第4話 下準備
「アレがヒロシ・タニシタです。 社内でも現場仕事に携わっている者達は多くいますが、彼の仕事ぶりに関して異論を唱える人間を見た事が無い。少々無愛想なのが欠点とも言えますが、ああ見えて人付き合いも悪くない…どうです ? 彼はいい男でしょう」
ヒロシたちが去った後、シュウ・シアンが椅子にもたれ掛かりながら他二名へ言った。モギタニはヒロシ達からの電子証明を受け取ってから、報酬支払いの準備と、出動に当たっての資材貸し出しに係る決裁を取るため、荷物を纏め終わってから急いで部屋を後にする。勿論、出て行く際の一礼は欠かさない。
「ミスター・タニシタやモギタニもそうですが…我が社にいる日本人はやはり国を飛び出してくるだけあって優秀だ。その上、彼らは古き良き日本人…”御恩と奉公”の精神を持ち合わせている。報酬を出せば出すほど、しっかりと成果を出してくれるんです。自分のなすべき事に集中し、泣き言をほざかない働き者。私が祖父に教えられ、見習うべきとしていた侍の姿。今の日本からはすっかり失われてしまいましたがね。嘆かわしい事に」
シュウ・シアンの話をエレーナ・フカワは黙って聞いていた。興味が無いというツンケンな態度とは違う、同意とも取れる無言。戸籍こそかつては日本に属して故郷としていた彼女だが、それも最早懐かしい話である。日本という国家と日本人のために反論をしてやる。その程度の情熱すらも、今の彼女には残っていなかった。ただただ無念と侮蔑だけが残っている。
「しかし、いいのかね ? 君の口ぶりからは彼を高く評価しているように見えるが…今回の仕事は…その…かいつまんで言えば…」
エド・ゲーベルクは高評価をするシュウ・シアンの言葉と、実際に委託した業務の内容が矛盾していると考えている様だったが、明確に口にする事は出来なかった。はっきり言ってしまえば、自殺の催促としか言いようがないこの作業を、ここ暫く続けているフェンファン・テクノロジー社の冷酷さもそうだが、あの映像を見せられて引き受けてしまうヒロシ・タニシタの底知れない恐怖心の無さに戸惑っていた。
「実を言えば、今までの先任者たちには今回の映像を見せていなかったんです。間違いなく断ったでしょうから。でも、ヒロシ・タニシタがブリーフィングに顔を出してくれると分かったからこそ、用意した物ですよ」
「な、なんだと…」
「彼には仕事ぶりへの好評とは別に、恐ろしいゴシップもありましてね…死ぬんですよ。彼を嘗めて仕事に悪影響を及ぼす事をしたクライアントは、”どういうわけか”皆死んでいる。報酬をくれる客や、依頼を仲介している我々を信頼してくれてるからこそ裏切りは許さない…とも取れますが、ちゃんと危険があるという事だけは伝えておこうかと思いましてね。でなければ、内容を伏せてクソみたいな仕事を押し付けてきたなどと因縁を付けられ……バァン。我々が標的にされてしまうかも」
シュウ・シアンは銃に見立てた指を構えて撃つ真似をし、ホログラム上のビジネスパートナーたちをおちょくった。
「こうもアッサリ…ほんの少しの報酬の上乗せだけで許してくれるとは思ってもいませんでしたが、彼が無事に仕事を引き受けてくれてホッとしていますよ。こちらもこちらで、中々切羽詰まっていますから。そうでも無ければ、言い値で報酬を決めるなんて賭けはまずしません。彼ならば、何かしら有益な土産をもたらしてくれると信頼してるからこその待遇です」
そこまで言ってシュウ・シアンは席を立つが、他の二人はやはりいけ好かない思いを彼に抱いていた。この男の言葉を真に受けてはいけない。エリュシオン企業連合に属する全員がこの事項を共通認識としており、シュウ・シアンでさえもそれは理解していた。だからこそ、一周回って隠す事もしない。
「まあ尤も…帰って来てくれればの話ですがね」
そう言い残すシュウ・シアンの顔は、それが当然の事であるかのように威風堂々としていた。
――――ロッカールームに向かった二人だが、既に服やチョッキなどの標準支給品がロッカーに入れられていた。まるで自分達がこうする事を分かっていたかのようで中々不気味である。
「やっぱり変だ。報酬は百億エリュシオンドルになったとはいえ、そもそも無事に戻って来れるかも分からないのに」
エドワード・ホワイトが隣で不満を口に出した。独り言かと思ったが、こちらを無言で見てきたことで、ヒロシは自分に話しかけていたのだと理解した。百億エリュシオンドル…日本円との為替は現時点で一エリュシオンドルが千五百円だというのを考えると、一兆五千億円である。全ての国家では、エリュシオンに対しては通貨が破格の安値になってるとはいえ、やはり恐ろしいインパクトであった。
「不安か ? 」
ヒロシの問いかけは挑発ではない。精神的に不安定な状態は、任務中のミスを誘発する。トラブルが発生して仕事の結果に支障をきたす事になるのは避けたかった。
