December 16 (Sun.) -3-
「……来たのかな?」
いつもの椅子にもたれて目を閉じていたツカサが、不意に口を開いた。すぐ近くでは耶麻がリノリウムの床にぺったりと座っており、ツカサの言を受けて遠くを見るように首を伸ばす。
「うん。トオルと、アンジュさんの2人。マリアちゃんはいないみたいだ」
「トオルも来たのか」
葉沼をはじめとしたメンバーから驚きの声が上がった。
1人、ツカサは微笑んだ。その様子に葉沼が眉根を寄せる。
「まだトオルを連れ戻そうとお考えなのですか。彼は、もう――」
ツカサが目を上げた。視線が葉沼を射抜く。
「なぜそんなことを言うのかな」
「も……申し訳ありません」
「いや、僕こそすまない。君の言動はいつでも“ヘクセ”の最善を思ってのこと。それはわかっているよ」
ツカサの表情がまたやわらいだ。葉沼が萎縮するように視線を落とし、その頭上にツカサの声が降った。
「思い出そう。僕達がどんな道を歩んできたか。国家に切り捨てられ、それに気付く機会も与えられず、被研体として生きざるをえなかった。それはトールも同じこと。――それに彼は、僕と同じ“第3世代”だ」
葉沼のすぐとなりで棚戸が無表情に口を開く。
「第3世代。黒川麻里の曾孫。“Mの系譜”同士の掛け合わせ」
「黒川麻里の血を濃く受け継ぎ、SPMを多く排出」
「代償として社会と隔離」
「第2世代を含めて知らないことすら知らされなかった」
「“師”、あなたが現れるまでは――」
申し合わせたように順に声が上がった。それはまるで、ツカサ自身の言葉のように。
ツカサは一同をぐるりと見渡した。その中に、ぼうっとした顔でたたずむ詩織の姿もあった。
「トールにはそのことをもう1度思い出させてやればいい。だけど……あの姉妹は、少し邪魔かな」
ざわりと空気が波立った。
座り直したツカサは自分の脚にひじをつき、手指を組む。
「そろそろ政治の中枢に切り込む頃合いだ。そのためには、不安要素はできる限り減らしておかなければならない。そうは思わないか」
元から床に座っていた耶麻を除き、全員が一斉にひざまずいた。詩織も例外ではない。ツカサは満足げにうなずいた。
「まずは今日、黒井アンジュに退場願おうか」
宣言と共に1人が立ち上がった。他の者と同じ黒い髪に、一部だけまっ赤なメッシュが入っている。
「アシヤ。君が残ってくれていて良かった。リョウと行ってほしい。黒井アンジュの方をお願いするよ」
「喜んで」
うなずいた少年の瞳が金色に染まる。
そしてツカサの視線は詩織に向けられた。
「君は僕とトールを迎えよう。おいで、シオリさん」
詩織はこっくりとうなずいた。その手には、大振りなナイフが握られていた。
* * * * *
建物の扉は2人が近づくとひとりでに開いた。電子式のスライドドアはカードロック式だ。これはツカサに出迎えられたと考えていいのだろう。
「黒井」
すぐにも突入しようとしたアンジュをアズマは引き止めた。
「なに?」
「先に言っておく」
ポケットからe-phoneを取り出してみせる。アンジュは軽く目を見開いた。
「それは先生の?」
「借りた」
「何かあっても連絡はとれるということね。覚えておくわ」
アンジュも自分のスラックスのポケットをたたいた。
「それで、神崎ツカサがどこにいるかというくらいの見当はつくのかしら」
アズマは目を細めた。できる限り詳しく、中の構造を思い出そうとする。
「……いつもなら訓練室。奥の1番広い部屋だ」
「見取り図はないのかしら」
「最初に処分していた」
「念の入ったことね」
「今、そこにいるかはわからない」
わかっているというように、アンジュが肩をすくめた。
その時だった。
『アンジュさん、トール。よく来たね』
若干のノイズと共に館内放送が流れてきた。アズマは思わず身構えた。その横で、アンジュが平然と腰に手を当てた。
「聞こえていると信じてお返事するわ。詩織ちゃんはどこかしら?」
『……詩織さんなら僕のとなりにいるよ』
「そう。ではすぐにそちらへ向かうわ」
『驚いたな。アンジュさん、君も意外と本気で彼女の心配をしているのか』
ツカサの声は本当に意外そうだった。アンジュの苦笑いが視界の端に映った。
『マリアさんの邪魔がないからね……君もある程度の思考防御は心得ているようだけど、強い感情は伝わってくる』
「悪い?」
『いや。こうして君を招くことができたのだから、僕も彼女には感謝を捧げよう』
「それで? あなたは今どこに?」
含み笑いが、機械音声に混じった。
『訓練室だ。場所はトールに聞くといい。楽しみに待っているよ』
ぷつりと電波がとぎれる。と同時にアンジュがアズマに顔を向けた。凄まじくいい笑顔だった。
「案内、してくれるのよね?」
「……」
アズマは体の向きを変えてアンジュをふり返った。アンジュが1歩踏み出す。どちらからともなく小走りになり、清潔な廊下を進んでいく。
白壁が続く幅広の廊下。研究所というより病院のような印象だ。変わっていない。なつかしい感覚に、軽い吐き気をもよおす。
帰ってきたとは思わない。ここは、『違う』。
それよりもむしろ「帰れるだろうか」と考えた自分に、アズマは少なからず驚いた。
「アズマ君。確認していいかしら」
斜めうしろから声をかけられた。答えずにちらりと視線を投げると、アンジュは続けた。
「あなたのこと、信じていいのよね?」
「戻らない。約束する」
アズマは即答した。内心で竦む自分に言い聞かせるためでもあった。ただ、迷いはない。自分の意志に嘘はついていない。
「わかったわ。ごめんなさいね、つきあわせてしまって」
「火種を持ち込んだのは俺の方だ」
「……あの時あなたは、他でもない私達の前に現れた」
ふと、アンジュがつぶやいた。
「不思議ね。“運命”なんていううさんくさい言葉を信じたくなるわ」
この建物はそこまで広大ではない。もう1区画を過ぎれば目的の部屋だ。
2人は徐々に加速する。まず先に、アズマが角を折れた。
瞬間。
「!!」
背後でアンジュの飛びずさる気配がした。急ブレーキをかけて身体を返すと、黒コートのうしろ姿がアンジュとの間に割って入っている。髪のメッシュの色に、アズマは息を呑んだ。
「アシヤ!」
天井がガシャンと鳴った。と思うやがらがらと音を立ててあっという間に防火シャッターが下りた。この施設のシャッターは厚い。にも関わらず、その向こうから爆発のような轟音が聞こえてきた。
アズマはとにかくシャッターに手をかけようとした。
しかし、その寸前で身体は凍りついた。
「そこにいるね。さあ……入っておいで」
自動扉の開くかすかな音。そして、奥からツカサの声が響いた。
* * * * *




