第十話 これは過去のお話です 四
それから、私は毎日使用人の目を盗んで中庭へ通うようになった。
くじけそうな心を、懐かしいバラで慰める。そうしてやっと、諦めようとする気持ちを立て直し、今日一日を耐え抜くことができたのだ。
かくして中庭に出て1か月ほど経過したとき、思いがけず事態は動いた。
その日もバラとともに時を過ごしていると、ある人影が現れた。
使用人だったらまずいと思い、慌てて大きな木の幹に隠れて様子をうかがうと、人影が見覚えのある人物だということに気が付いた。
(あれは……トム?)
トムという人物は、何を隠そう、新種のバラ「リンザ」を作り出した庭師だ。
大きな目に大きな鼻をした彼の顔を、父親と母親に愛された幸せな思い出とともに、私はよく覚えていた。
(でも、トムは庭師として高い地位につけていたはずよ。なぜ、別邸なんかで働いているの?)
そう考えながら彼を観察していると、トムは道具を使って、庭を整え始めた。
彼の手つきは優しく、仕事ぶりは変わらず見事である。腕は落ちていないようだった。
(まさか……両親に重用されていたから、左遷されたの?)
我ながらあり得る話だと思った。義母と義姉はとにかく、私の母を目の敵にしているのだから。
仮にそうだとしたら。もしかしたら、彼は私の味方になってくれるかもしれない。
(希望が湧いてきたわ)
これが本当に希望と呼べるものなのか確かめるべく、私は木の陰からそっと姿を現した。
「ご機嫌よう」
「お、お嬢様……!?」
トムは驚いたようだった。
「今日はいいお天気ね。調子はどう?トム」
私の言葉に、トムは答えず、帽子をさっと目深にかぶった。
「いけません。奥様に叱られますんで」
ぶっきらぼうにそう言って、彼は作業に戻った。
「お嬢様も部屋にお戻りください」
(やっぱり駄目だったかしら……)
私がしょんぼりしていると、トムの節くれだった手が私に差し出された。
「これを。誰にも見られないよう、秘密ですよ」
それは、完璧に棘が処理された「リンザ」のバラだった。久々に人にやさしくしてもらった私は嬉しくて、トムに抱き着きたくなった。
(早くここを立ち去らないと。一緒にいるところを誰かに見られたら、トムに迷惑がかかってしまうわ)
「ありがとう、トム……」
だから私はそっとバラを受け取って、それを隠しながら、自室へと戻る。
(これは、希望だわ。間違いなく。……また中庭へ行こう。少しずつ話をしてみて……トムの状況が分かって、大丈夫そうなら、助けを求めてみよう)
希望は鳥の羽のようだった。そっと私の心に触れて、そこから熱くなっていくようだった。
(ありがとうトム、ありがとう、神様)
私は軽い足取りで、自室に戻っていった。




