December 14 (Fri.) -1-
「“師”よ……もはや、トールを無理に連れ戻さなくとも良いのでは?」
まっ白な壁に囲まれた部屋。そこに13人が集っていた。しかしその中で、ツカサに対して直接意見できる者は限られている。立場的に、あるいは心理的要因で。
その数少ないうちの1人が葉沼だ。長身をまっすぐにのばして、しかし緊張気味に、言葉をつなげる。
「彼の力は危険です。ともすれば我々の障害になります。いっそ、排除を」
「そういうわけにはいかないよ」
やわらかな否定の言葉に、葉沼は押し黙った。
ツカサは腕組みしたまま足を組み替える。部屋の奥の壁際でパイプ椅子に座っているだけだが、整然と居並び彼を見つめる他の12人からすれば、いわば玉座だ。
「そんなことを言っては可哀想だ。あれも我々と同じ“Mの系譜”、被害者であることに変わりはない」
何人かがうなずいた。特に年若い新が何度も首を縦に動かしている。
ツカサは微笑し、優しげに目を伏せた。
「あれには僕が必要だ。今は少し心乱れているだけだよ。また戻ってくる……必ず」
合図もなく全員が一斉に頭を垂れた。
しかし玉座の主は、彼らではなく、どこか遠い場所を見ているようだった。
* * * * *
予告の土曜日まで、“ヘクセ”の動きはなかった。少なくともウェブニュースなどで具体的な活動や事件の情報は上がっていない。
だから詩織は、半分夢を見ているような気持ちでその日を迎えた。ひさしぶりに父親と再会することも含めて。
「こんばんは先生」
「こんばんは! お泊まりにきました!」
時刻は午後6時。相川邸のエントランスホールで黒井姉妹が順に挨拶した。その後ろでアズマも会釈をした。
「皆様どうぞ、お待ちしておりました」
腰を低くして貴島が言う。スーツ姿の詩織の父はその後ろにいて、4人の来訪者を一瞥すると、すぐに背を向けた。
今年で還暦を迎える父の広い背中は、まだしゃんとのびている。が、やはり疲れがにじんで見えた。貴島に聞いていたスケジュールのとおりなら、昨夜海外から帰ってきたばかり。詩織はそんな父親の身体が少し心配だった。
「研究職まで……か」
ふり返りもせず低くつぶやいた父に、アンジュが応じる。
「こうなる可能性は充分にありました。現在の研究所の職員も、大半が音信不通なのでしょう?」
「だからといって、君達が揃って来なくとも良かっただろう」
「そんなことをおっしゃらないでください。お世話になった先生が狙われているというのですもの。心配でいてもたってもいられません」
「……相変わらずだ」
父は、心ここにあらずといった調子だった。
詩織はこっそりとまわりを見渡す。父の邸宅は、まさに映画に出てくる洋館そのものだ。吹き抜けの天井の高さもやわらかな絨毯も、きれいなシャンデリアも。マンション暮らしの身には場違いすぎて落ち着かない。
と。
「詩織。元気か」
急に声をかけられ、詩織はのどを詰まらせた。
「……は、はい」
「そうか」
「お、お父さんは」
「見ての通りだ」
「さあ皆様、まずはお部屋へご案内を」
明るい調子の貴島に再び促され、詩織達は1階の奥へ。詩織の父はエントランス正面の階段から2階へ上がっていった。
結局、父の顔をまっすぐに見ることはできなかった。
「先生こそ相変わらずのご様子ですね」
にこにことアンジュが言った。すると先導する貴島が複雑そうな横顔を見せた。
「アンジュさんのおっしゃいましたとおり、警備は増員を依頼してございます。本日午後10時に到着の予定ですが……」
「ありがとうございます。午前0時をすぎれば気が抜けません。ですが逆に、午前0時までは襲撃の心配はないでしょう。彼らは異常なほどプライドが高いようですから」
「……左様ですか」
ふと見上げると、アズマがいやそうに眉をひそめていた。
詩織もなんとなくその気持ちはわかる。貴島が問いたがっているのは『本当にこれほど警備の増強が必要なのか』。対してアンジュは『わからなくていい』と暗に含ませている。そしてたぶん、お互いにそれがわかっている。
なんというか、“オトナ”の会話だ。詩織には真似できそうにない。
「それでは、個室はこちらと、向かいの2室をお使いください。右のお部屋にはベッドが2つございます。他に何かございましたらなんなりと」
貴島は一礼して戻っていった。
アンジュがぽんと手を合わせた。
「さあ、荷物を置いたらこちらの部屋へ来てちょうだい。対策会議よ」
「さくせんかいぎー!」
「詩織ちゃん、あなたも来てね」
両手を上げて復唱したクリスに続き、さらりとアンジュが言った。詩織はあやうく聞き逃しそうになった。
「わたしも、ですか?」
「もちろん」
「……? わかりました」
「それでは、また後で」
なぜ戦力外とわかっている自分も呼ばれるのか。詩織は尋ねかけたが、やめた。その機会はまたあるだろう。
木製扉の向こうは、小さめながら高級ホテルのような客間だった。ここに足を踏み入れたのは初めてだ。
通学カバンを下ろして、ベッドに腰かけてみた。ふんわりと腰が沈みこみ、なぜかちょっと嬉しくなる。
しかしすぐに頭の中がぐるぐると回りだした。
父親が狙われているという事実。アンジュとアズマが守ってくれるような様子ではあるが、信じてはいるが、もし……彼らにかなわなかったとしたら。
父を含めてみんなが怪我をするような、そんなことになってしまったら――?
詩織はぶんぶんと頭を振った。そして不安をふっ切るように、できるだけ勢いよく立ち上がった。
* * * * *
「ねえ、お姉ちゃん」
アンジュがドアを閉めたところで、クリスが腰の辺りに抱きついてきた。
のぞきこむとクリスの顔はわずかに上気している。まっ黒な瞳が潤んでいる。
「どうしたの?」
「あたまいたい」
「あら……」
――本当は、気付いていた。
アンジュは床に膝をつき、クリスを抱きしめた。
「我慢できる?」
「ん」
「少し寝ていなさい。……“あなた”が望むことを、私は止められないから……」
「お姉ちゃん……?」
「なんでもないわ」
不思議そうな声を耳元に聞きながら、そっとクリスの頭をなでる。
「私はいつでもあなたの味方よ。いずれ、“あなた”が終わるまで――」
* * * * *




