ひとり相撲はご勘弁
「こないだ、一人焼肉してきたよ」
深夜のファミレス。明日締め切りのレポートが手つかずで残っていることに気が付いた俺は、慌ててパソコンを持ちこみ、近所の店に駆け込んだ。ドリンクバーひとつ注文して、うんうん唸っても、残念ながら良い論述が浮かばない。深夜二時、閉店するまでをタイムリミットと定めて、書ききることを目標とする。意気込んで画面とにらめっこしていると、しばらくして隣のボックス席から気になる男女の会話が聞こえてきた。
「一人で焼肉?」
「ハードル高いって思うだろ?」
「うん」
「案外いけるよ。いまどき、一人用の席とか用意してくれてる店もあるし」
へえ。俺は特に一人行動に抵抗はないけれど、さすがに焼肉はしたことはない。最近じゃ一人焼肉専用の店も広がってきてるし、今度店を調べて行ってみようかな。レポートを考えるための思考が、隣の席の会話によって、侵食し始めた。
「健君って、一人で行動するの好きだよね」
「うん。一人映画も、旅行もする。この間は動物園も行ったし、今度水族館もいく。タイパ最高」
なるほど、「健君」はかなりのソロ行動派のようだ。だが、自慢げな健君の語りに、話し相手の女性はうんともすんとも答えない。自慢が過ぎて女性は少し引いてるんじゃないか? にやつきながら耳を傾けた。
「裕美ちゃん、どうしたの」
「ううん。ソロ活動も面白そうだなって思うんだけど、わたしはね……健君に連れて行ってほしい場所、たくさんあるなあって」
おっ。思わず俺はパソコンから顔を上げた。そんなことしたって背面のボックス席から二人の顔が見えるわけじゃないけど、反射みたいなものだ。
ははーん、恐らく裕美ちゃんは健君に好意を抱いているに違いない。「どこか行くなら、私も連れて行ってほしいな」と、さりげなくアプローチしているんだろう。もどかしい恋の気配に、俺はテーブルの上のウーロン茶を口に含みながら、さて健君は裕美ちゃんにどう返すのかと高みの見物だ。
「あのね、だから今度の週末……」
「いいよいいよ、全然オーケー」
思っていたよりも早く、健君の口から快諾の言葉が出た。肩透かしを食らった心地だ。なんだ、下心ありきでソロ行動自慢してたのかよ。もしかして、裕美ちゃんからデート希望を切り出してくるのをおびき出そうとしてたんじゃないの。だとすれば相当悪い奴だ。ありふれた恋の始まりが起こりそうな展開はつまらん。さあ集中してレポートを書き始めるぞとノートパソコンのキーボードに手を置いた。
健君はひどくうきうきと、弾んだ声音だ。
「今度、二人でソロ活動しようか」
――話が変わって来たぞ。
「え……えっ?」
そりゃそうだ。完全にデートの流れだと思ってたのに、突拍子もない返答をされたら、期待していた分、裕美ちゃんも困惑するだろう。
「もっと早く言ってくれればよかったのに。裕美ちゃんはどこ行きたいの」
「あっ、あっ、えっと。まず、二人でソロ活動って、なに?」
「え?」
沈黙が流れた。
いやいやいや、健君が困惑するのはおかしいだろ。どう考えても、お前が明らかにおかしいことを言ったから、この変な空気が生まれてんだぞ。まずい、話の続きが気になって、レポートが進みそうにない。グラスのウーロン茶も残り少ないのに、注ぎに行っている間に話が展開したら後悔してもしきれない。じっと、気配を読み続ける野生動物のように耳を澄まし続ける。
「裕美ちゃんが、何を聞きたいのか分からないかも。ソロ活動を、ふたりでする。それだけだよ?」
「それって、結局二人行動になるのでは?」
「ならないならない!」
健君は裕美ちゃんの返しがよほど面白かったのか、吹き出していた。
「たとえば水族館に行くでしょ。入口で解散して、それぞれ楽しむ。最後に出口で合流するんだよ」
「うん……」
裕美ちゃんは黙ってしまった。大丈夫だよ裕美ちゃん、俺も十分混乱しているから。遠くに見える店員も、机を拭く手が止まってる。おい、あんた絶対この会話聞いてるだろ。
「ちなみに、ちなみになんだけどね。それ、いままで他の人とやってみたこと、ある?」
それでも裕美ちゃんは、健君に歩み寄ることに決めたようだ。ただしライバルの存在を確認したがりなところに、恋する乙女のプライドを感じる。俺はすっかり裕美ちゃんに同調して、健君の出方を伺っていた。
「ないよ?」
能天気な健君はへらへらしながらお気楽に返事を返した。
「ソロ活興味ありそうなそぶりを見せてくれた子に、じゃあ週末二人でソロ活動しようよって誘ったことは数回あるよ。けどこれが不思議なことに、俺がこの誘いを口にすると、みんな逃げてっちゃうんだよね。ソロの楽しみは、全人類は味わうべきである。そう思わない?」