「いくら何でも二人だけに任せるには危険すぎる。安全性を確保したいなら、もっと大規模な作戦に切り替えるべきでしょう。戦闘が起きる事は分かってるなら、軍事部の連中を派遣した方が…」
「だが彼らは装置を使った別次元での活動に慣れてない。転移先の探査の必要性を考慮するなら、結局は俺達リーパーに全部やらせるのが一番手っ取り早いと考えたんだろう」
珍しい事ではない。あくまでエリュシオンにおける破壊工作や犯罪の鎮圧のために設立されている軍事部の兵士達は、基本としてリーパーもとい回収員たちの行う肉体互換ビジネスには関わって来ないのだ。圧倒的な売上を持つ、傭兵派遣を含めた軍需産業に従事する立場という事もあってか、彼らは社内におけるヒエラルキーにおいて高い位置づけであり、特に回収員たちとは犬猿の仲であった。片や非正規でありながら肉体互換事業という急伸中のビジネスを担い、片や陰りこそ見えるものの、今も尚エリートコースの一角を担っているという自負を持つ。対立するのはある種の必然と言えた。
「でも―――」
「エドワード・ホワイト」
それでもエドワードは納得がいかないらしく、食って掛かろうとする。しかし、それを遮るようにヒロシはわざと音を立ててロッカーの戸を閉めた。
「お前の仕事は何だ ?」
怒ってはいない。しかしそれでいて、明確な圧を感じる冷酷な物言いであった。
「……か、回収員です」
「そうだな。俺達の仕事は回収員だ。その回収員がすべきことは何だ ? 契約書に名前まで書いておきながらウジウジと探偵ごっこをする事か ?」
「…違います」
「分かってるじゃないか。今必要なのは下された指示を現場でこなす事だ。役割を間違えるなよ。俺達の世界に、シャーロックホームズや刑事コロンボはいらない」
そう言ってヒロシは準備を終え、エドワードも渋々ながら装備を整え直す。彼が納得をしていないのは承知である。実際の所、疑問を抱くなという方が無理な案件であった。調査と言っても何をするべきなのかはこちら任せであり、死人が出ている状況だというのに少々心構えが気楽すぎる。自分が行くわけでは無いからという管理職特有の能天気さによるものかもしれないが、なるべくであれば隠密に事を進めたがっているような気がしてならない。自分達より前に死んだ前任者が隠されている可能性さえある。
「だが…お前の言う事にも一理ある」
武器庫に向かう最中、ヒロシがそれを呟くとエドワードが意外そうに彼を見た。
「謎の不具合によって帰還する事が出来ないなんて事になればひとたまりも無いからな。少し準備をしよう」
やがて地下の武器倉庫に着くと、防犯用の柵越しに座っている受付員に対し、やはたらと食って掛かっている若い回収員がいた。依頼欲しさに臨時の募集が無いかをねだるというのは珍しくない。何の後ろ盾も無ければ人脈も無い人間は、ああして色んな人間に頭を下げる羽目になるのだ。少し懐かしさを覚える。
「どうにか出来ないのか ? 何でもいいんだ。誰か人手が欲しいと言ってなかったのか ?」
「ですから、そういうのは俺に言われても困りますって。依頼発注班からの決裁とか、業務担当からの連絡が回ってこないとこっちだって何も出来ないんですから」
売れ残った回収員があの手この手で依頼が無いかを探し回る事は想定済みらしく、武器倉庫の受付の壁には、急遽キャンセルされた依頼や穴埋めを欲する求人の報せを電光掲示板で表示してくれる。故にその余り物を欲しがって集まって来るのだ。不運な事に、今日は一件も無かったようだが。
「そんなに仕事が欲しいんなら、クライアントや上層部に自分を売り込むか、他の回収員たちに仕事が無いか聞いてみるとかしなかったんですか ? うちの会社、定期的にパーティーとかやるでしょ。そういうの参加しないの ? 色々関係持てるから面白いよ」
「何で業務とは関係も無い上に、報酬も発生しない低俗な催しに参加しないといけないんだ ? 大事なのは成績であって、コネ作りなんていう日本や中国の様なアジアの伝統じみた気持ち悪い習慣に縛られる連中は、どの道碌な仕事をくれない。違うか ?」
「ウーん…まあそういう考えもあるよねとは思いますけど…ヤマイさん。あなた、別に仕事もそんな出来ないですよね」
「あ ?」
「だってそうでしょ ? 登録情報の確認ついでに過去の研修記録見ましたけど、座学も格闘訓練も射撃訓練も、せいぜい中の下どまり。おまけに今の話からするに社交的でも無さそうですし。それを踏まえてですけど…他にいくらでも優秀で、尚且つあなたよりもよっぽどコミュニケーションに長けた人材ばかりなうちの会社で、どうしてわざわざヤマイさんを選ぶ理由があるのか教えて貰えます ? 即答出来ないんならそれが答えですよ」
