【短編小説】ラストシーン
『おにぃさん、どこ配属なの?』
そう声をかけてきたのは、私の後ろに並ぶ小太りの中年男性だった。
「私は、映像制作チームです」
『いやぁそれはいいですなぁ。出世コースまっしぐらですね。私も生まれ変わったらエリートサラリーマンに、なんて思っていたのですが、またしても平社員ですよ。下の世界にいた時は出来の悪いセールスマンでして、家族にはずいぶん苦労させました。家族たちは元気にしているのやら』
この世界にいながら今更出世も何もないだろうと、私は空っぽの笑みを返した。
来てみて分かったことだが、こちらの生活も下の世界と特に変わらない。四季もある。仕事もする。お腹もすくし、眠たくもなる。よく言われる、“死んだ人が見守ってくれている”なんてのは迷信で、実際にはこちらから下の世界を見ることはできない。きっと元気に暮らしているだろうと、そう思うしかないのだ。
進まない列の真ん中で私は大きくあくびを落とした。ここでは死者の世界を“上の世界”と呼び、人々が生きる世界を“下の世界”と呼ぶ。今、私がいるのは上の世界である。
この世界に来た者には後日、記念のDVDが送られる。それは、その人が亡くなる直前に思い出した最後の記憶を映像化したショートムービー。
下の世界で動画編集の仕事をしていた経歴から、私はこちらに来て早々映像制作チームに配属となってしまった。
仕事内容は、送られてきた死者の記憶データをもとに物語を構成し、ショートムービーを作成するというもの。校了データをDVD−Rに落とし込み、配送業者へ納品するという流れだ。人の記憶というのは、時に複数の物語が混在し、複雑なつぎはぎの模様になっていることがある。辻褄が合わないところや必要のないシーンは取り除き、死者たちの悔いが残らないよう映像を作るのが、私たちの仕事であり役目である。
『1276番、このデータ、フォーアイチェックしといて!』
フォーアイチェックとは、自分が作成した映像をもうひとりの誰かに確認してもらう作業のことである。
上の世界では名前を失い、その代わりとしてそれぞれに番号が与えられる。私は1276番と呼ばれている。
『1276番、これ校了予定日明日になってるけど、修正進んでる?』
『格納先から、データにミスがあるからやり直せってー』
『一旦飯食って戻ってきまーす』
私の毎日はこうして慌ただしく過ぎていった。亡くなってしまった今、自分の最後の記憶とやらをゆっくり見てみたいところだが、そんな暇はなかった。現場の作業は大幅に遅れており、半年前の死者たちの作成がやっと今日終わろうとしている。自分のショートムービーが届くのは、きっとあと半年は先だろう。
翌日早朝。先ほどまで青かった朝の空に、いつしが太陽が登っていた。ブラインドから差し込む白い光が目に染みる。
『お疲れ様ですー。お先に失礼します』
校了を終えた者たちが次々にオフィスを後にする中、私は腫れた目にタオルを当て椅子にもたれかかった。数分間そうしていると、次第に現実と夢の間を行ったり来たりするようになった。
はっと目が覚めたときには、オフィスは私ひとりになっていた。どれくらいの時間が経ったのかは分からなかった。ブラインドから差し込む光はより一層強くなっている。戸締りをして家に帰ろうと立ち上がったその時だった。
カタンと、なにかが転がる音がして、私は音の方へ振り返った。音は保管庫の中から聞こえたようだ。保管庫には死者の記憶がネガフィルムの状態で保管されている。
「誰かいるのか?もう閉めるぞ」
オフィスに響いたのは私の声だけだった。念の為と暗証番号を入力し扉を開くと、床に落ちた一枚のDVDを見つけた。
「作成済みの記憶か?なぜこんなところに」
透明のケースを裏返すと、そこに書いてあったのは私の名前だった。それは、私の最後の記憶が詰まったDVDだった。誰の記憶を担当するかはチームリーダーから振り分けられ、自分の記憶を映像化することは禁止されている。規則に反した者には厳しい罰則が待っていると同僚から聞いたことがある。
作ることだけでなく、自分の記憶を見ることも業務規定違反となるらしい。私はすぐに棚に戻そうとしたが、どこからか邪悪な耳打ちが聞こえ、無意識のうちにその手を止めた。
校了明けのオフィスにいるのは私ただひとり。今頃みんなベッドの中で、これから誰かが戻ってくる可能性はきわめて低い。私は唾を飲み込み、神様に少し見逃してくださいとお願いし、DVDを服の中に隠した。
落とした電源をすばやく起動させ、DVDをパソコンに差し込んだ。数秒の時間が経ち、風の音と共に私の最後の記憶が映し出された。
それは春の日ようだった。
丘に一本の桜の木があり、木の下にはひとりの女性がいた。
顔は見えなかったが、私は彼女が誰なのか一瞬で理解した。
後ろ姿の彼女が、木にそっと手を添えた。
頭を揺らしながら、何かを話しているように見える。
彼女はゆっくりと振り向くと、自らの頬を腕で拭った。それから優しく微笑みこちらに手を振った。何度も何度も。しばらくすると彼女は力なく腕を下ろし、前を向くと丘の向こうへと歩いていった。