「そう……なのかなあ」
椅子から腰が浮きかけた、危ない。
一人で行動したくないんじゃないよ、健君。いままで君が誘った女の子たちは、多分「お前と行動をともにした」かったんだよ。なのにわけわからんこと捲し立てられてみろ、「もしかして、健君ってば私に興味ないから、意味不明なことを言って煙に巻こうとしてるのかしら」って勘違いしてもしかたないだろ! 正直、裕美ちゃんがそうならずに食らいついてくれてるのは奇跡じゃないか。
そこまで考えて、俺ははたと思い当たった。もしかして「そう」なのでは。裕美ちゃんを振り回す言動はすべてフェイクで、本当は裕美ちゃんからの誘いを断るために、意味の分からない行動をしてるんじゃないか、こいつは。
「それで、今週末でいいんだっけ。待ち合わせ、何時にする?」
……こいつ、かなり前のめりである。これはフェイクでもなんでもない。俺はもう我慢ならなくて、卓上タブレットでフライドポテトのMサイズを頼んだ。空腹で耐えきれるものか。しょっぱいものを摘まみたい。
「わ、わかった。待ち合わせ時間はあとで決めよ。その前にさ、スケジュール教えてよ」
「スケジュール?」
「朝から待ち合わせて、解散までなにをするのかなって。水族館に行くのは確定なの?」
よしよし。頑張れ裕美ちゃん。具体的な工程をまずは聞くことは肝心だぞ。これによって、もし隙があればソロ活動からデートに移行できるチャンスもあるかもしれない。俺は裕美ちゃんのことを心から応援していた。くじけることなく、果敢に健君の懐に潜り込もうとしている。
「確定じゃないよ。裕美ちゃんがチャレンジしたいとこに行こう」
「リクエスト聞いてくれるんだ」
「もちろん。ソロ活動のよさを深く理解することが、この上ない喜びだよ」
ソロ活動信奉者?
「じゃ、じゃあ……遊園地とか、どうかな」
「遊園地?」
「観覧車とか乗りたいなーって」
お、いいぞいいぞ。もちろん一人遊園地ユーザーは少なからずいる。それでも空気次第では「やっぱり二人で乗らない?」という流れになるかもしれない。それこそ観覧車なんて、二人で並んでいたら誘導員さんはもちろん、二人をひとつの箱に乗せたがるだろう。それを断って「いや、俺たち一人ずつ乗りに来たんですよ」と言う勇気はお前にあるのか、健君。あったとしてもだ。隣に並んでいる女の子に恥をかかせることになるんだよ、健君。きみはそれをわかっているのか。
「うーん。いいの? せっかくの休日だよ」
「えっ、どういうこと」
「せっかくならさ。いろんなソロ行動を体験できる場所に行くべきじゃないかって。遊園地だけだと、終日遊園地だけでしかソロを体験できないよ」
健君は酷く真剣な声音だ。どうしてこの状況で真剣に語れるんだよ。
「一人ジェットコースター、一人コーヒーカップ、一人お化け屋敷。確かにいろんな体験はできるかもしれないけど、それって遊園地が包括しているものじゃないか。類似性を比較してもなあ」
こいつは何を言ってるんだ。
「ああ、これはもちろん俺の経験も加味してのアドバイスなんだけどね。つまり、ひとつひとつの体験が非常に似通ってることになるだろ?」
だとしたらなんなんだよ。
「せっかくの休日を使うなら、違う場所での『一人』をとことん追求する、それが極上なんじゃないかって、俺は思うわけだよ。もちろん、遊園地にこだわりがあるなら俺は止めないし、それはそれでいい体験になることは違いないと思うんだけど」
おい! 長々と分からない持論を繰り広げてんじゃねえよ健! お前、なんなんだ! もっともらしいことをぺらぺら語ってるけどな、結局お前の言ってること、裕美ちゃんには一ミリも響いてないぞ。嗚呼裕美ちゃん。このわけのわからない男の話を聞いて、いま彼女はどれだけがっかりしていることだろう。いいよ、もう。裕美ちゃん。諦めよう。こんな鈍感男、こだわりが強くて共感のきょの字も知らないつまらない奴、放置して去った方がいい。君にはもっと相応しい男がいるよ。なんでこんな男を好きになったのかは知らない。もしかしたら単純に顔がタイプだったのかもしれないし、実は酷く親切にしてくれた経験があるのかもしれない。けど、今この時、君に対して最低限の誠意を見せない男なんて捨てちまえ! 俺は健の長台詞に釣られて、饒舌に心の中でののしった。
沈黙は長かった。それはそうだ。俺がこれだけ裕美ちゃんにべらべらと頭の中で応援メッセージを送る時間があったのだから、その分裕美ちゃんは口を閉じていた。裕美ちゃん、勇気を出してこの場から去る別れの挨拶を切り出そう、さあ、さあ!
