December 16 (Sun.) -5-
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夢を見ていた。
自身の夢ではない。夢の中で、詩織は少年になっていた。
『ちょっと、いいかしら』
お母さん? 何?
『昨日遊んでいた子は誰?』
え? むこうのかどの……
『ダメよ、あまり外に出たら。あまり、外の人と関わったら』
どうして?
――あなたは普通とは違うから――
『習い事がいっぱいあるでしょう? いつも忙しいんだから、何もないときは休んでいた方がいいわ』
う、うん……
『いい子ね。他にやりたいことがあったら、何でも言いなさいね』
――研究所から、『能力開発のため』と言われていることだし――
……うん。わかった。
だけど。
どうしてお父さんからもお母さんからも、ちがうことばがいっぱい聞こえてくるんだろう。
ほかのおとなだってそうだ。
いやなことばが聞こえないのは、ひとりだけだ――
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「どうした。早く、こちらへおいで」
本当はこの声を聞きたくなかった。この状況が最も怖かった。
もう少しで思考も身体も凍って止まりそうだ。それを、強くこぶしを握って強引に引き戻した。
「……黒井」
厚いシャッター越しでも、気配でわかる。アンジュはこちらへ来られるような状況ではない。
息を吸う。吐く。2回くり返して、開いたままの奥の扉を睨む。
「今……行く」
迷いを断ち切るためにつぶやいた。
まだなんとか動くことができる。廊下を踏みしめるようにしてゆっくりと進んでいく。
1歩、訓練室の中へ。そこでアズマは立ち止まった。
「おかえり。“トール”」
反響でもしているようにやたらと響くツカサの声。頭の芯を揺さぶられるような錯覚を起こす。
あくまで錯覚だと、自分に言い聞かせる。
「ずっと心配していたんだよ。初めての“外”はどうだった。どんな風に過ごしていたのか、教えてくれないか」
訓練室は、SPP発動に備え、強度と面積を重視して造られた部屋だ。バスケットコートなら2面とれる緑の床とクリーム色の壁。以前はいろいろな機材や道具が置いてあったが、今はすべて取り払われてしまった。
何もない部屋の一番奥で、ツカサはいつものように椅子にかけている。そのうしろから様子を窺っている耶麻。横には複雑な表情のシンもいる。葉沼が鋭い目つきでこちらを凝視している。
そして、詩織がいた。ふらりと葉沼の影から現れ、ゆらゆら揺れながらこちらへ歩いてくる。
「……暗示をかけたのか」
あらん限りの気力をもって、アズマはツカサを睨んだ。のどが乾いてあまり大きな声は出ない。それでもツカサには聞こえたようだった。
「もうすっかりなじんだよ。精神に入り込むのもとてもやりやすかった。きっと素直ないい子なんだろうね」
「相川は、関係ない」
「ああそうだね。どんな人間であろうが、彼女は我々と血のつながりのない、まったく関係のない他人だ。だから僕達には必要ない。……お前にとっても、必要ないはずだ」
「ツカサ」
「だから、命じよう」
ツカサは詩織に指を向け、悠然と微笑した。
「トール、相川詩織の心臓を止めろ。お前のその“左手”で」
アズマは絶句した。いやな汗がにじむ。指先が、身体の奥が冷たくなる。
ツカサは下ろした手を膝の上で組んだ。そしてさらに、優しげな言葉を重ねる。
「大丈夫。できるはずだよ。“あの時”はちゃんとできたじゃないか」
「……!!」
そのことは思い出したくない。
目の前が暗くなる。心臓をつかまれたように胸が痛む。
アズマは半ば無意識に左手を押さえた。ちょうどその時、目の前で詩織が立ち止まった。そのまなざしはぼんやりとして、どこを見ているかわからない。
「やりなさい。トール」
命令。絶対の強制力。
ツカサの下にいる間、逆らうことなどできなかった。許されなかった。
その呪縛は今も消えない。
けれど。
「何を……ぐずぐずしている?」
アズマは動かない。ツカサの声にはわずかに苛立ちが混じった。
「…………ない」
ツカサの視線を感じる。静かな怒りも。トオル、と息を呑んだのはシンだろうか。
顔をうつむけ、アズマはやっとの思いで声を絞り出す。
「できない。もう、こんなことはやめてくれ、ツカサ」
息を吐ききったあとの恐ろしい沈黙は、永遠に続くかとも思えた。そして。
「……。そうか」
聞こえてきたのは予想外の返事だった。
驚いて目を上げると、ツカサは無表情にこちらを見ていた。
いや。見ているのは詩織の方か。
「そうか……そういえばお前は、昔から無抵抗なものの相手はいやがっていたな」
アズマはぎくりとする。ツカサがこういうけだるげなもの言いをするときは、決まって何かろくでもないことを考えている。
「ツカサ。何を」
「それなら、これで相手をしやすいか」
詩織が身じろぎをした。と思った矢先、後ろに隠していた手を大きく振り上げる。
ナイフの刃が光り、アズマめがけて、まっすぐに振り下ろされた。




