December 10 (Mon.) -3-
5分後には、詩織達はマンションの屋上にいた。
近隣に背の高い建物はほとんどなく、フェンスの向こうには日の落ちかかった薄暗い空が広がっている。髪があおられる程度には風もある。が、詩織以外の3人は上着も着ていなかった。見ているだけで震えそうだ。
ぐるりと首を回し、大きくのびをしたクリスは、白い息を吐きながら腰に手を当て胸を張った。
「さてと。まずは確認からね。アズマ君はSPP訓練どうしてたの?“左手”、それなりに制御できてるみたいだけど」
「……」
「あーなるほど。お兄さんの指導で、ね」
クリスは皮肉っぽく『お兄さんの』を強調した。そして何食わぬ顔で、詩織を指さした。
「じゃあ、詩織ちゃんにデコピンしてみてくれる?」
「!?」
アズマが詩織を見下ろして、2歩3歩と後退した。
左手を上げる。詩織に向かい、指で空気をはじく。
「あっ」
軽い衝撃に思わずひたいをおさえる。脳内にいくつもクエスチョンマークを浮かべていると、クリスが詩織を見上げてきた。
「普通にできるじゃない。なんで時々渋るの」
「……。目測」
アズマが低く答え、クリスが納得したようにうなずく。
「対象との正確な距離を量れるかどうかか。詩織ちゃん動いてなかったしね。今のだってもう少し深くいってたら、のーみそつぶしちゃうわけだ」
「!!?」
「でも生体だけ? 無機物にはさわれない?」
「ああ」
「へー。そういうのは初めて見るなぁ」
詩織は「あ」と声を漏らした。アズマがSPM――超能力者らしいということはおぼろげに察していたが、どんなことができるのかは、今初めて知った。
クリスがアズマに手招きしつつ屋上の中央に移動を始めた。アズマがそれにならう。
2人は向かい合った。
「それじゃあこっから本番ね。よーく見ててよ」
腕組みしたクリスの瞳は金色。アズマも同じ金の眼で見返している。
「格闘技やってるならイメージしやすいんじゃない? 力には流れがあって、それはSPPでも同じ。――こんな風に」
ガシャンッ!
音を立ててフェンスがへこんだ。ちょうどアズマの顔の高さだ。アズマが一瞬だけふり返り、さすがに驚愕の表情でクリスに向き直る。
「見えた? ……う、そ。さすがに1回じゃ無理だよねー」
クリスは楽しげに、ぴっとひとさし指を立てる。
「でも慣れればわかるようになるよ。そしたら防ぐことはできなくても、身を守ることはできるでしょ」
その指をピストルの形にして。
「身を守れれば。切り返せる」
「ばんっ」と撃つまねをする。
アズマが背筋を伸ばし、頭を下げた。
「教えてくれ。たのむ」
「最初から無理にでも覚えさすつもりだったけど?」
間髪入れずに答え、クリスは無邪気そうに笑った。
「5日で仕込むから。がんばってついてきてよね。……と……」
それまで自信に満ちていたクリスが、不意に揺れた。と思うや、アンジュがクリスの元へ駆けつけた。
「大丈夫なの」
クリスは小さくうなずいた。軽く息を吐き、またアズマを見やる。
「今日のところはウォーミングアップ。姉さん、あとお願いね」
「ええ……」
「ちょっと疲れただけだから」
言い置いて、クリスはとてとてと詩織の方へ歩いてくる。代わってアンジュがアズマの方へ進み出た。
「フィジカルは私が。何をするにも身体が動かなければね」
「……よろしく」
向こうで2人が対峙した。
いきなりアンジュが加速しアズマに蹴りかかる。
そこでクリスは、詩織の横へ並んだ。
「クリスちゃん……」
「んー?」
「あの……だいじょうぶじゃ、ないでしょ……?」
詩織は膝を折って目の高さを合わせた。クリスはうつろな表情で目を泳がせている。この寒いのに、うっすらと汗を浮かべているようだ。
大急ぎで自分のコートの前を開き、クリスを中に入れるように抱きしめた。予想に反してクリスの身体は熱い。
「ん。ふふ、ありがとシオリちゃん」
「……。いろんなことできるんだね、クリスちゃん」
クリスはこてんと詩織の胸に頭を預けてきた。
「まあいろいろねー。詳しいことは“企業秘密”、だけど」
先ほどフェンスをへこませたのは、やはりSPPによるのだろう。いつだったかそのような力、現象があるとネット記事で読んだことがある。
それはそうと、本当に熱い。
「だいじょーぶだってば。これくらい、慣れてるからー……」
詩織の思考を読んだように――実際読んだのかもしれない――クリスがつぶやいた。その後が続かない。そうっとのぞきこんでみれば、いつしか目を閉じ、かすかな寝息を立てている。
少し力を込めて抱き直す。そのままの姿勢で目を上げると、そろそろ視界も奪われそうな夕闇の中、年長組の影がすさまじい勢いで舞っていた。前の時より一層迫力が増して、しばらく声をかけることもできそうにない雰囲気だ。
「……お夕飯……何にしようかな」
詩織は独白してみた。誰も聞いていないことはわかっていた。




