居合とスティックシュガー
居合とスティックシュガー
我が家は和歌山県士族の出身である。
江戸時代は山家奉行という役を務めていた。
といっても、山奥の話なのでほぼ営林署長のようなものである。
さて、武家であるから家伝の居合を伝えている。
一応、伯耆流の流れ、ということになっている。
けど、幕末から戦前に至るまで、一族が工夫して伝えてきた技らしく、今の伯耆流とは全く違う。
ウホツ、サホツ、などは当家には伝わっていない。突き方なども違う。いわば野良剣法である。
おそらくは、山犬くらいしか切ったことのないであろう平和剣法である。
自分が中学生になった時、父に何気なく剣道を習いたいと言った。
すると叱られた。
「竹刀競技をすると変な癖がつく。庭で木刀を振っておれ」と言われた。
振ると言ってもただ振り回すのではない。刃筋を意識して振るのだ。
右、左、右、左……
一心不乱に切り下ろす。
切り下ろすといっても、がむしゃらに叩きつけるのではない。わずかな押し切りか引き切りを意識するのである。
公園にタイヤがころがっていたので、それを木の枝にかけて木刀で叩く稽古をしたこともある。
おかげで、何かに切りつけるのは様になっている。
一度、鹿児島城で示現流の立木打ちをさせてもらったことがある。すると、立木から木っ端がべしべし剥がれて驚かれたものである。
数年前には大阪で巻き藁を切らせてもらったが、これも止めを意識した最初の一撃以外は全て切り落とした。
自分でもみごとな切り口だと感心した。
基本が出来ていると、いつまでも通用するのだ。
「うちの流儀には秘伝といったものはない。ただ刃筋の一事のみだ」と父は言っていた。
刀の柄の持ち方は「雑巾を絞るようにせよ」と教わった。雑巾の絞り方など教わったこともなく、それまでは親指同士を向き合うようにねじっていた。
左手の親指と右手の小指が拳一個分ほど空くように雑巾を持つのである。
なるほど、こうすると力が出て雑巾がよく絞れる。
よく、小指を締めて親指側は緩く、などと言われるが、それは言われなかった、むしろしっかり握れと言われた。いわゆるクソ握りである。
実際の斬り合いでは、しっかり握った方が刀を落とさなくていいのだろう。
鞘引きはとくに厳しく言われた。
ある時、脇差しを前に置いて言われた。
「刀は鞘に入っている。どうだ、柄だけを引っ張った場合と柄と鞘を両方に引っ張った場合、どちらが早く抜ける」
「両方引っ張った場合です。時間が半分になります」
……とうわけで、鞘引きが重要、ということが一瞬で理解出来た。
伯耆流の先生は、「どこの流派も鞘引きはしっかりせよと言うはずだけどなあ」と苦笑されていた。今では鞘引きをしない流派の方が多いように感じる。
この鞘引きの原理、実はスティックシュガーにも応用出来る。
端を切らず、真ん中でぽっきりと折って飲み物に注ぐのだ。
すると二倍の速度で砂糖が出る。
普段からそうしているので、「かっこいい」と言われるとちと恥ずかしい。世間の人はそうしないのだろうか。
居合の話に戻ろう。
当家の流儀では、突いた後に必ず九十度ねじる。
これは、敵の傷口を広げ、致命傷にするためである。
剣道の世界でも、喉を突いた時にこれをやる有段者がいるそうで、それはさぞ痛かろうなあ、と思う。
自分の場合はもう癖になっているので、どこを突いても最後はねじる。
血振るい(血ぶりとも言う)の話もしておこう。
当家の流儀では血振るいの所作はない。そんなことで血は取れないからだ。
一度、雨上がりの灌木を切ってから血振るいを試してみた。が、確かにそれだけでは水滴が落ちきらなかった。いわんや粘度のある血をや、である。
血振るいだけで納刀をしたら、刀身が「腐って」しまう。つまり錆びるわけだ。研ぎ直しが大変である。
「そのために刀の鞘には血だまりがあるのだ」などととぼけたことを言う御仁もいたが、わざわざ鞘の中を汚すくらいならしっかりとぬぐっておいた方がいいに決まっている。
古流の居合の中には、最後に袴のすそで刀身を拭ってから納刀する流儀もある。こちらの方がまだ合理的だ。まあ、自分なら倒した相手の衣服か自分の手ぬぐいで拭うところだ。
さて、血振るいには遠心力を使っている。
この遠心力、涸れかけたボールペンやマーカーの液を出すのにはとても便利なのだ。
昔はの体温計はみな水銀計だった。水銀計は熱を測ったあとに水銀を縮めてからしまう。我々が子供の頃は「体温計を下げるときのように振る」と言えば通じた。
水銀体温計が禁止された今となってはもう使えないたとえだ。代わりに思いついたのが「魔法少女がステッキを振るようにする」という言い方である。
たまに飲食店の女の子がマーカーの出が悪いと前後に振っていることがある。これは、先端に集まった液体がまた元に戻ってしまうので意味がない。
で、遠心力を使うのだ、と教えてあげる。
マーカーの復活ぶりには目を見張るものがある。たまに出すぎるくらいである。
それでも、すぐに忘れてしまうのは何故なのだろう。
そして、マーカーを振る時にキャップを人差し指で押さえておくことは必須だ。一度、それを忘れて、蓋ごと液体と中の棒がすっ飛んでしまったことがあった。これは恥ずかしかった。
遠心力はマヨネーズやケチャップが出にくい時にも応用がきくので、ぜひ活用していただきたい。
居合の話に戻ろう。
当家の居合では自分に刃を向けることは厳禁である。必ず水平から真下の範囲に刃を持って行く。
持って行きつつ鞘引きをし、刀を抜く。
同時進行である。
木刀の稽古が様になった頃から模造刀を使った練習に入った。
模造刀には刃はついていない。
そのときに言われたのだか、「刀が抜けおちても絶対に地面に落ちてから拾え」ということである。
真剣だと、抜けかけを取ろうとして指を落とすことが多いのだそうだ。だから、武士の魂を地に落とすななどと空中でキャッチしてはならない。
模造刀での練習では、つい途中でキャッチしようとすることがあった。そこで「父が言っていたのはこのことだったか」と改めて思い知らされた次第である。
濃口の切り方も他の流儀とはちょっと違う。
左手の人差し指で鍔を押さえつつ(控え手と言うらしい)親指で鍔を押すのである。その時、刃は絶対に親指と人差し指の間――いわゆる水かきの部分になくてはならない。水かきなら最悪切れても我慢出来るが、親指の腹を切ると戦いに響くからだ。
一度、親指の腹に刃が向く位置で抜いている方がいたので、やんわりと注意したことがある。その方の流儀ではそういう抜き方を教えていたのかもしれない。
控え手については、カクテルを作る時のシェイカーの持ち方に通じる物がある。シェイカーは掌をべったりとつけず左手と右手をずらして持つのが基本だ。その際、絶対に指の一本で「肩」の部分を押さえていなくてはならない。万が一、肩の閉め方が緩いと中の氷が当たって吹っ飛んでしまうからだ、
とまあ、家伝の居合について記したわけだが、日常でも応用が効くとわかっていただければ幸いである。




