第二十五話 王太子は優しいです
「あれ、ない……」
ジーニアス殿下から逃げてきた私は、天幕で荷物を探って青ざめた。
荷物の中に隠し持っていた、懐中時計がなくなっているのだ。
(まさか……あの時落としたの?)
ジーニアス殿下に面会する直前に、私はちらっと時計を盗み見ていた。あの時は急な呼び出しで動揺していたし、落としても気づかなかったのかもしれない。
(どうしよう。……大切なものなのに)
今は亡きお父様の形見。
それに、ランドバルク家の紋章が入った品を、もしジーニアス殿下やミール様たちが見つけてしまったら、私がランドバルクの令嬢であることが確定してしまう。
ただでさえ、ジーニアス殿下は私の正体を確信されていたのに。
怖くなって、天幕の中を意味もなくうろうろしてしまう。
(探しにいってみよう)
ジーニアス殿下と面会した場所は、高位の方々が泊まるエリアにある。
おいそれと近づけないけれど、せめてそれ以外の場所を見るくらいなら。
そう考えて、さっきまで歩いてきた場所をたどる。
そんな私の目の前に、ジーニアス殿下は再び現れた。
手には、あの懐中時計があった。
(ああ……終わった。ここで、全部失う)
私は、唇をかんで、覚悟する。
だけど、ジーニアス殿下は、私を問い詰めなかった。
「……これは大切なものだな」
それだけおっしゃって、私の手に優しく懐中時計を握らせるジーニアス殿下。
驚いて、私は初めてきちんとお顔を見上げた。
私たちの目が初めて合う。
ジーニアス殿下は、少しだけ苦い顔をして、微笑んでいた。
「先ほどは急に呼び出して悪かったな、傭兵のフリッグ殿。……君の弓の腕は素晴らしい。またの機会に、弓の話でも出来たら嬉しい」
あっけにとられて、頷くことができなかった私。
それを見届けたジーニアス殿下は、約束だぞ、とおっしゃって、そのままミール様と一緒に去って行った。
(さっきとぜんぜん態度が違うじゃない。……どうしてなにも言わないの……こんな時計、フリージアしか持ってないわよ)
ジーニアス殿下に気を使われたと分かって、自分が恥ずかしくなってくる。
(私は、正体がばれるって思っていたのに。……なんで、こういう時に、優しくするの)
不器用なジーニアス殿下の優しさと気遣いが懐かしくて、そういえば、そういうところが大好きだったと思い出して、目に涙が浮かんできた。
本当は、胸を張って堂々と、フリージアですって名乗れる自分でありたかった。
でも、私の生き方では、無理なのだ。
ままならない現実。
それでも、ジーニアス殿下は私を傭兵として扱い、弓の話がしたいとおっしゃった。
フリージアに戻りたくない私の気持ちを尊重した上で、また話そうと、誘ってくださったのだ。
(……こんな戦の中だもの。少しくらいなら、話しても不審がられないかもしれない。少しなら……)
私は、戻ってきた懐中時計をゆっくりと撫でた。
(……戻ってきてよかった。わざわざ届けに来てくださったのよね。ありがとうございます、殿下)
そういえば、お礼も言えていなかったと気が付いた。
またの機会に、弓の話。
いかにも楽しそうな、幼い思い出をたどるようなお誘いに、口の端が綻ぶのを感じた。
お礼は、その時にまたお伝えしよう。