「確かに、そうかも……」
裕美ちゃん? 裕美?
「せっかく健君と出かけて、一人行動の極意を教えてもらえるなら、いろいろ体験したほうが、いいのかな」
あー、あー、あー!
叫びだし、頭を掻きむしりそうになった。俺の衝動を止めてくれたのはフライドポテトを持って来た店員さんの存在のおかげだ。
裕美という恋する乙女は言い包められてしまった。実るかもしれない恋心は散ってしまった。ああ無常。ここまでくるとこれまで抱いていた健への怒りがみるみると萎んでいく。
他人からの好意に対して、ここまで鈍感でいられるものなのだろうか。もしかして、彼はひどい人間不信に陥っていて、素直に気持ちを受け取れないでいるのではないだろうか。だとすれば、彼はこれまで幾多のチャンスを手から零してきたことになる。なんだか、今度は裕美に諦めて欲しくなくなってきた。彼の弁論に洗脳されないで、裕美には「貴方を好きなのだ」と、それこそストレートに告げてくれないだろうか。もっとも、彼女がそこまで献身的になる必要はこれっぽっちもないし、裕美がこれから健との友情を育んでいくことに抵抗がないのであればそれはそれでいい。俺は鼻をつんとさせながら、バニラアイスクリームを卓上タブレットで注文した。
「俺としてはそっちをお勧めするかな」
「じゃあ、ぜひお願い。スケジュールは当日教えて。わたし、楽しみにしてるから」
「わかった。俺もすごく楽しみだよ、ふたりでソロデート」
「うんっ、わたしもたのし……ん?」
「ん?」
「なに? なんて言った?」
「え、俺も楽しみだよーって」
「そのあと」
「ふたりで、ソロデート」
「ふたりで、ソロデート?」
「そうだよ」
「……って、なんなんだよ、それは!」
声を上げた。そして、席から立ち上がった。
隣のボックス席に回り込むと、男女は目を丸くしていた。
「ちょ、なんですか貴方は!」
さすがに男、つまり健君も俺の登場にとぼけたことは言わず、裕美ちゃんを庇うように腕を伸ばしている。だがそんな漢気、いまとなってはどうでもいい。。
「なんですかはそっちだよ、ふたりでソロデートってなんだよ!」
「やだ、話聞いてたんですか」
盗み聞きですか、と裕美は両頬を掌で押さえるが、そんなの俺の知ったことではない。
「隣の席に座ってるんだから盗み聞きでもなんでもないだろ! おい、お前!」
「え? 俺?」
「お前だよ、健! 自分が何言ってるのか分かってんのか」
「なにって……」
健君はいきなり話しかけてきた不審者の俺にびっくりしているが、冷静に自分の発言を反芻して、ピュアな瞳で俺を見つめた。
「ふたりで、出かけて、それぞれが一人でデートを」
「それはもう、ただ単に普通のデートじゃねえか」
「違いますよ。待ち合わせと別れ際は二人で行動しますが、その間は別行動で各々がしたいことをする。ソロ活の極みみたいなものです」
すっとぼけた顔しやがってこの野郎。
「なんでそれをお出かけと言わず、『デート』って表現してんだよ」
デートって、しっかり発言する意味分かってんのか!
「えっ……だってその、ふたりで、出かけるので」
「だ・と・し・た・ら」俺は一文字一文字区切りながら、健君の額に人差し指をとんとんリズミカルに、遠慮なく突きつけた。「お前、たとえばほかの友達と休日、その活動をすることになったとして、そういう表現するか? 『デート』って言うのか?」
健は、ぽかんと口を開けた。
「あのな、自覚してないようだからはっきり言うが」胸倉掴んで揺さぶりたい衝動を抑えた俺を褒めて欲しい。「ぐだぐだ言いながらお前、裕美と『デート』したくてたまらないんじゃねえの?」
健は俺の言葉をじっくりと飲み込み、やがてみるみる内に顔が真っ赤に染まった。
それが、答えだった。鼻息荒くした俺は大きく一息吐くと、黙って自分の席に戻る。これ以上は無粋である。
「ん?」
なぜかチョコレートパフェが机の上に置いてあった。首をかしげると、遠くの方から無表情で店員がサムズアップしていた。
「あ、あのね。健くん」裕美ちゃんは、黙りこくって応答なしとなった情けない男に、やがておずおずと話しかけた。
「ソロ行動、楽しそうだね。でも、わたしがやりたいのはね。遊園地で、健君と手を繋いで歩くことなんだ……どうかな」
「うん……」
俺は真っ白なワードファイルが立ち上がったパソコン画面を前にして、パフェにスプーンをぶっさし、ノイズキャンセリングイヤホンを耳に刺した。
閉店十五分前だ。まず、タイトルの一文字目から考えよう。
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