第5話 プレゼント
その後、ヒロシ達は電子カタログからただちに支給が可能な装備に目を通し、受付の担当に「優先でこちらに回してくれ」と頼み込んだ。給与が低い職業では賄賂等の汚職が蔓延りやすいとは常々言われているが、このエリュシオンも例外では無い。資本を持つ尊さに対する啓蒙と、消費至上主義で際限なく脳を埋め尽くされるこの地では、上には上がいるという事を嫌という程思い知らされる。そしてそれを教え込まれた者達は、後に続けと言わんばかりに消費に依存をする。故に消費の原動力となる金に目が無いのだ。
「いくら何でも賄賂は…」
装備支給の報せを待つエドワードが隣で呟いた。手続きをする際、ヒロシが小声で何かを呟いた後で受付の担当が携帯を取り出してから、満足げににやけていたのを思い出す。これまでの人生でも度々目にした光景だが、まさかフェンファン・テクノロジー社ほどの大企業ですら蔓延っているとは彼も思っていないらしかった。
「賄賂 ? 暫く無視していた酒飲みのツケが溜まっていた。それを返しただけだ」
「それならあんな喜び方はしないでしょう」
「釣りはいらないと言ったのが効いたのかもしれない」
二人は装備品受け取った上で最終確認を始め、いよいよ旅立つ踏ん切りを付けようとする。サブベルトを締め直し、タクティカルベストに備えた装備品を入念に触ってすぐに取り出せるかどうかを確かめる。ブーツの紐は固く結ばれているか、銃器への弾薬の装填はどうなっているか、薬室内に不具合は無いか、服や装備を身に付けた際、余計な物音が出ないようテープでしっかり固定が出来ているか。互いに確認をし合い、問題なしと判断できればいよいよ出動室に向かう。
「さっきの手筈は忘れてないか ?」
「ええ。ヤバそうだったらバックパック、でしょ ?」
「そうだ」
装備を確認した上で二人が出動室に入ると、そこは相変わらず目が痛くなるほどに純白な部屋であった。大型の次元間伝達装置が不気味に佇んでおり、バックパックを背負った二人は、アナウンスに従いながらゆっくりとその装置の元へと向かう。そしてアームで持ち上げられている黒く濁った槽の下に立つ。
「次元間伝達装置起動。間もなく、転送を開始します。ガスマスクを装着し、足場から動かないでください」
二人は言われるがままにガスマスクを身に着け、頭上から迫って来る槽を眺める。アームによって引っ繰り返された槽の中には、黒く濁った液体が重力を無視して留まっており、アームによって層が頭上に降ろされるや否や、二人は頭からその液の中に漬け込まれた。槽が完全に覆いかぶさると、ヒロシ達は僅かな光さえも無い暗闇へと取り残される。
「落下が始まります。態勢を整え、着地の準備を行ってください」
最後のアナウンスが行われた瞬間、ヒロシとエドワードは頭が何かに引っ張られるような感覚を味わう。落ちているのだ。息も出来ない。呼吸を止め、体勢を変えて即座に引っ張られる様な感覚のする方へ足を向ける。ジェットコースターやバンジージャンプをする時とよく似た気持ち悪さが、腹部を執拗に撫で回してくる。ひとまず落下は順調だろう。
やがて、足に感覚が戻って来た。着地に成功した証である、僅かな衝撃が仕事における第一段階の成功を告げ、ヒロシはすぐさま銃を構える。暗闇に包まれた周辺の視界は、カーテンの幕が上がるかのように開けていくが、一体何が変わったのかと思う程に同じような漆黒の光景が広がっていた。暗視ゴーグルを使って隣を見ると、同じく着地に成功したエドワードが若干動揺しつつもアサルトライフルを構え出し、それを確認した上で行動を開始する。こちらのコンディションに異変が無い限り、仕事が優先である。
「通信は繋がるか ?」
歩き出したヒロシが、隣に居たエドワードへナノマシンを介して尋ねた。
「ええ、聞こえてます。本部側にある転移先用サーバーとの接続も自動で行われました……小型衛星の打ち上げも既に行われているという事でしょうか ?」
「だろうな。視界にインターフェースも表示されている。ナノマシンやアテナに動作エラーが起きないのなら、そういう事だろう」
