December 16 (Sun.) -6-
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夢――
というには、少しばかり生々しすぎる。
詩織にもだんだんとわかってきた。
これは……“過去”。おそらく、神崎ツカサの記憶だ。
今度は白い清潔な室内が見える。ここは『訓練場』と呼ばれているが、白衣の大人達の認識では『実験室』だ。けれど集められた子供達はそれに気付いていない。子供達の親は、気付いていても何も言わない。
そんな詩織の知るはずもない情報が、どんどん流れ込んでくる。
――あの子のSPP極大値、なかなか上がらないな。
――カリキュラムを作り直した方がいいか。
――前回の訓練、効果ありだ。もう少しやらせてみよう。
そう……『僕達』は実験動物。
身体の解剖をされない代わりに、それ以外をすべて見られて、調べられる。
――ニホンはこんなにいい素材をなぜ放っておくのか。
我々には理解しがたいな――
『……ねぇおにいちゃん、どうしたの?』
手を握られてはっとした。下を見ると、幼い少年がじっと見上げてきている。
頬がゆるんだ。なぜか、この歳の離れた弟からは裏側の声が聞こえない。身構えることなくいっしょにいられる。
なんでもないよ。
『でも、こわいかおしてたよ』
そうか。ごめん。大丈夫だからね。
くしゃくしゃと頭をなでてやる。弟は「なんだよー」とくすぐったそうに笑った。
……けれど、こんな幸せそうな笑顔は、まだ何も知らないからこそだ。
この子を守らなくては。
いつからかそう思うようになっていた。
それから数年経って。
両親が死んだ。急性の心臓麻痺だったようだ。
SPMであるかなしかに関わらず、“M”にはそんな最期が多い。もともと黒川麻里が持っていた因子が、近い遺伝子同士の結合で顕在化したのかもしれない――と、研究所の側では推測しているようだ。しかし被験者側にそんな説明はされない。誰もそのことを知らない。
だから研究所の目を盗んで、1人1人と話し始めた。国際研究所とニホン政府の取り決め。それが破綻したこと。今の自分たちが置かれているのはどういう状況か。
研究員達の思考を読むことができる自分は“裏側”の情報源に事欠かない。それを皆にも教えるべきだと思った。
誰もが驚きと憤りをもってそれを聞いた。皆が自分の嘆きに同調した。
そんなことをくり返すうち、また新たな使命感が芽生えた。
彼らを救えないだろうか。そのために自分はこの能力を得たのではないか、と。
それから考えに考えた。どうするべきなのか。
計画を練り、改めて話しに行くと、全員が賛同してくれた。自分達はここにいる。「いてもいい」ではなく「いるべき存在」なのだと世界に示すための戦いを、誰もが歓迎した。
最後に弟を呼び出した。
他の皆と同じように、きっと喜んで協力してくれると思っていた。
なのに。
『――なんで、そんなことしなきゃならないんだ?』
そう答えた怪訝そうな表情は忘れられない。
なぜだろう。
なぜわかってくれないんだろう。
こんなにも自分は、皆を……弟を想っているというのに。
な ぜ 。
『兄さん?』
まだ子供だからわからないのだろうか。
ならば。
わからせる必要が、ある――
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アズマは反射的に身を引いた。ナイフの刃は腕をかすめていった。
血がにじむ程度の切り傷ですんだようだ。見なくても感覚でわかる。しかし詩織は続けざまに斬りつけてくる。
「相川!」
呼びかけた一瞬、反応があった。しかし、詩織はすぐにまた攻撃態勢に入る。かなり深いところまでツカサに支配されてしまっているようだ。
アズマは身構えた。どうすれば暗示が解けるかは知らない。だからとにかく、凶器を奪って動きを封じるしかない。幸いナイフをふり回す詩織の動きは雑だ。隙をうかがい、タイミングを見てすばやく手を伸ばす。
が――
「動くな!」
ツカサの強い声に、びくりと身体が震えた。左腕にわずかな衝撃。これも大した傷ではない。服のそでと皮膚が薄く切れただけだ。
ただ、その下からのぞいているはずのものを、アズマは直視できない。
「逃げるな。目を逸らすな。刻まれた証を、僕への忠誠の誓いを思い出せ」
何を言っている、と心の中で叫ぶ。
一方的に押しつけておいて。こちらの話など何ひとつ聞かないで。
その上、“これ”を。
「っ!」
腕をさらに数か所と、脇腹を裂かれた。そろそろ痛みをごまかしきれない。
それなのに――身体がうまく動かない。
顔を狙われた。とっさに腕をかざした瞬間、それが見えてしまった。
左上腕にはやけどの跡がある。
雷を模したような形は、自然についたのではない。
ツカサの手によって刻みつけられたものだ。
「――相川」
折れそうになる膝をかろうじて支えながら詩織に意識を集中させる。倒れるわけにはいかない。ここで、崩れるわけには。
「目を覚ませ……!」
何もしてやれない無力感が胸を刺す。どうすれば詩織を救うことができるのか。
こんなことに巻き込んでしまった彼女を、どうすれば。
「さっさと終わらせればいいものを。どうあがいたところで、お前はここへ戻ってくるほかないんだ」
うるさい。
なぜそんなことがわかる。
「……まだ、お仕置きが足りないのかな?」
ツカサの低い声と同時に、詩織がナイフを持ち直した。両手で掲げたのを見て「刺される」と直感し、ぐっと歯を食いしばる。
直後に鋭い熱が左肩を襲った。
しかし、覚悟したほどではなかった。
「……い……や……っ!」
ふり絞るような、かすかな悲鳴が耳に届いた。見下ろすと、手をぶるぶる震わせながら詩織が涙を流している。ナイフはほんのわずかに刃先を食い込ませているだけだ。
詩織がよろけるようにうしろへ下がった。アズマははっとした。
いつの間にか、ナイフの切っ先は詩織自身に向けられていた。




