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銀河暦三一三年、七月六日……七夕前日。
地球圏連邦共和国に属するこの惑星にも、日本の風習が色濃く伝わっていた。
空に吊るされた双月が金と青の光を交互に降らせる中、『ルクスペイ高等専修学校』の校庭では、生徒達が朝から伝統的な地球文化の一つである『七夕祭』の準備に追われていた。
この『ルクスペイ高等専修学校』は、ユーフォリアの中でも最先端の知性と才能が集う学び舎である。
空に浮かぶ衛星学園都市『セレネ』と、地上のキャンパスを繋ぐこの拠点には、地球圏連邦が推し進めるエリート育成計画に選ばれた若者達が集まっている。
八年制の専修学校。選ばれた生徒達は、ここで知識と技能そして社会性を修得し、この惑星『ユーフォリア』の未来を背負う人材となっていく。
だからこそ、生徒間の恋愛にも寛容であり、むしろ奨励している様子すら垣間見える。優秀な男女から生み出される命は更に優秀なものになるだろうという考えもあるのかもしれない。
だがその中に、世界観を根底からひっくり返すような恋の停滞が存在していた。
長いツーサイドアップの金髪を揺らしながら、一人の少女が唸っていた。
「何故なの……何故進展しないのかしら? あの二人……!」
セーラー服のエメラルドグリーンの襟を整えながら、『能代恵鈴』は深い溜息を吐いた。
碧石色の瞳を恨めしそうに教室の奥に座っている二人の同級生に向けた。
『最上科乃』と『天城大和』。
空色の髪に、雪のような白い肌。金春色の瞳を持つ人間は、このユーフォリアでも滅多にいない。そんな二人が並んで歩くだけで、まるで星座から抜け出してきたような幻想的な存在感があった。
彼等を知らぬ者は、今やこの学院にはいない。
周囲からは『神カップル予備軍』と勝手に名付けられ、目撃する者は揃って息を呑むことだろう。
もちろん、『並んで歩いていたら……』の話である。
だが、当の二人は、周囲の期待に反して、その距離を一向に近づこうとしない。
教室でも廊下でも、昼休みの中庭でも……
気づけば同じ空間にいて、どこか自然に視線を交わしているのに、あと一歩が絶対に縮まらない。
それどころか、たまたま肩が触れそうになろうものなら、
「やば……いま、科乃ちゃんと天城君、めっちゃ近くなかった!?」
「肩! 肩、かすったよね!? あの距離は合法!? いや合法だよね!?」
と、目敏い女子達の一部がざわめき出し、あっという間に『接近遭遇速報』が学内のSNSに拡散されるほどの騒ぎになる程である。
『第一次接近遭遇ラインにいるよ!』
『きゃ~! 並んだだけで映えるぅ』
『尊い!』
情報が流れてくる度に恵鈴は物足りなさを感じてしまう。映えるだけではダメなのだ。くっつかなければ意味がない。
――お願いだから、あと十センチ! せめて十センチでいいから! くっつきなさいよ!
恵鈴の心は、今日も焦がれるように叫んでいた。
「……本当に、どうして何も起きないのよっ!!」
恵鈴は、ぐっと短冊を握りしめる。
その手には『二人が結ばれますように』と書かれた文字が。筆跡は、もちろん彼女のものである。
傍で笹の飾りつけをしていた『鈴谷亜漣』が、げんなりとした顔で言った。
「いや、エリンさん……他人の恋に願掛けって、それもう祈願というより怨念じゃ……?」
「お黙りなさい!『巻き込まれ男』!」
「それって……俺の公式称号?」
亜漣は苦笑しつつも、文句を言わない。もう慣れていた。
交際を始めて二年、恵鈴の突飛な言動に振り回されるのは、もはや日常茶飯事だった。
だが、ただの恋バナではないことも、彼は理解している。
――まぁ、無理もないか……
恵鈴が、なぜこれほどまでに二人の関係にこだわるのか?
