の前で立ち止まったツカサは、絵画のように模範的な笑みを浮かべた。

「厳しくするのはお前のためを思ってのことだ。何度も教えただろう。それさえ、まだ覚えられないのかな」

 優しげで深い声音にくらくらする。

 少しでも気を抜けば呑まれかねない――以前と同じように。

「運命から逃げてはいけない。立ち向かわなければならない。そのために、僕についておいで、“トール”」

「……!」


「ちが、う――」


 否定の言葉はアズマが発したものではなかった。

 詩織がぎゅっと身体を縮め、指先でアズマの服をつかんだ。そのそで口は赤黒く汚れている。自分の血がついてしまったのだろうかと、うまく動いてくれない頭でアズマは思う。

 詩織がまた口を開いた。ひどくふるえて今にも消え入りそうな声だった。

「違います……そうじゃ、ない」

「暗示が弱まってしまったか。だけどそこまではっきり意識を取り戻すとは思わなかったよ」

 ツカサは意外そうに、不快げに、詩織を見下ろした。

「それで。何が“違う”のかな」

 不意に詩織は顔を上げた。アズマはようやく気がついた。

 詩織の強いまなざし。怯えは隠せていないものの、それ以上に、強い決意が見て取れた。

 そして声を詰まらせながらも、詩織は言い切った。


「まちがえないで、ください。ツカサさんが、ほんとにほしいもの、は……それじゃない……!」



            * * * * *



 戦力は五分五分といったところだった。2対1で、だ。

 リョウの格闘の技量は若干ながら葉沼に劣る。アシヤは他のSPMと同じく、並程度での身体能力しかない。厄介なのは2方向からの攻撃に対応しなければならないこと、1点のみ。それさえ見極めてしまえばやりようはある。

 アンジュは勢いをつけて壁を駆け上った。天井に手をつく。片足ずつで壁と天井を蹴る。落下に加速を加え、リョウを強襲する。

「まるで猿だな……!」

 膝蹴りをステップでかわしたリョウが言い終える前に、アンジュはとんぼ返りをうって2人から距離をとった。

 アシヤがひたいに汗を浮かべながら目と手のひらでこちらの動きを追っている。どうやら彼の能力の弱点は、影響範囲が狭いこと。標準を超える速い動きにはついてこられないようだ。

「女性に対してその言いぐさ? 失礼な男――ね!」

 再び跳躍。さすがにアンジュの呼吸も乱れてきているが、止まればアシヤの衝撃波の餌食だ。

 リョウに回し蹴りをくらわせる。防がれるのは想定内。そのままの勢いで、視線はリョウに向けたままアシヤを狙う。

「う、わ――」

 よけようとしたアシヤがバランスを崩した。この機を逃す手はない。追い打ちで突きだしたアンジュのこぶしがアシヤのみぞおちを捉え、廊下の向こうまでふっ飛ばした。

 と同時に自身も脇腹を蹴り上げられた。ある程度は覚悟していた。衝撃に逆らわず床を転げて可能な限りダメージを軽減する。

「どこまで我々の邪魔をすれば、気が済むんだ……!」

 再び身体を起こしたと同時にリョウの苦い声が聞こえた。アシヤを一瞥して起きあがってこないのを確認し、アンジュは血のにじんだ唇をわずかに歪めた。

「“我々”、ね。都合のいい言葉だわ」

 リョウをじっと見据える。ひどい痣になっているだろう腹部に手を当てながら、ゆっくりと立ち上がる。リョウもまた顔をしかめて胸の辺りをおさえている。ダメージは同等。体力なら、アンジュが上だ。

「もう1度だけ……聞いてもいいかしら」

 ほんの少し余裕が戻った。アンジュは身構えつつ問いを投げた。

「こうして私と戦っているのは、あなたの意志なの? 本当に?」

「……なぜそんなことを聞く」

「あら、今度は即答しなかったわね」

 ぴくりと眉をひそめるリョウに、あえて頬をゆるませ、優しく、諭すように語りかける。

「私の目からはそう見えないの。ねえわかっている? あなた方が絶対的に信用している“神崎ツカサ”という人物、あれだけ強力に他人を支配して操ることができるのよ。おそらく、思考だけを操作することもわけなくやってのけるわ」

 言葉を切って様子を窺う。初めて、リョウの表情に動揺が浮かんでいた。

 アンジュはわざとらしく首を傾けて見せた。


「あなた達は神崎ツカサに従って動いているのでしょう? その行動、彼に操られていないと言える? 自信を持って言い切れるの?」


 返答はない。しかしそれはアンジュにとってどうでもよかった。

 目的はただ、リョウに隙を作らせること。

「!!」

「遅いわ」

 アンジュのハイキックはリョウの首に極まった。1歩2歩とよろけてから、リョウは緩慢に倒れ込んだ。

 そのまま、動かない。

 ようやくアンジュは緊張を解き、膝に手をついて荒く息をついた。体力も時間も思った以上に消耗してしまった。向こうはどうなっているだろう。

「早く……行かないと」

 自分を励ますようにつぶやいた。

 そして最後の敵を、厚い防火シャッターをきっと睨みつけた。



            * * * * *



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