第一話 遠慮無し
”一匹”の原始人が荒野を駆けていた。その形相には獲物を追いかける真剣さも無ければ、朗報を仲間に伝えたいという嬉々とした感情も無い。自分が負われる側になっている事を分かっている。恐怖に怯えた弱者としてのか弱さに満ち溢れた情けないものであった。
やがて立ち止まり、切っ先が石で出来た槍を構え、自分が恐れている”何か”がどこへ消えたのかを震えながら探そうとする。だが見える筈もない。あまりにも暗すぎる。既に仲間の一人が犠牲になった。死には慣れている。だが恐ろしかったのは、”何か”が仲間の死体に集り、肉体をバラバラに解体している瞬間を目撃してしまったのだ。
見当が付かなかった。食べるためでもなさそうであった。何より彼らの姿は自分と同じ二つ足で歩く姿ではあったが、見た事が無い毛皮を体に纏い、同じ人間とは思えないほどに歪な顔の形をしていた。新種の動物かもしれない。何にせよ伝えなければ。そう思っていた矢先に、大きな音が響いた。仲間が死体になる直前に聞いた、どんな動物とも違う不可解な鳴き声。それが銃声だとも気付かず、原始人は倒れ伏して背中から血を流していた。
「…対象の無力化を確認。移動開始」
「了解」
やがて茂みから二人の人影が姿を現した。どちらもガスマスクを顔に付け、上半身にはタクティカルベストを纏っている。そしてその手には、硝煙を吐くアサルトライフルが握り締められていた。
「冷凍バックは ?」
発砲を行った小柄な…百七十センチあるかさえ怪しい男が言った。
「準備してる」
相方の男は背負っていた大きなケースを降ろし、ケースに備えられている小型のモニターを見つめた。パスワード入力による使用者照合が行われ、やがて許可が出てからスイッチを押し、いつでも使用が可能な状態にしておく。”商品”を輸送するための冷凍ケースが備えられたバックパックは、彼らにとって必要不可欠の代物であった。
「血液から依頼者との遺伝子情報を比較。最終確認を完了…血液型、抗体反応、共に問題なし。身体サイズも許容範囲内。皮膚については僅かだが色素に差異あり…恐らく日焼けによる物だろう。依頼者からは承諾を得ている事項であるため、問題無しとして扱う。これより切除及び回収を始める」
「了解」
確認事項の報告のために、自分の荷物から取り出した解析装置を利用し、淡々と死体の情報を確認していく。やがて小型のレーザー照射装置を取り出し、ペン型のヘッドを手で持った。原始人の皮膚を消毒し、切断を開始する箇所にペンで目印を付け、レーザーの照射を開始する。瞬く間に赤い閃光が原始人の体に食い込み、そして線を引くかのようにヘッドを動かすと簡単に切断が完了した。レーザーが高出力故か、切断面については凝固止血が行われており、辺りに血が飛び散る事も無かった。
腕を慎重に持った小柄な男は、相方が丁度開けた冷凍バックの中に収納する。ジェル状の梱包材に包まれているケースはすぐさま蓋を閉められ、ボタン一つで急速冷凍を行う。腕の細胞を損壊させない一番の方法であった。
「通信班から連絡は ?」
「冷凍バックに入った”商品”のデータと、採取した血液データを確認したそうだ。異状なしと通知があった」
「よし…撤退地点への移動を開始。帰投する」
二人は小走りでその場を離れ、距離を取った上で四本の筒を取り出す。そして備えられている三脚を開いてから電源を起動し、側面に付いているランプが赤く点滅を始めた段階で正方形の陣になるよう四方へ設置する。二人が陣の中に入った直後、筒からブザーが鳴り響き出し、間もなく足元が黒く染まっていった。泥沼に沈んでいく不愉快な感触が足元を覆い尽くした直後、二人は一斉に地中へと引きずり込まれていく。陣の四隅に設置していた筒も共に引きずり込まれ、沈黙と共に一切の騒ぎが終焉した。一体の、哀れな無垢の死体を残して。
