December 15 (Sat.) -7-
あまり見ていてはいけないような気がして、詩織はアンジュから目をそらす。
その耳に父の深い声が響いた。
「雷君といい、師君といい、遼一君といい。私の知らない間に、ずいぶんと成長していたのだね」
“リョウイチ”。詩織が首をかしげると、とアンジュが「シバさんのことよ」と教えてくれた。もういつものような落ち着いた声音だった。
「私の知る限りでは、遼一君の“共振”にこれほどの威力も汎用性もなかった」
「先生がおやめになってからずいぶん経ちます。第3世代ほどではないにせよ、リョウイチさん達第2世代にも、まだのびしろがあったということでしょう」
「それから、隠していたということもあるのかな、マリア君のように」
父が心持ち冗談めかすように言った。アンジュは小さく苦笑し、アズマは視線を落とした。
「……俺は、あいつに言われて」
「やはりそうか……」
「SPM検査は、まず第一に自己申告ですし、いくらでも穴があります。ツカサさん自身もなんらかの方法で能力値を低く見せていたのでしょう。『マリアのように』」
「能ある鷹は爪を隠す。あいつの口癖だった」
父はうなずき、ひとつ、息を吐いた。
「師君も早くから気づいていたのだろうね。SPMは他の“M”にも増して制限を課される。思えば彼はずいぶんと早熟だった。マリア君といい、精神感応力を持つ者の特徴なのかもしれんな」
「今彼がしていることは、爪を隠すどころの話ではありませんけど」
アンジュは皮肉って、ちょっと肩をすくめた。
「はた迷惑な行為をくり返しては他人を傷つける。過去のことなど関係ありません。いっそ退化しているとさえ言える彼に、私は一片の共感さえ持ち得ません」
「同意する」
アズマがうなずいた。アンジュが笑顔でうなずき返した。
そんなやりとりを黙って聞くうちに、詩織は何やらぼうっとしてきてしまった。
深夜0時からずっと起きているせいか。事態がひと段落して安心したせいだろうか。眠気とは少し違う歯がゆいようなもやもやが、胸のあたりにわき上がってくる。
急に、それが怖くなった。
詩織は汗のにじむ手をぎゅっと握りしめた。その目の前で、アンジュとアズマは、それほど重要でもなさそうな話を続けている。
「能力値は高いのかもしれないけれど、人間性に問題ありね。人格検査でよく異常が出なかったものだわ」
「人格が異常なんじゃない……思考が異常なんだ」
「ああ、その表現には納得できそうよ」
詩織はもぞもぞと身じろぎした。胸にわき上がってくる、これは。
――まったく……言いたいように言ってくれる――
「どうしたの、詩織ちゃん?」
絶妙のタイミングでアンジュが声をかけてきた。詩織はびくりとして、反射のようにかぶりをふった。
「そう?」
「ところで杏樹君、まさか君も、なんらかのSPP発現能力を隠していたりは」
父がふと思い出したように尋ね、アンジュが皮肉っぽく首を傾けた。
「残念ながら申告の通りです。本当に、残念ではありますが」
「マリア君は――」
「お聞きにならない方がよろしいかと」
「あんた達も大概だな」
あきれ気味なアズマの一言を最後に、会話がとぎれた。
その時だった。
――……
脳裏で何かが響いた。詩織の手足は、硬直した。
* * * * *
そこは相川邸の食堂だった。ツカサは葉沼と耶麻、そして棚戸と共に、まるで屋敷の主のごとくくつろいでいた。
「ああ……みんな、予定通りに始めたようだ」
やわらかなクッションのついた椅子に深く腰かけるツカサは、機嫌がよさそうな様子で目を閉じた。対照的に、葉沼の表情は険しいままだ。
「葉沼。そんなに怒らないでくれないか。僕には君の“それ”が一番恐ろしいよ」
「でしたら、このようなご無理をなさるのはこれきりに」
「うん? まあそうだね。僕にしてはずいぶんとがんばっていると思うよ。自分にご褒美でもあげたい気分だ」
「お戯れを」
「“師”はのんきだなあ。だから好きなんだぁ僕」
パーカー姿の少年が口をはさんだ。とたんに仏頂面の青年がぴしゃりと遮った。
「耶麻。口を慎め」
「そんなにお堅くしなくていいよ、棚戸」
ツカサが棚戸に目を向け、笑う。そのひたいにはうっすらと汗が浮いている。
葉沼が半歩ツカサに近づいた。
「どうかあまり無駄な力を使われませんよう」
「そうだね。こんな風に全力を出すのは久々だしね……さすがに少しきついかな」
再び目を閉じたツカサは、椅子の背もたれに身体をあずけた。
「それでも、だ。あの2人のことは早急に何とかしないといけない」
「黒井姉妹ですか」
「僕に対抗できるほどの精神感応力の持ち主には、まだ他に会ったことがないからね。放ってはおけない。我々同様“M”とはいえ……いや、だからこそ。敵に回れば厄介な相手になるだろう」
「“師”よ……失礼ながら。無駄な力は使わないとおっしゃいませんでしたか」
じろりと葉沼ににらまれたツカサは、目を閉じたまま苦笑する。
「話していたい気分なんだ、大目に見てくれ。ともかく僕は、彼女達を早めに見極めておきたいと――」
「あら。あなたごときに見極めてもらわなくても結構よ?」
食堂の入り口から声がした。
そこには、黒髪の女性のすらりとした立ち姿があった。