小さくなるその背中が完全に見えなくなったところで、映像は終わりを告げた。
「これは‥‥」
私は半分空っぽの頭のまま、DVDを取り出しケースにしまった。 その瞬間ガチャっとオフィスの扉が開き、咄嗟に名前の貼られたケースを裏返しパソコンを閉じた。入ってきたのは563番リーダーだった。
『あれ?まだ帰ってなかったの。今日校了のもの、まだあったっけ?』
「いえ、早朝に校了して、そのまま寝ちゃいまして‥」
『おつかれさま。もう帰るでしょ?』
「はい。これだけ保管庫に戻したら。一旦帰って、また夕方出社します」
563リーダーが私の机を覗き込んだ。
「あー、赤盤あったのかー。それはそれは、ご苦労さんだったね。急ぎのは校了したんだよね。今日はもうそのまま休みでいいよ」
赤盤。それはなにかしらの理由で、死者本人に送付する前に審査委員会に申請をしなければならないDVDのことである。よく見るとケースの端が赤く塗られていた。私の記憶になにか問題があったようだ。しかし今はそんなことより、早くこのDVDを保管庫に戻し、この場を立ち去らなければならない。
「それでは、お言葉に甘えて。今日はこれで失礼します」
小刻みに振動する心臓の音を隠すように、私は冷静を装って頭を下げた。それから急いで DVDをテキトーな場所に戻すと、少しだけリーダーの愚痴に付き合って、私はオフィスを後にした。
平日昼前の公園は、世界から全てが消えたかのように静かだった。私は缶コーヒーを片手にベンチに腰掛け、公園の真ん中に立つ一本の桜の木を眺めた。この世に来た者は、少しずつゆっくりと下の世界での記憶を失うという。私の中に残る、数枚のピースが無くなったパズルのような記憶。それは彼女と過ごした日々だった。
嘘だと思われるかもしれないが、私は彼女と結婚するのだと、初めて会った時にそう思った。
突然の大雨に襲われた夕方。彼女は雨宿りする私に自分の折り畳み傘を差し出してきた。
自分は大きい傘を持っているからと。人生で初めての一目惚れだった。彼女の優しさは、私の心にすっと入ってきて温かく滲んだ。
後にその時のことを尋ねると、私があまりにも雨を恨めしそうにみていたから、きっと急いでいるのだと思って傘を差し出したのだと彼女は微笑んだ。彼女と過ごす日々は、ちょうどいい天気の休日に木漏れ日の下で散歩をするような、穏やかな時間だった。
いつしか私は、その笑顔を毎日見たいと思うようになっていた。
しかし、プロポーズをしようと考えていた矢先に彼女の転勤が決まった。離れて暮らすことになった私たちは、少しずつ、些細なことですれ違うようになった。どんなことかと聞かれれば、はっきりと覚えていない。それは、シャツのボタンをかけ間違えるように。うっかりと大切なメモをなくしてしまうように。些細な、よくあることだったように思う。そうしていつしか、壊れたカートは望む方向とは別の方へ進み、下り坂を転がっていき、気づいた時には止めることができなかった。
そんな時だった。検診で、私の体にいくつもの影がみつかったのは。
それから彼女は私のいる街に戻り、私たちは今まで会えなかった時間を埋めるように毎日を過ごした。ふたりで病院の庭のベンチに座り、桜を眺めた。彼女は時々涙を流した。それから『ごめん』と呟いた。
そんな彼女に私も「ごめん」と返した。
私の人生のラストシーンはきっと悲しいものだろうと、ずっと思っていた。
私の心は今、空を登っていく風船のように軽い。涙を拭い丘の向こうに歩いていった彼女の背中は、これから続く明るい道を選択しているように見えたから。だから私は少し安心した。彼女が泣いていなくてよかったと。
本当に良かったと、心からそう思った。
「私もこちらの世界で出来ることをやってみるよ」そう、桜の木に声をかけた。彼女に返事をするように。
春が終わり、最近は肌に突き刺さるような暑さが続いている。今日のオフィスは賑やかだった。行われているのは先週配属された新入社員の研修。数人の新入社員と一人のリーダーが保管庫に入っていった。私はデータを切り抜きながらその様子を横目に見ていた。
『えー、ここが、保管庫ねー。完成前の記憶のフィルムが保管されています』
『へぇー。あ、リーダー、この赤い印があるDVDは何ですか?』
『あー、これは赤盤のマークだねぇ。たまにあるんだよ。死者が後悔なくあの世に行けるように、物語自体を変えてやってほしいって依頼が』
「作成終わってるのに、送らないんですか?」
『内容ごと変えているのは、審査委員会に一度提出しないといけなくてさー。過剰な表現してないかーとかね。めんどくさいよね』
『死者・田中和人と書いてありますね』
『あぁ、それ僕が作った映像だ。彼の最後の記憶はなかなか凄かったよ。女の子がずっと泣いててね。確かにあれをあのまま映像にしたら、それを見た死者の彼は心配でしょうがないだろうね』
『女の子?』
『下の世界にいる、彼の恋人からの依頼だよ。元気でやってるって、嘘でもいいか、らそう伝えたいって』