たかが受付担当と見くびっていた相手にここまで言われたのがよほど堪えたのか、病というその男は唇を少し震わせ、何かを言おうとしたが反論も出来ずに黙りこくる。道行く回収員たちは、「また乞食をしている負け犬がいる」と陰口で嗤っていた。
「ん…おー、ヒロシさん。ヤマイさん後で良い ? 依頼のある人が優先なんで」
いつまでも待っていては埒が明かない。そう考えたヒロシは話が終わってない事などお構いなしに受付へ向かい、受付担当の職員は彼を見て少し顔を明るくした。これでつまらんクレーマーへの対応もおさらばというわけである。ヤマイも最初はヒロシを睨みつけようとしたが、目すら合わせてもらえずに素通りされた事で自分が蚊帳の外だと分かったのか、トボトボとどこかへ引き返して行った。
「施設長はいるか ? 少し話がしたい」
「奥の事務所ですよ。まじでラッキー。今丁度監視カメラ故障中なんで、何してもバレませんから」
「そんな腹黒い事をするつもりはない。だがありがとう」
ヒロシはそう言って受付所の関係者専用ゲートをくぐっていき、細い通路の奥に備えられている事務所へとノック付きで入室した。入ってすぐ右側の壁では、大量のモニターと、倉庫の空調や温度管理用のパネルに囲まれた小太りの眼鏡男が椅子をきしませて間食を嗜んでいる。チーズバーガー三つにチキンナゲット十五個入りのボックス二箱と、傍から見ればおやつと言うには少々胸焼けがしそうな量であった。
「おお、タニシタ。ここまで入って来るとは珍しい」
「直接話をするのは一週間ぶりか ? ライアン」
汗をハンカチで拭きながら倉庫の施設長らしい男とヒロシが言葉を交わす。エドワードは邪魔をしては悪いと、少し肩身が狭そうにして様子を眺めていた。
「今日はどうした ? さっき上層部からお前が担当する依頼の、武器貸与に関する許可証明が降りてきたが…ありゃ妙だったぞ。簡単にまとめるんなら、”必要だと言うんであればいくらでも出させろ”って事みたいだが…それ以外は派遣する次元航行のルートと到達座標が指定されてるだけで、肝心の依頼の内容が分からん。しかも過去に何度か指定されたのと同じ内容だ。君の事だから、流石に変な事に首を突っ込んではないと思ってるが…どんな用事だ ?」
「……」
「成程、守秘義務か。律儀に守ってるのなんてお前と、お前の前任者たちぐらいだよ。それで何の用だ ?」
「通常の装備とは別に、機材を追加で出したい。出来るか ?」
ヒロシの頼みに対し、ライアンは頷いてから机のキーボードに向かう。やがて一部のパネルに管理をしている装備品を映し出してから、指を向けてヒロシに見るよう促した。
「どれが良いんだ ? 武器か ?」
「念のために武器も見るが、まず帰還用に使う次元間伝達装置の子機だ。それを追加でくれ」
「追加で ?」
「ああ。そして追加分については、次元航行のルートを正規で使われている物以外に調整することは出来るか ?」
「やろうと思えば出来るが…う~ん…装置を使用する時は、必ずコンピュータ側に記録が残るし、何より正規のルート以外だとこちらも装置側からの合図を傍受出来ないから、転送を開始する事が難しい。ほぼ勘での作業になってしまう。そこについては手動で運用してるからな。かといって常時起動しっ放しにするのも…いや待てよ」
ライアンはふと思い立ち、別のウインドウを開いてスケジュールを確認した。膨れた下あごを揺らして画面に顔を近づけ、何やら凝視をしている。しかし、少しすると満足したように笑みをこぼした。
「何から何まで都合が良い。いつもの出動室とは別に、今度新しく追加する伝達装置の運用テストを行うんだった。動作確認のために次元航行用のルートを開放したままにしておく事になるだけど、そっちの方にルート設定を合わせておこう。仮に君達がその試験用装置から帰還しても、原因不明のエラーが発生したか…紐付けしていた装置のIDに間違いがあったって事で報告書を書いて誤魔化せるし、何事も無く正規ルートで戻れればこの話は無かった事で構わない。お望み通りか ?」
「上出来だ。チップはいつもの場所でいいな ?」
「ああ。頼むよ。そういえば娘の誕生日が近くてね。エンタメ用のAI創作サービスに読み込ませる新しいアニメと映画のアーカイブデータを欲しがってたんだ。結構高くて量が多いやつだから金欠を覚悟してた所だ。よし、後はこちらで適当に準備しておこう。それ以外が必要なら受付でガンガン言ってくれ」
「感謝する」
ヒロシ達が出て行く姿を見送り、ライアンは再びチーズバーガーに嚙り付くが頭の中からは不安が消える事は無い。ヒロシが念入りに装備を注文してくれた事で、これまでヒロシと同じ転移先に派遣された者達がどうなったのかを想像してしまうのだ。誰一人帰還せず、無慈悲に死亡者として戸籍情報を抹消された者達。それがもし、ただの偶然ではないとしたら ?




