君と出会えて、本当に良かった。
ふと目が覚める。
目の前が布に覆われていて薄暗かった。
耳には波の音が聞こえる。
(……何時間くらい経ったんだ)
手は相変わらず前で手錠をかけられていたが、服も着てきたままだ。
今日はジーンズを穿いていたので寒くなくて助かった。
だけど足が縛られているので、うまく動くこともできない。口には粘着テープが貼られていた。
(身体を布で巻かれてるっぽいな)
両手を動かして、顔を覆っている布を下にずり下げる。
顔に枯れた落ち葉が崩れ落ちてきた。
(なんか知らないけど、落ち葉で隠されていたみたいだ)
浮浪者の人みたいだなと冷静に思う。
この状態で変な人に見つかったら、それはそれでまずい気がする。早く逃げないと。
とりあえず、口の粘着テープを外すと、呼吸がしやすくなった。
上半身を起こして、落ち葉の中から両足を抜く。
足を見ると両足はヒモで複雑に結ばれていた。
(めんどくさい結び方しやがってぇ……)
手錠もあるから、うまく見えないが、必死に解いていく。
足の紐を解くのに数分を要してしまった。
(よし、解けた)
足を立てて立ち上がる。
(それにしても、ここはどこなんだ?)
まわりは、落ち葉に囲まれた雑木林だった。
前にあるアスファルトの道には落ち葉が降り落ち、管理されていなさそうだ。
そして、間近には海があった。
(上のあたりには家がある……あ)
少し離れた上の位置に、1ヶ月くらい前に行った別荘があった。
(ここって、指輪貰った場所の近くか! とりあえずここだと人目がなさすぎて危ないから上に行こう)
上に出られる道が、近場では1か所しかなく見通しがいい。
枯れた木々は体を隠してくれるものではなく、急いで登るしかなかった。
海が近くて、波の音で小さな音が拾いにくい。
だからかもしれない。
ガサ、と聞き取れるレベルの足音がした時には、目視できるレベルに近づいた真一がいた。
(近場の出口以外に裏道があったのか)
これは、追いつかれる!
分かっていながらも走った。
誰か来てほしいと心から願うが、来そうにもないことに絶望した。
「逃げるな!」
肩を掴まれて、後ろに引かれる。
腕を拘束されていてバランスをとれない身体は、簡単によろめいた。
こけると思っていた身体が反転して真一の腕に支えられる。
「ここはもうだめだから、別の場所に行こう」
「嫌だ」
「今ここで、君を犯してもいいんだ。素直についてきなさい」
言われた言葉にゾッとして固まって、そのまま引きずられる。
(こいつ人のことを淫乱みたいな扱いしたくせに、結局やりたいのかよ)
そういう言葉が出るってことは、願望があるってことだ。
だけど、この場所は人が来なさそうなので、上に出るまでは大人しくした方がいいかもしれない。
そう思うと、一緒に行くしかなかった。
「どうして、お母さんとあなたの嘘が食い違ってたんですか?」
のろのろと歩きながら話しかける。
嘘が分かった後、どうしてこんなにお粗末な嘘をついたんだと悩んだことがあった。
あまりにボロが出やすすぎる、嘘は身を滅ぼすのになぜ、と。
「母はもとから思い付きで話す人間だから、計画として話した内容を覚えていなかっただけだよ」
「実際、父が浮気しているなんて話は確認したら分かるだろう。その程度に嘘が下手で愚かなんだ」
「浮気という言葉も、責められたから頭に残っていたにすぎない。保身でコロコロ話が変わる。そういう人なんだ」
落ち葉を踏みしめて話す声を、ただ聞いていた。
頭の病気じゃないかと思ったが、案外そういう人は多い気もする。
「味方に置くべき人じゃないですね」
「でも、母は僕の味方で、なんでも手伝ってくれるからね」
それなら、トールの味方は、誰だったんだろう。
裏切られた父親は分け隔てなく育ててくれたと言っていたけれど、味方かと言われたら違うだろう。
父親と会った日、ベッドの中でトールが言っていた異分子という単語を思い出す。
(ああ、味方がいなかったのか)
たぶん、彼は一人だったんだ。
だからこそ誰にでもいい顔をする、断れない臆病な性格。
(悲しくなってきた。そんなのってないだろ)
一人くらい、搾取しない誰かが味方になってくれなきゃ人生がやってられない。
だから、あまり人に興味がない自分なんかに恋なんてしてしまったんだ。
情緒が不安定なせいか、そんな簡単な想像で涙腺が緩んだ。
「泣いてる? そんな乱暴なことしないから安心してよ」
「別に、この状態のせいじゃない、です」
泣きながら落ち葉だらけの道から、民家の裏手に出る。
「ここらへんは別荘地でね。今の時期は人がいないから、人を呼ぼうと思っても無駄だよ」
警告しているのか、小声で真一は言った。
確かに、今歩いている民家には人の気配がない。
