December 14 (Fri.) -2-
部屋を出ると、アンジュ達の部屋の前に詩織がたたずんでいた。それがこちらに気付いてぴょこんと頭を下げる。アズマはばね仕掛けの人形を思い浮かべ、似ているな、と勝手に納得した。
「2人とも何をしているの? お入りなさいな」
中からアンジュの声がした。うかがうようにちらりと見上げてきてから、詩織がドアノブに手を伸ばした。
「失礼します」
「どうぞ」
2人部屋というだけあり、こちらの客間は目測で1・5倍ほど広い。詩織はきょろきょろと見回しながら、おっかなびっくり足を踏み入れた。
瞬間。
「あっ――」
短く声を上げ、かくんと崩れ落ちた小柄な身体を、とっさにうしろから抱き止める。そうして軽く睨み上げると、アンジュは手刀を構えたままにっこりと笑って見せた。
「ありがとう。さすがアズマ君ね」
「お前」
「正直なことを言えば、このまま縛って閉じこめておきたいところよ。でもそれは相川先生が納得なさらないでしょうし、クリスもいやがるでしょう。だからせめて、余計なことを知られないよう、眠らせて目の届くところにいてもらうのが最良なのよ」
「……」
「詩織ちゃんがすでにツカサさんの支配下にあるかもしれない――指摘したのはあなただったわね?」
それは事実だ。“ヘクセ”は、彼らが知るはずのない詩織のアドレスにメールをよこした。加えて詩織は、メールが届く直前に謎の単独行動をとっていて、その間の記憶が抜け落ちているという。
可能性がないとは言い切れない。相性にもよるが、ツカサは1度目を合わせただけの他人を遠方から操るという離れ業もやってのけたことがある。
「ともかく。まずはこれを見てもらえるかしら」
アンジュに促され、詩織をベッドに寝かせてから木製の丸テーブルにつくと、アンジュがその上にe-phoneを広げた。詩織のものとは違うようだ。
疑問符が浮かんだ。e-phoneの回線契約にも国民コードは必要なはずだ。
「正規契約ではないわ。接続できるのは相川先生との直通通話だけ」
聞かれそうなことは予想できるのだろう、アンジュは気にした風もなくメモ帳画面を開いた。書き込んであるのは22人の人名と、その雑多なプロフィールだ。うち7人にはさらに丸印がついていた。
そこには当然のように、『神崎師』と『神崎雷』も含まれていた。
「“Mリスト”の写しよ。先生にご協力いただいてまとめてみたの。ただ、先生は何年か前にプロジェクトを降りていらっしゃるから、少し古い情報ではあるわね」
言いながら、アンジュは画面に指を滑らせた。
「それに、ここには“ハヌマ”や“ヤマ”といった名前が見えないわ。先生が記憶してらしたのは本名でしょうから、呼び合っているのは通称、あるいは偽名ということでいいのかしら?」
「暗号名と言ってる。決めたのはあいつだ」
皮肉混じりに言い捨てる。アンジュも共感したようにふっと口の端を上げ、一転、表情を消した。
「“ヘクセ”は何人構成?」
「……13。男全員」
「SPMの数は?」
「俺以外に8」
「そう。今のところ女性のSPMは存在しないようだから、男性に的を絞ったということかしらね」
「……」
アズマはちらりとアンジュを盗み見た。
リストに、アンジュとクリスの名は見あたらない。
「“暗号名”というのが、それぞれ誰を指しているのかはわかるのかしら?」
「たぶん」
「せっかくだから対応させておきたいところね。可能な範囲でいいわ」
無造作にe-phoneを渡された。しかし操作に慣れていないため、アズマは机に据えつけてあったメモ帳とペンを取る。それを見たアンジュが、この時ばかりはなごやかに微笑した。
「それと、もしももっと細かいことがわかるのなら。各人の能力値、性格、SPP発現時の特徴。大まかなところでは……クリスが読みとってくれた情報もあるのだけど」
アンジュの視線の動きにつられ奥のベッドに目をやると、羽ぶとんが丸く盛り上がっていた。中にクリスがいるのだろう。しかしそれにしては静かだった。微動だにしないどころか、呼吸さえしている気配がない。
「頭痛がするというから寝かせたの。大したことは……」
「――アズマ君、来たの?」
かすれた声と共にもぞりと小山が動いた。
ふとんの下から青ざめたクリスの顔がのぞく。瞳の色は金。クリスに限っては、もうひとつの人格が出てきている間、これでほぼ常態らしい。アンジュがそのかたわらに素早く移動した。
アズマはそれを横目に、ペンを動かし始めた。
「気分はどう?」
「大丈夫だってば。それより今、どの辺の話してるの」
アンジュは黙って目を閉じ、クリスに顔を近づけた。
ひたいを合わせる。細かな字でも読みとるように、クリスが目を細めた。
「ん。おっけ、把握した」
クリスが起き出した。それまでに名前の照合までは終わっていた。
メモを差し出すと、アンジュがそれを受け取り、すっと目を通した。
「助かるわ。ありがとう。これである程度は先方の出方を推測できるかも」
「――脅威はSPMとは限らないぞ」
遮ってメモを指さした。アンジュが口を閉じる。クリスがベッドのはしにちょんと腰かけながら、おもしろそうに首を傾けた。
「ノーマルにも厄介なのがいるってこと?」
「ハヌマと、リョウ。武道経験者だ。かなり強い」
「そうだったわね……私もハヌマさんとは、1度手合わせをしているわ」
アンジュの声が低く響いた。アズマはかまわず先を続ける。
「SPMなら、直に相手すると厄介なのはトリト、ユノ、タナト。シンはSPMとしての能力値は高くない。……あとの奴はよく知らない」
「ヤマという子は? 身体能力は高くなさそうに見えたけれど」
「弱い。あの時出てきたのが不思議なくらいだ」
「後方支援に徹する可能性が高いということで、いいのかしらね」
ふと言葉を切ったアンジュは、探るようにアズマを見た。
「ツカサさんは? 今回どんな動きをしそうか、予想できる?」
兄の名を耳にして、しかし自分でも意外なほど動揺は起こらなかった。
思考が止まることも声が震えるようなこともない。
「前線には出ない。ヤマと組んで安全な場所から指示を出す。それにあいつは、SPP値はともかく、身体能力は並だ」
「そうなの。それなら、あちらが考えそうな侵入方法と経路は――」
2人がかりで、考えられる限りの案と方策を挙げていく。クリスはあまり議論に加わってこなかった。たまに横から茶々を入れてはくすくす笑っていた。
そんな邪魔も入りつつ、小1時間ほど経って。ちょうど区切りがついた頃に詩織も目を覚ました。
「あ、あれ……?」
「あら。おはよう詩織ちゃん」
「お……おはようございます」
詩織はちょっと赤くなり、あわて気味にベッドを降りた。まさか自分がアンジュに気絶させられたとは思っていないだろう。
「あの、すいませんっ……わたし寝ちゃったみたいで……」
「気にしないで。明日はおそらく長丁場になるのだから、今、できる限り休んでおいた方がいいわ」
アンジュが綺麗な笑顔を貼りつける。詩織が申し訳なさそうにうなずいた。
「皆様。こちらでいらっしゃいますか」
コンコン。不意にドアが鳴った。続く貴島の声が、夕食の準備が整ったと告げた。
「はーい! 今行きまーすっ!」
元気に応えたのはクリスだった。アンジュはそんな妹に愛しげなまなざしを向けた。そしてこれもいつもの通り、詩織はうらやましげに姉妹を眺めている。
歪を感じた。傍目にわからないよう、アズマはわずかに顔をしかめた。




