December 15 (Sat.) -11-
アンジュさっと青ざめた。アズマが腰を浮かせる。父が、みるみる険しい顔になる。
詩織自身は何が起こっているかわからず、ただ呆然としていた。
『あっさり認めたね、君達の、出自について……』
言葉だけが口をついて出る。止まらない。
『本当はアンジュさんの方が妹……身体が正常に育たなかったのは、遺伝子異常による……か、“黒井クリス”というのは、何者』
「詩織ちゃん!」
アンジュが声を上げた。詩織は顔を歪めて首をふる。それと同時に、「答え」が提示された。
『――黒井マリアの……疑似人格……――』
父が目を見張り、アンジュに顔を向ける。アンジュは仕方なさそうにうなずいた。
その横で「そういうことか」とつぶやいたアズマが、ふと動いた。
『相川、氏……彼は……』
意志に反してしゃべらされているため、呼吸が苦しい。詩織は涙を浮かべながらのどを押さえた。
『国際機関と国内機関……両方に、携わ……て』
「相川」
ぱんっ、と衝撃が走った。
空気が急に肺へとなだれこみ、詩織は思わずせき込んだ。なんとか人心地ついてから目を上げると、アズマに顔をのぞき込まれている。
「戻ったか」
「……あ」
詩織はうなずいた。まだひゅうひゅうとのどが鳴るものの――いまだ、こだまのように“声”が聞こえてくるものの――自分で自分を制御できないような嫌な感覚は薄らいでいる。
ただ、頬がひりひりと痛んだ。かなり強くたたかれたようだ。
「悪い」
「いえ、平気です! ありがとうございます……!」
反射的にぺこりと頭を下げてから、唐突に、自分が口にした内容を思い出す。
クローン。
疑似人格。
それらのすべてに、父が関わっている――
「まずいわね」
アンジュの低い声が聞こえた。詩織は奥歯を噛みしめる。まだだ。まだ、今は優先すべきことがある。
もしかしたら、先ほどツカサに操られていた警備員と同じように、自分も。
「わ、わたし……どうしたらいいんでしょう」
アンジュもアズマも無言で顔をしかめた。
その時だった。
* * * * *
自分を包囲する4人に鋭い視線を投げかけながら、マリアはまた口を開いた。
「歓迎ありがと。だけどそろそろ戻らないといけないんだ、あたし。てゆーかさ、ツカサ氏以外――特にそこのおっきいお兄さん。本当にあたしと仲間になりたいって思ってるの?」
葉沼が眉根を寄せた。歓迎、という雰囲気ではない。
「“師”のご意志だ」
「よくしつけされた犬どもね」
「その表現は聞き捨てならないな。彼らは同士だ。訂正してほしい」
ツカサもさすがにむっとしたようだ。それを承けて、他の4人が殺気立つ。
「僕達は同じ血と遺伝子でつながっている。それは君達も同じだと考えるよ。君達が帰るべきは相川詩織さんのところではなく、我々“家族”のところだ。違うかな」
「――はっ!」
マリアは、思いきり鼻で笑った。
「言っておくけどね。あたしはあんた達のやってることに興味ないの。協力する気も口出しするつもりもないから。だから、こっちに首を突っ込んでこないでよ」
「……マリアさん」
「他に家族なんていらない。今のまま楽しく過ごせればいいの。そっちはそっちで、勝手に仲良くやってれば」
それを聞いたツカサの表情が、態度が、豹変した。
「つまり君は、僕の敵に回るということだね」
一拍置いて、マリアはくすりと笑った。そうしてツカサに向けたまなざしは、どこか憐れんでいるようだった。
「極端な人だなあ」
「不安要素は排除する。そうしなければ我々“M”は生き残れない」
「そりゃあ、そういう犯罪的なことやってれば、ね……」
ふとマリアの頭が揺れる。ツカサが目を光らせた。
「どうしたのかな」
「……おなかの時計がね。ほんと、もう帰る時間だって、さ」
小さなひたいに玉の汗が浮かんだ。それをごまかすように目を細めたマリアは、それでもふてぶてしく腰に手を当てた。
「じゃあね」
「! 葉沼、捕らえろ!!」
はっとした顔でツカサが叫ぶと同時に、葉沼が腕を伸ばした。
が、それよりも早く、マリアの姿は忽然と消えていた。
「なっ……!?」
「“師”。今のは」
棚戸も困惑気味にふり返る。ツカサは無表情に手で口を覆った。
「油断したね」
「申し訳ありません……逃がしてしました」
緊張と、わずかなおびえが混じった。他の3人も同様の反応を見せる。
もう少しの間があって、ようやくツカサは表情を和らげた。
「仕方がない。僕も彼女がここまでやるとは知らなかったからね。人1人規模の空間移動か。……たしかトリトも、移動限界質量は10キログラム程度だったかな?」
無言の肯定。ツカサはひらりと手を上げて応え、つい先ほどまでマリアがいた場所を軽く睨んだ。
「まだ切り札は残っている。このままでは終わらせないよ、黒井マリア」
* * * * *
影が落ちた。
と思った次の瞬間、詩織の目の前に黒髪の少女がどさりと倒れ込んだ。
「マリア!?」
すぐにアンジュがとびついて抱き起こす。少女は湯気が出そうなほど頬を赤く染めて、うつろな黒い眼をゆっくりと開く。
「おね、ちゃん……」
「何があったの、しっかりして!!」
「……いたい」
弱々しく上げかけた手を、アンジュがしっかりと握る。
「あたま……いたいよぅ……」
「マリア!!」
「クリスちゃん……!」
詩織も身を乗り出そうとした。
そこで――身体が固まった。
「まさか、あいつに会ったのか」
「マリア君」
ツカサと父の関心も“マリア”に向いている。ぱくぱくとかすかに口を動かすが、気付いてもらえない。
背中を冷たい汗がつたう。動けない。今度こそ、声さえ上げられなかった。
「先生……」
「ひとまず頭を冷やした方がいい。氷は……調理場か」
「取ってきます!」
アンジュが父にマリアを預け、立ち上がった。
――おいで――
詩織は必死にかぶりを振った。それでも身体は、勝手に動き出していた。
「全員で動いた方がいい」
「私は大丈夫よ。マリアをお願い」
――おいで……相川、詩織さん――
「……助けて……っ」
かろうじて細く上げた声が、誰かに届いたのかはわからない。
わからないままに、詩織の視界はホワイトアウトした。