――――純白の、無菌環境を徹底した出動室の中央には、盛り上がった台座の様な形で正方形のプールが備わっていた。とは言っても、その槽を満たしているのは水ではない。黒く濁った底の見えない液状の物質であった。ブザーが鳴り始め、槽がアームによって持ち上げられると、ゆっくりと引っ繰り返されていく。どういうわけか内部の物質は一切零れる事は無く、やがて二人組がその黒い物体の中から姿を見せ、降り立つ様にして帰投した。
「顔認証を行います。ガスマスクを外してください」
無機質なアナウンスに指示され、二人は躊躇うことなく顔を覆っていたそれを外す。小柄な方は黒髪の童顔で、あまり堀の深くない顔をしていた。アジア系の血筋である。もう片方は赤毛であり、緑色の瞳が目立つ垢抜けない白人であった。
「データベース内での社員登録を確認。ヒロシ・タニシタ様、エドワード・ホワイト様。お疲れさまでした」
心にも思っていなさそうな挨拶をアナウンスの機械音声によって伝えられると、二人はすぐに装備を置き、服を脱いでから部屋を出て通路へ向かう。一糸纏わぬ裸体のまま、通路に備え付けられた手すりを掴み、目を瞑って歩行を行う間、通路の至る所から消毒を兼ねた無菌水によるシャワーを浴びせられる。やがて通路を出た直後に乾燥室へと案内され、そこで体を乾かすと同時にセンサーによる粒子検査を行う。今回も特に問題は無かった。
「お疲れさん、二人とも !」
そして事前に用意された代わりの服を着て二人が待機室に戻ると、その場にいた他の社員たちが和気藹々と出迎えてくれた。
「ヒロシ ! まさか任務中に新人いびったりしてねえよな ?」
ロッカーに向かって生体認証を弄っている小柄なアジア人へ、社員の一人が聞いた。
「足を引っ張る事も無く終わった。彼はよく頑張っていたよ」
酷く無愛想な返事だった。褒めているのは確かなのだが、どうも感情の起伏に乏しい。本当にそう思っているのか ? 周りが聞きたいのは山々だったが、その前にヒロシは私物である上着のジャケットを羽織って待機室を出て行こうとする。
「おいヒロシ、せっかくの金曜日なんだからもう少し寛ごうぜ。新人の歓迎がてら遊びにでも―――」
「今日は遠慮する。また別の機会にしてくれ」
同僚の一人は呼びかけるが、彼は無視して出て行ってしまった。
「やっぱり俺、怒らせたんじゃ…」
「ああ、気にすんなよ。あいつは昔っからああいう所がある。気難しい自由人っつーのかな。まあノリが悪いわけじゃねえから、根気強く誘ってればいつかは釣れるさ。何よりアイツとは関係持っといた方がいい。あいつと組んでれば高額な仕事がじゃんじゃん来る。俺達”回収員”の中でも、あいつは名指しで上から指名が入るくらいだ…ほんの一年あいつと組めば、たちまち家のガレージに高級車を二台は置けるようになっちまうぞ」
そんな仲間たちの会話など聞こえないヒロシは、勤務先である”フェンファン・テクノロジー社”を出ると、玄関前のロータリーを見回した。丁度自分の愛車であるクロスオーバータイプのセダンも自動運転によって到着しており、彼が側面に立つとゆっくりドアを開けて出迎えてくれた。
「目的地を設定なさいますか?」
「スタンドキッチンパークに行ってくれ」
「かしこまりました。アテナ・ゴールドによる到着予想は20分後になります」
「ありがとう。それと音楽を流せ。プレイリストの四番でシャッフル再生…エブリバディ・ウォンツ・トゥ・ルール・ザ・ワールドから頼む」
「かしこまりました。音楽アプリ起動」
