December 15 (Sat.) -6-
急に屋敷内が静かになった。
アンジュは廊下の途中で足を止める。今の今まで屋敷内に巣くっていた不穏な気配があとかたもない。
ちょうど西廊下もおおかたの掃除を終えたところだ。アンジュはすぐさま東廊下側へとって返した。マリアの身体が心配だ。
「マリア? ……どこにいるの?」
廊下にはいないようなので、ひとつひとつ部屋をのぞいていく。
次第にそのペースが速くなる。
「マリア!!」
いない。どこにも。
アンジュはきつく唇を噛んだ。
* * * * *
「先生……」
アズマが父の肩をゆさぶった。しかし目を覚ましそうな気配はない。そのうちあきらめたらしく、テーブルクロスをたたんで父の頭の下に敷くと、自分も床に座る。
椅子は先ほどの衝撃であちこちに飛んでいる。同じく湯野と芝も、両手を縛った上でホールの隅に転がされていた。
詩織はやっと立ち上がることができた。ふわふわと落ち着かない足を懸命に動かしながら、2人に歩み寄る。
「あの。ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げた。しかしアズマは首を振った。
「え。でも」
「守りきれなかった」
「そんなこと……!」
本気で否定したのだが、アズマには届かなかったようだ。不機嫌そうに眉根を寄せてあさっての方を見てしまう。詩織もしゅんとしてうつむいた。
それからしばらく、どちらも何も言わなかった。気まずい沈黙が続く。
沈黙――
そこへ不意に、せわしない足音と声が割り込んだ。
「詩織ちゃん、アズマ君!!」
アンジュが階段を駆け下りてくる。ひどく険しい表情だ。そしてなぜか、クリスの姿は見えない。
「……マリアは戻っていないのね」
降りきる前に立ち止まる。こんなに余裕のない様子のアンジュは初めて見た。
「クリスちゃんのこと、ですか」
「どこにもいないのよ」
ぎゅっと眉をひそめたアンジュは、ひらりと身をひるがえす。
「捜してくるわ」
「あっ……」
「待て」
アズマが強く呼び止めた。アンジュが肩越しにこちらを見る。
「何かしら」
「後にしろ。あいつなら平気なはずだ」
「なぜそんなことが言えるの」
「散々手合わせした」
「あなたは知らないのよ」
「――知るはずがないだろう」
アンジュは勢いよくふり返った。
「ならば口出しをしないで」
「そうもいかない。こっちも苦労してる」
「このところ無理をしすぎなのよ! SPP発現回数が多すぎる! これ以上の負担がかかれば、マリアの身体がどうなるか……!」
「そこまで、悪化しているのか?」
いつの間にか父が目を覚ましていた。半身を起こそうとして、しかし失敗する。詩織は思わず手を伸ばしかけたが、父は仰向けのまま、両目を手で覆った。
「ならばもっと、早く話してくれれば……いや……」
ため息のように、父はつぶやいた。
「君達は、それよりも自由を選んだということか」
アンジュの唇がゆっくりと歪んだ。
それが詩織には、とても悲しい笑顔に見えた。
「もう隠す必要もないようですね」
「……そうか」
「黒井。聞け」
口をはさんだアズマにアンジュが片眉を上げる。詩織は首をすくめた。が、アズマは平然と、淡々と続けた。
「落ち着け。あんたらしくもない。――あいつのことだ、考えがあって自分から姿を隠したのかもしれない」
アンジュは一瞬押し黙り、少しして、ことさら大きく息を吐いた。
浮かない表情ながらも改めて階段を下りてくる。その頃には父も少し回復したのか、やっと起きあがった。
「ごめんなさい。少し……取り乱していたわ」
「実際あっちはどれくらいもつ」
「よほど無理なSPP発動さえしなければ、もうしばらくは」
アンジュが床に横座りをした。ひとまず落ち着いたようなので、詩織もその場でちょこんと正座した。
「こちらの状況は、聞くまでもなさそうね」
ちらりと部屋の隅を見て苦笑したアンジュに、アズマがうなずく。
「トリトもいたが。消えた」
「私は警備員のみなさんの相手をしてきたわ。ざっと20人くらいかしら。まだ半分ほどね」
「なのに一切の動きがなくなった」
「私もその意図を量りかねているの。何か要因があるとすれば……」
「“マリア”」
アズマが指摘する。アンジュが目を細めた。
「一理あるかもしれないわ。強力な精神感応力の保持者同士、お互いに相手を気にしていた。今は牽制しあっている状態かも、しれないわね……」
アンジュがつと視線をずらす。詩織と目が合った。
「アクションがあれば……なんらかの形でわかるのでしょうね」
「ああ」
「待つしかないのかしらね」
「たぶん」
「……」
まるで祈るように、アンジュは顔を仰向けた。
口が小さく、“マリア”と動いた。




