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雨の収蔵庫(The Rain Archive)  作者: テレン


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2/7

記憶郵便(MNEMO-POST )

坂上郵便館は、市役所から歩いて十五分ほどの場所にあった。

雨が上がったばかりの空は灰色で、遠くのビルの輪郭がやや滲んでいる。

道の端には、雨粒をまとった金木犀がまだ香っていた。


正面の外壁は、かつての郵便局の名残をそのまま残している。

ひび割れた煉瓦の隙間を、蔦がゆっくりと這っていた。

玄関脇の看板には、かすれた文字でこう刻まれている。


MNEMO-POST(メモポスト)

― 記憶を、一時的に預かります ―


扉を押すと、カラン、と小さなベルが鳴った。

室内は静かだった。

埃っぽい匂いと、乾いた紙の香り。それに混じって、わずかに金木犀の残り香。

古い郵便窓口がそのまま使われており、壁一面に古風なポスト口が並んでいる。

どれも鍵付きで、表に番号が刻まれていた。


――3番。


僕は指でなぞる。

鍵穴の感触が、昨日拾った黒い鍵の形とぴたりと合った。


「……開けてみてください」


背後から声がした。

驚いて振り向くと、カウンターの奥にひとりの女性が立っていた。

白いブラウスに、灰色のカーディガン。髪は肩より少し長い。

声の柔らかさが印象に残った。


「担当の澪です。ご案内しますね」


彼女の名札には確かに“みお”とあった。

昨日のメモにあった名前だ。


僕は頷いて鍵を差し込み、回す。

音は軽かった。

扉がわずかに開くと、内側から封筒が一通滑り出た。

昨日の封筒と同じ青。だが宛名はこうだった。


Mへ

また来い


「……これ、あなた宛ですか?」と彼女が尋ねる。


「たぶん、そうじゃないと思います。でも、“Rへ”の次が“Mへ”なんです。偶然だとは思えなくて」


澪は少し考えてから、小さく頷いた。

「MNEMO-POSTには、二種類の投函者がいます。

 ひとつは、“思い出を残したい人”。もうひとつは、“思い出を消したい人”。」


彼女は封筒を手に取り、光にかざした。

紙の内側に薄く透ける模様がある。

それは回路のような線――まるで神経の枝。


「これは、忘却型です。預けられた記憶を、指定の条件が揃うまで封じ込める仕組み。

 開封の合図が揃うと、送り主にも、受け取る人にも“記憶の断片”が戻ってくるんです」


「じゃあ、この封筒は……」


「誰かが、あなたを忘れるために預けたものかもしれません」


彼女の声は淡々としていたが、その目はどこか寂しげだった。



澪は奥の棚から、一冊の古いファイルを取り出した。

表紙には「初期利用者記録」とある。

ページをめくると、いくつかのカードに手書きの文字が並んでいた。


コード:R-12

形式:忘却/双方向型

投函日:二〇二一年十月十二日

開封条件:12の断片が揃う時


“R-12”。

昨日拾った観覧車の半券の番号と同じだった。

ぞくりとした。


「これ……自分が誰かの記憶に、組み込まれていたってことですか?」


「そうかもしれません」

澪は小さく笑う。「でも安心してください。MNEMO-POSTは、“忘れたいけど忘れきれない”人のための場所です。

 完全な消去ではなく、“封じる”。だから、合図が揃えば、戻る」


「合図?」


「あなたがその人と交わした、何か特別なサイン。

 たとえば言葉でも、匂いでも、音でも。人それぞれです」


僕は息を呑んだ。

――また来い。

――金木犀。

――雨。

すべてが、誰かとの“合図”のように思えた。


「でも、どうして僕に封筒が届いたんでしょう」


「たぶん、あなたが“拾う”人だからですよ」

澪の言葉は、ゆっくりと落ちた。

「遺失物を集める仕事をしている。だから、記憶も拾ってしまうんです。

 ――忘れられた記憶たちを。」



帰り際、澪が呼び止めた。

「これ、よかったら」


差し出されたのは、小さな透明瓶に入った金木犀の花。

「ここでは“記憶の見本”って呼んでます。香りは、記憶を最も強く呼び覚ますから」


瓶を受け取った瞬間、微かな既視感が走った。

雨の日。ベンチ。

誰かが笑っていて、同じ香りがあった。


「あなた、どこかで……」

言いかけたが、澪は微笑んだだけだった。

「また来てください。次に“雨が降った日”に」


外へ出ると、雲が割れ、光が差していた。

道路にはまだ雨の名残りが残っていて、そこを渡る風が金木犀の香りを運んだ。


――また来い。


心の中で、その言葉がもう一度響いた。

雨がやんだばかりの街は、まるで巨大な記憶装置のように静かに光っていた。

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