ヒロシからすれば馴染みのある単語であった。回収員が派遣される別世界線では、通信インフラが整っていないせいで孤立してしまう可能性がある。そのため、時として未開拓の転移先を見つけて対処をする依頼が存在していた。専門の担当者を回収員に同行させ、新規の転移先にて人工衛星の打ち上げを行わせるのだ。遠隔操作による多脚を備えた移動式の発射台と、無数の小型人工衛星を数基搭載させた小型のロケット。それらと共に派遣されては、ロケットの発射によって人工衛星を稼働させ、通信インフラを確保する。幾度となくそれを繰り返す事になる。開拓という仕事柄か、危険度も相応に高い。まさに血濡れになりながら後続のために道を作る作業であった。しかし報酬の羽振りは良いため、あまり断る理由が無い。
「ライアンの話からするに、ビデオ以外にも恐らく前任者たちがいたようだが…彼らに関する情報を何一つ聞かされなかったな」
それを分かっているからこそ、何不自由なく通信が出来そうな今の状況は、いささか不審だった。既に数多の生贄が差し出されているという事に他ならない。ここ最近、本社に在籍している者の人数の減少がやけに激しかったのをヒロシは思い出していた。しかし記録を調べても、死亡による除籍であること以外には何も分からない。あまり交友関係が広くないか、或いは仕事にストイックで守秘義務を馬鹿真面目に守るタイプが多かったらしいが、まさかここに送り込まれたのだろうか ?
「通信…これ…記録されてるんですかね ?」
ガスマスクのせいで全貌は分からないが、エドワードは焦っている様だった。こちらが怪しんでいる事を、サーバーの情報から本社に知られるとマズいのではないかと思ったらしい。
「別にいいさ。後でこの記録を証拠に文句を言ってやろう」
通信によってこちらの生体情報は握られている。今すべきは、この仕事に関する不穏な要素に気付いたと悟られない様に、愚直な捨て駒を演じる事であった。エドワードがその意図に気付いてくれてる事を祈りながら、ヒロシは忍び足で先を急ぐ。中腰且つ摺り足で、慎重に動き続けるのは中々骨が折れる。だが、それをに十分ほど続けていた時だった。遠方に明るい光が見えたのだ。
隠れるものが無いせいで舌打ちをしたくなったが、その灯りが少しだけ見覚えがある物だった事には、流石にヒロシも安堵感を抱いた。例の、巨大な枝の先端が地中から生えている。
「少し調べてみるか」
ヒロシはバックパックから、折り畳み式の設置型遮蔽シールドを取り出して展開し、その陰に隠れて更に別の頑丈そうなケースを取り出す。ナノマシン接続型のドローンであった。一度繋げば神経ネットワークによって脳の信号を直接機体側へ送信し、スムーズ且つ直感的な動作を可能にする。さながら自分の四肢や頭部のように。
「妙だな…」
しかしドローンを飛行させて送り込んだヒロシは、脳に流入してくる情報と視界のインターフェースで表示される現場の光景に不可解さを見た。
「何がありました ?」
「ブリーフィングで見たあの映像は三ヵ月前のものであっていたか ?」
「はい」
「死体はおろか、それらしい痕跡も無い」
「前任者たちが片づけたのでは ?」
「流石に全部は無理な筈だ。それに、俺達の前任者…彼らについても恐らくここで何かしら仕事をさせられ、最悪くたばっている可能性がある。なのに、一切何も無いなんてことがあるか ? 金属探知用のセンサーも使っているが、周辺で薬莢の一つすら見つからない」
ドローンが帰還すると、ヒロシは素早くそれを片付けて立ち上がる。
「先に進むぞ」
そう言ってから、手で自分の胸を四回ほど強く叩いた。エドワードに聞こえるくらいには大きな音である。事前に知らされていたジェスチャーであった。胸を四回叩いて音を出したら、帰還用の次元間伝達装置の子機を設置しておけと。それを聞いたエドワードは、記録を中断するために即座にナノマシンによるネットワーク接続をオフラインにし、バックパックを開けて準備を始める。そして本来脱出用に支給される物とは別の、ライアンに依頼して提供してもらった装置の方を設置した。その後で、先に進むヒロシの後を追いかけるついでにネットワークをオンラインに戻す。
「大丈夫か ?」