でも、綺麗な場所は過疎地でも少しは人がいるものだ。
「なんで私を狙ったんですか」
どう逃げようかと考えながら質問する。
手錠をはめられて上手くバランスが取れない状態では、上手く逃げられるとは思えない。
ここで頑張ったところで、逃げられる確率はゼロだ。
それなら、誰かにこの場所を伝えなければならない。
(……笛だ)
ナツからもらった笛がある。
もうすぐ大きな通りだ。吹けばきっとどこかに届くだろう。
「トールが目障りだったのと、君を気に入ってたから」
ハッ、と笑う。
「奪ったところで、あなたを愛さないですけどね」
思い切り体に頭突きをした。
肩を掴まれた手が、身体を近づけたことで外れる。
一瞬ふらついたが、相手もふらついたので走り出した。
首にかけた鎖を引き、笛を出す。両手でも笛を咥えるのは簡単だった。
(頼む、大きく鳴ってくれ)
思いきり笛を吹く。
甲高いピィィィィという耳をつんざくような大きな音が、鳴った。
「お前、何を」
身体を掴まれる。
簡単に身体が引き倒されてしまった。
もう一度、笛を吹く。
だが、途中でそれは奪われて、首から外されると遠くに投げられた。
視界の端で、鎖が付いたまま土の上に転がる笛と指輪を見る。
「アンタ、気持ち悪いんだよ! 欲しいものは自分で探せ!! 馬鹿が!!!!」
叫んで、身体を捩る。
上向きの身体に重い身体がのしかかり、キスをされそうになって慌てて両手で顔を隠す。
(こんなところでヤル気なのか?! 自暴自棄になったのかよ)
笛も吹いたし、大通りから見える場所なのに、異常だ。
コートのファスナーが簡単に下ろされたことに寒気を覚えた。
「女はヤッた奴を好きになるようにできてる! ユーキ君だってそうだろ。あんな遊んでる奴ら」
「2人は違う!! お前と一緒にすんなって! 触んな!!!!」
好きになんねーよ!!!という言葉が、遊んでる奴らという言葉に腹が立ちすぎて消える。
叫べば誰かが気付いてくれる。それまで耐えられれば何とかなる。
ハァハァという息とのしかかる身体が気持ち悪い。ゾッとした。
「あいつらがどれだけ遊んでたかなんて僕にはわかるんだよ。性格にも問題がある」
「問題あるのはアンタだろ!!!! 2人がどれだけやったかなんて、どうでもいい!! だから今があるんだから!!!」
ジーンズのベルトを外されそうになって、身体を丸くする。
持久力がない。叫ぶのも、拒むのも、抵抗するのも疲れた。
「アンタの尺度でものを語るなよ!!! くそ、マジで、もう」
ガチャガチャと手錠が鳴る。
諦めたらそこで終わりだという気持ちで相手の肩を叩いた。
突然、ズン、と身体が揺れる。
鈍い打撃音と衝撃の後、重い身体が体の上から退いた。
「ユーキ君、大丈夫ですか」
トールだった。
真一の首に手をかけたまま、地面に落とすと、そのまま蹴り上げる。
(ああ、止めないとトールが殺人犯になる)
「トール。ダメだ」
出てきた声は、かすれていた。
だめだ。おかしい。声が出ない。
でも、あの筋力で何度も蹴ったら、内臓が破裂してしまう。
そう思っても、うまく声が出なかった。
「ユーキ!!!!」
ナツの声が聞こえたと思ったら、そのまま抱き起されて、抱きしめられた。
「ナツ、トール止めて……」
なんとか声が出た。
「持崎部長。警察呼んだから、やりすぎると面倒なことになりますよ」
ナツが冷静な声で止める。
トールは無視するかのように、だが、蹴る場所を少しだけ変えて蹴っていた。
「アンタが俺に言ったんですよ。忍耐力をつけろって!!」
止まらない足に、ナツが怒鳴る。
立ちにくい足を立たせて、トールの元に向かった。
「だめだって」
上手く出せない声のまま、震える腕を掴む。
トールの身体が、ぴたりと止まった。
そして、のろのろと真一の上に座り、深いため息をつくと、両手で顔を覆う。
その姿が泣いて見えて、顔を覗きこんだ。
「トール、大丈夫?」
「ごめん……本当にごめん」
泣いていた。
「大丈夫だから。別に、今回は前よりダメージもないみたいだし」
まったくないと言ったら嘘になるが、少なくても前回よりマシだった。
身体が震えてもいない。どっちかというと腹が立っていた。
トールは、顔を上げてこちらを見る。
「でも、泣いた痕がある」
泣いたのってばれるのか。
「ああ、これは」
少しだけ笑いながらトールの髪を撫でた。
「私と出会うまでトールに味方がいなかったんだなと思ったら泣けたんだ」
目を合わせて微笑むと、泣いていた顔が、またボロボロと涙を落とす。
その顔がもう泣かないように、膝立ちでキスをした。
遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえる。
その音を聞きながら、終わったんだなと思った。