その理由を、亜漣は誰よりもよく知っていた。
あの事件から、まだ一年も経っていないのだ。
論文大会の『ルクスペイ高等専修学校』代表として、現地に移動中だった科乃の乗るプライベートジェットが、反政府武装勢力に襲撃された。
護衛任務にあたっていたのが、航空宇宙軍に所属していた天城大和少尉……そう、今ルクスペイに編入してきた『彼』である。
大和は敵機を全て撃墜しながらも、孤立した科乃の乗る機体を護るため、自ら被弾し海へと落ちた。
そして、奇跡的に二人は無人島に漂着。そこで一週間以上、二人きりの過酷なサバイバル生活を生き抜いた。
助けも連絡も届かない中、科乃を狙って再び現れた襲撃部隊。
だが、大和は科乃を守り、その全てを排除した。たった一人で部隊の全員を制圧、殲滅してのけた。
その凄惨さに、科乃は怯え、恐怖による暴走を抑えるために、大和は科乃の記憶を封じることを選んだ。
静かに穏やかに暮らしたいという彼女の願いを叶えるため。恐怖の記憶から、彼女を解放するために。
……自分の存在ごと、全てを……
大和は科乃を抱きしめてキスをした。
その瞬間、精神的な干渉によって彼女は意識を失い、過去を忘れた。
その場に駆けつけたのは、ノシロ財閥の特務艦であり、乗り組んでいたのが、恵鈴と『巻き込まれ男』の亜漣だった。
その時の大和が見せた、言葉にできないほどの悲しい眼差しは、今でも忘れられない。そして彼自身も、帰還後に記憶を消去された。
大和が『平凡な学生』としてこの学園にやってきた時、科乃との間にあった全ては、もう無かった。
だが、恵鈴と亜漣だけは覚えている。
彼らが確かに『結ばれていた』ということを。
無人島で、命を預け合うようにして育んだ絆を……たとえ、本人達が覚えていなくても
「私は、確かに見ましたわ。二人の絆を。この眼で……」
恵鈴がぽつりと呟いた。
その声は、熱に震えていた。
七夕に込められた「年に一度の再会」。
それは、ただの恋愛イベントではない。
忘れられた記憶と、封じられた想いを取り戻すための鍵――恵鈴にとって、それは運命の再起動なのだ。
「だから、もう一度出逢わせるのです。私が仕掛けて、導いて、全部再起動させますわ」
「それ、成功率どれくらいなん……?」
「そうですわね、八十五パーセントくらい?」
思った以上の数値に、亜漣は目を大きく見開いた。
「え!? 思ったより高っ!……ってかさ、逆に残りの十五パーセントが気になるんだけど……」
「記憶がフラッシュバックして、シナノンが泣き崩れて、慌てたシークレットサービスのソクジンさんが突入してくることで私の事が身バレして、最終的にルクスペイの星観察ドームが爆発するかもしれない」
「いやいや、オチが災害級なんだけど!!」
亜漣がツッコミを入れる間もなく、恵鈴はすでに通信デバイスを操作していた。
「えーっと、照明係さん、天井ドローンは予定通り?
ええ、笹の上に設置して、指定時刻でハートマーク浮かせるの。
BGMは地球旧暦のピアノ曲『天の川ラプソディ』で。
でも極めて自然に始めてくださる?
あと、屋上に誘導する方法、リハ済んだら連絡を寄こして」
彼女の周囲には、すでに小規模な作戦本部が形成されていた。
参加メンバーは恵鈴のクラスメイトや能代グループの若手社員まで幅広く、誰一人として逆らえないのが恐ろしい。
「何でそんな統制取れてんの? この学園内作戦……?」
「恋愛に必要なのは、戦略、兵站、心理戦。つまり『戦』なのよ。私の彼氏を張るなら、よく覚えていてくださいまし」
「いやいや、エリンさん、本当は軍籍持っているでしょ? 大佐とか、大将とか? あ、いや、そうであっても、俺はもう驚かないけどね……」
呆れる亜漣の声をよそに、恵鈴の目は星のように輝いていた。
――七夕、二人は再会するのですわ
それは、ただの恋の瞬間ではない。
封じられた運命を、もう一度つなぐ『星の記憶の交差点』ですわ!
恵鈴の身体が小刻みに震え、それはやがて「おーほっほ」という典型的なお嬢様の高笑いに変わる。
「見てなさい! この手で、ぜったい『再会』させてみせるから」
そう呟いた彼女の瞳は、二人の未来を、誰よりも信じていた。