ヒロシが聞いてきた。勿論、意味合いとしては「装置の設置は終わったか ?」という類なのは言うまでもない。
「ええ。何事も問題ないです」
エドワードもまた、意図を汲み取れる程度に分かりやすい回答をくれてやった。再び沈黙と共に、二人は慎重に枝の方へ接近していく。間近で見て分かるのだが、想像以上に眩しい。
……ん……ーーー………
「今何か聞こえなかったか ?」
ヒロシはいきなり振り返り、携えていたショットガンを構えてエドワードに行った。確かに耳に入って来た、唸り声に似た声。当分収まりそうにない鳥肌が体中に立ち、心臓と肺の動きが加速する。自分達は、既に取り返しのつかない所にまで来ているのかもしれないと、自分の勘が囁いてきた。
「……何も聞こえませんが」
んんーーーー…
「だが今こうして―――」
「どこから ? 気のせいじゃないですか ?」
唸りは明らかに近づいている。だというのに、エドワードは呑気に辺りを見回していた。自分の空耳かと疑いたくなったが、そんなわけは無いだろう。間違いなく自分達の上から…音が…
「ヒロシさん…」
「静かに。上だ」
ショットガンを構えたヒロシだが、エドワードにとってあまりにも不可解な光景であった。なぜならば上には何もない。ただアーカイブにあった通り、光が差し込んできているだけである。彼は何に恐れているのか ?
一方でヒロシからすれば、エドワードの態度が理解不能であった。頭上には、腕があったのだ。巨大で、黒曜石のように輝いている黒い腕。それが静かに舞い降りてきている。銃が通用するのかさえ分からない。だが、向けずにはいられなかった。エドワードは何をやっているのか。そう思ってもう一度エドワードを見た時、彼は更なる焦燥感に見舞われた。
とぼけているエドワードの背後に、頭上の物とは別の腕が現れている。そしてそれは、今にもそれはエドワードに掴みかからんとしていた。
「エドワード!!」
ヒロシはとうとう怒鳴り、彼の後方に向けてショットガンの引き金を引く。シェルが宙を舞い、放たれた弾丸が後方へと消える。すぐさま怯んだエドワードを掴み、前に押してからヒロシは必死に元来た道を走り出そうとした。だが、既に無数の腕が伸びて、自分達の方へ襲い掛かろうとしている。どうなるかは分からないが、無事では済まないだろうという確信だけはあった。やむを得ない。
ヒーローなどに憧れた事はなかった。寧ろ軽蔑しているくらいである。助けを必要としている人間がいても、それがちっぽけであれば気にも留めず、自分が目立ててチヤホヤしてもらえそうな時だけは頼んでも無いのに出しゃばって来る。少なくとも、現実でヒーローを名乗る人間は例外なくそんな連中だと認識していた。そんな人間にはなりたくない。かといって本物の善人や英雄などを目指すつもりも無い。その筈だったのに、どういうわけか”それ”をしたくなっている自分がいる。今ここで己の体を動かさなければ、一生後悔する事になると本能が囁いてくる。せめて、自分が確かにいた証を残したいと叫んでいる気がしてならない。人の内にある善性は、”試練”の瞬間が訪れるまで誰にも、本人にすらも気づかれない。そんな与太話がふと頭をよぎった。
ヒロシは気が付いたら、精一杯の力でエドワードにぶつかって押し出していた。勢い余って彼は転げていたが、自分と違って魔の手から逃れることは出来た様だった。腕達が次々ヒロシに掴みかかり、四肢を捻じ曲げるか、千切ろうとするかのように引っ張って来る。骨ごと体から抜かれそうな激痛が走った。弄ばれている。
「行けええええええ!!構うなあああ!!」
宙に浮き、見えない何かに体が捩じられ、抉られながらヒロシが血を吐いて叫ぶ。エドワードは震え、恐怖でまともに動かない下半身を引き摺る様にして必死に逃亡を開始する。霞んでいく視界でその姿を見届けた後、ヒロシは叫ぶ気力すら失いながらも苦痛の中で静かに目を閉じた。ああ、腕や足が軽い。感覚が無い。千切れてしまったか。何かが体を貫き、熱いものが流し込まれている。体が内側から焼けている様だった。苦痛のあまり意識が消えそうになっている。だが、その間際のほんの一瞬だけ、知性のある明確な声を聞いたような気がした。
クレテヤロウ