高速道路へと向かいながら、車の中で懐かしさのあるポップに耳を傾けながらヒロシは外の景色へと目をやった。渋滞の起きている道路を尻目に、自身を乗せた車がスムーズに進んでいる事を実感し、「ざまあみろ」と待ちぼうけを食らっている車に対して心中で投げかける。ささやかな楽しみだった。
「ほら、あっちの通りの方が空いてたじゃん ! だから手動に切り替えろって言ったのに !」
「でも、アテナがこの道の方が早いって言ってたし…」
「はぁ~また始まった…アテナお願い、ファクトチェックをしてアテナ、教えてアテナ、アテナアテナアテナ…少しはAIに頼らず自分の頭で考えるって事が出来ないわけ ? アンタの脳味噌は何のために付いてんの ?」
「でもアテナに頼んだ方が楽で―――」
渋滞にはまっている車の中では、カップルや家族がそんな口論に勤しむことが日常茶飯事であった。彼らは気づいていない。この街で普及し、インフラシステムの根幹となっているAI…通称”アテナ”にはいくつかのグレードが用意されており、年収や地位、これまでの経歴を判断材料にされた上で専用のグレードのみ使用を許可されるようになっている。制度自体は公にされてはいるが、どのような条件によってグレードを格上げされるかは一切知らされず、大半の住民は最下層であるコモン・グレードに固定される。
「アテナ、俺が持っている株式の銘柄に係るニュースはあるか ? 時期的に決算でも良いし、影響が出そうな国際情勢についてでも良い」
「富川工業グループの最終決算が発表されました。グループ全体としては、売上が前年度から実に二十三パーセントの増加、利益についても前年度から十パーセントの上昇を達成しております。更にウガンダでは、富川工業含めた”エリュシオン”企業連合との間に国家従属型事業協定の締結が正式に発表されております。今後は商品や素材の製造能力向上において、好材料とも取れるでしょう。一方で、日本で展開された”ゲットアウト運動”による影響から、新たに複数の企業が”エリュシオン”や協定締結国へと拠点の移動を開始しております。暫くは、サプライチェーンに影響が出る可能性は懸念すべきでしょう」
「分かった。後で確認する。情報の出典元をリストにしておいてくれ」
ヒロシが資格を有しているグレードであるアテナ・ゴールドは、現状として民間人が入手できるグレードとしては最高ランクに位置付けられている。公にこそされていない仕様だが、与えられる情報網の膨大さ、生活におけるサポート機能、会話精度の全てがコモンとは比べ物にならず、知らず知らずの内に人々の間では知識格差が発生しているのであった。平民が支配者を脅かす事が無いように、徹底的に監視をされている。だが強者側にさえなれれば快適に、優雅に、何の不自由もなく振舞う事が確約されるのだ。それも未来永劫である。
ヒロシ・タニシタは、その未来永劫を支えるという約束の下、強者側の一員となっていた。富裕層に流行している肉体移植手術のために、様々な世界線や次元を渡り歩いて肉体の回収を行う。高額な報酬と引き換えに、富裕層の若々しい生命を維持させ、寿命を引き延ばすその手助けをしているのだ。全てはこの巨大な海上都市兼企業自治区…”エリュシオン”の世界支配を絶対的な物にするためである。
「タニシタ様。退屈されているのでしたら、雑談でもどうですか ? 好きなお米料理の話など。私はカオマンガイが好きです」
「寿司が好き。以上だ。気分じゃないから今日は話しかけなくていい」
「左様ですか。気が向いたら、またいつでもお声掛けください」
車に搭載されているアテナのアプリケーションは時折、ユーザーの息遣いや質問頻度から退屈をしているかどうかを推測し、この様に話しかけるてくるがヒロシは使った事が無い。何もいらない。誰もいらない。ただ自分の意思のままに動きたい。それだけであった。