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-BLACK MARIA-  作者: 高砂イサミ
9th episode
40/66

December 16 (Sun.) -5-



            + + + + +



 夢を見ていた。


 自身の夢ではない。夢の中で、詩織は少年になっていた。


『ちょっと、いいかしら』

 お母さん? 何?

『昨日遊んでいた子は誰?』

 え? むこうのかどの……

『ダメよ、あまり外に出たら。あまり、外の人と関わったら』

 どうして?


 ――あなたは普通とは違うから――


『習い事がいっぱいあるでしょう? いつも忙しいんだから、何もないときは休んでいた方がいいわ』

 う、うん……

『いい子ね。他にやりたいことがあったら、何でも言いなさいね』


 ――研究所から、『能力開発のため』と言われていることだし――


 ……うん。わかった。


 だけど。

 どうしてお父さんからもお母さんからも、ちがうことばがいっぱい聞こえてくるんだろう。

 ほかのおとなだってそうだ。


 いやなことばが聞こえないのは、ひとりだけだ――



            + + + + +



「どうした。早く、こちらへおいで」


 本当はこの声を聞きたくなかった。この状況が最も怖かった。

 もう少しで思考も身体も凍って止まりそうだ。それを、強くこぶしを握って強引に引き戻した。

「……黒井」

 厚いシャッター越しでも、気配でわかる。アンジュはこちらへ来られるような状況ではない。

 息を吸う。吐く。2回くり返して、開いたままの奥の扉を睨む。

「今……行く」

 迷いを断ち切るためにつぶやいた。

 まだなんとか動くことができる。廊下を踏みしめるようにしてゆっくりと進んでいく。

 1歩、訓練室の中へ。そこでアズマは立ち止まった。


「おかえり。“トール”」


 反響でもしているようにやたらと響くツカサの声。頭の芯を揺さぶられるような錯覚を起こす。

 あくまで錯覚だと、自分に言い聞かせる。


「ずっと心配していたんだよ。初めての“外”はどうだった。どんな風に過ごしていたのか、教えてくれないか」


 訓練室は、SPP発動に備え、強度と面積を重視して造られた部屋だ。バスケットコートなら2面とれる緑の床とクリーム色の壁。以前はいろいろな機材や道具が置いてあったが、今はすべて取り払われてしまった。

 何もない部屋の一番奥で、ツカサはいつものように椅子にかけている。そのうしろから様子を窺っている耶麻。横には複雑な表情のシンもいる。葉沼が鋭い目つきでこちらを凝視している。

 そして、詩織がいた。ふらりと葉沼の影から現れ、ゆらゆら揺れながらこちらへ歩いてくる。

「……暗示をかけたのか」

 あらん限りの気力をもって、アズマはツカサを睨んだ。のどが乾いてあまり大きな声は出ない。それでもツカサには聞こえたようだった。

「もうすっかりなじんだよ。精神に入り込むのもとてもやりやすかった。きっと素直ないい子なんだろうね」

「相川は、関係ない」

「ああそうだね。どんな人間であろうが、彼女は我々と血のつながりのない、まったく関係のない他人だ。だから僕達には必要ない。……お前にとっても、必要ないはずだ」

「ツカサ」

「だから、命じよう」

 ツカサは詩織に指を向け、悠然と微笑した。


「トール、相川詩織の心臓を止めろ。お前のその“左手”で」


 アズマは絶句した。いやな汗がにじむ。指先が、身体の奥が冷たくなる。

 ツカサは下ろした手を膝の上で組んだ。そしてさらに、優しげな言葉を重ねる。


「大丈夫。できるはずだよ。“あの時”はちゃんとできたじゃないか」


「……!!」


 そのことは思い出したくない。

 目の前が暗くなる。心臓をつかまれたように胸が痛む。

 アズマは半ば無意識に左手を押さえた。ちょうどその時、目の前で詩織が立ち止まった。そのまなざしはぼんやりとして、どこを見ているかわからない。


「やりなさい。トール」


 命令。絶対の強制力。

 ツカサの下にいる間、逆らうことなどできなかった。許されなかった。

 その呪縛は今も消えない。

 けれど。


「何を……ぐずぐずしている?」


 アズマは動かない。ツカサの声にはわずかに苛立ちが混じった。

「…………ない」

 ツカサの視線を感じる。静かな怒りも。トオル、と息を呑んだのはシンだろうか。

 顔をうつむけ、アズマはやっとの思いで声を絞り出す。

「できない。もう、こんなことはやめてくれ、ツカサ」

 息を吐ききったあとの恐ろしい沈黙は、永遠に続くかとも思えた。そして。

「……。そうか」

 聞こえてきたのは予想外の返事だった。

 驚いて目を上げると、ツカサは無表情にこちらを見ていた。

 いや。見ているのは詩織の方か。

「そうか……そういえばお前は、昔から無抵抗なものの相手はいやがっていたな」

 アズマはぎくりとする。ツカサがこういうけだるげなもの言いをするときは、決まって何かろくでもないことを考えている。

「ツカサ。何を」


「それなら、これで相手をしやすいか」


 詩織が身じろぎをした。と思った矢先、後ろに隠していた手を大きく振り上げる。

 ナイフの刃が光り、アズマめがけて、まっすぐに振り下ろされた。



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