第一章「陽輪ノ国から」捌
麒雲館で働く男娼・ムラサキは、用心棒として雇われた男がかつての知人・紅蓮であると気づく。紅蓮は長い間ムラサキ(紫焔)を探し続けていた。ようやく再会を果たした二人だが、ムラサキをつけ狙う者がこの国に来ていることを知り、すぐにでも麒雲館を脱出すべきだと決意する。そんな中、事情を知らないムラサキの客・優が再び驚きの行動に出る。
そんな感じのお話です。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・娼館についても独自設定であり、もちろんファンタジーです
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
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十二.
話し終えて部屋を出た紅蓮を見送るため、ムラサキも廊下へと移動する。紅蓮は再び奇妙な仮面で顔を隠した。
「その仮面何なんだ?」
「俺も顔を知られてる可能性があるからな。念のためだ」
「いやそれは分かるけど……まぁいいか。似合ってるよ」
「男ぶりが上がってるだろう」
「上がってる上がってる」
ムラサキはわざとらしく軽い口調で答えた。仮面で隠れていない紅蓮の口許が笑みを形作る。その表情をムラサキはじっと見上げた。
彼は普段このような冗談を言ったりしない。どちらかと言えば無表情な男だ。愛嬌を振りまくような性質でもない。今の彼はいつもより少し上機嫌に見える。
「紅蓮がいなくなってもすぐに別の用心棒を雇ってくれるかな」
せっかく用心棒を雇ったのに、紅蓮は麒雲館に留まることができない。ムラサキはこの先の麒雲館で働く仲間たちが気にかかった。
「腕のいい男を紹介しておこう」
「ほんとか!」
「ああ。この国でも、この国に来る前も用心棒の仕事は何度もやった。顔見知りも何人かいるからな」
一階へと移動した紅蓮が受け付けへと足を進める。
頼もしい限りだ。彼が「腕のいい男」と評価するなら、きっと相当の強者だろう。麒雲館の者も安心して働けるようになる。
「店主に話をつけてくる」
「分かった。俺も行く」
世話役の少年に店主への言伝を頼み、ムラサキは紅蓮とともに店主のもとへ向かう。身請けの話をするためだ。
店主がムラサキの我儘を容認していたのは、ムラサキが店主を納得させる程度にはなんとか稼いでいたからに他ならない。ムラサキの身請けを受け入れてもらうために必要なのは相場以上の金銭だ。
「お前の貯めたお金、無駄に使わせることになってごめん」
「これ以上ない金の使いどころだ。いちいち謝るな」
紅蓮の分厚い手がムラサキの黒髪を撫でた。
「紅蓮、もしそれでもお金が……」
「足りなかったら? そうだな。作戦がある」
赤銅色の瞳になにやら含みが生まれる。
ムラサキたちを呼ぶ少年の声が聞こえ、紅蓮と二人で店主のもとへと移動した。
「話ってのはなんだい」
店主が値踏みするように紅蓮を上から下までねっとり眺める。ムラサキは一歩前に出て説得を試みようとした。しかし、ムラサキが口を開くより先に紅蓮が店主の眼前に移動する。ただでさえ高身長で筋骨隆々な男だ。間近で圧迫するように見下ろされた店主を思うとムラサキはうっかり同情しそうになった。
「今日、こいつを身請けする」
「はぁ?」
「え」
店主とムラサキの声が重なった。
紅蓮は二人分の当惑を無視して話を続ける。
「今からだ」
「できるわけないだろ。何言ってんだい」
「金ならすぐに用意できる」
「金の問題じゃないよ。手順ってもんがあるだろ」
店主の拒絶に対し、紅蓮が刀剣の柄に手を置いた。分かりやすく脅しをかけている。店主は紅蓮の腕を見込んで用心棒として雇ったこともあり、彼の脅しが出鱈目ではないことをすぐに察した。
二人の間にただならぬ緊張感が生まれていく。ムラサキは万が一にも紅蓮が剣を抜かないように、慌てて頭を垂れた。
「お願いします」
「ムラサキ」
「俺は、長い間ここでお世話になったけど。でも、どうしてもこの人とここを出たい」
このまま麒雲館に留まれば、いずれ銀髪を探す者がやって来る。そうなれば、ここで働く皆のことも巻き添えにしかねない。自然とムラサキの訴えには熱が籠った。
「どうしてもすぐにここを出たいんだ」
「……そんなに、かい。今までお前が客に熱を上げたことなんざ一度もないっていうのに。よりにもよって、用心棒相手に」
店主の声音が僅かに変化する。ムラサキの切実な想いが多少なりとも店主の心を動かしたのだ。
「手持ちの金は今ここで渡す。残りは後払いだ」
紅蓮が金が入った小袋を卓上に置いた。
「……だめだね」
「でも俺」
「黙りなムラサキ」
店主の鋭い視線がムラサキを捉える。店主は人差し指と中指を合わせ、その二本の指で卓を叩いた。
「後払いなんざ信用できないね。明日の朝、全額持ってきな。そうすれば身請けさせてやる」
「ありがとう!」
ムラサキは飛び跳ねるような勢いで店主の両手を握りしめた。
「喜んでる場合かい。お前はぎりぎりまで働きな」
「もちろんだ」
「では明日の朝、こいつを貰いに来る」
「金を揃えられたらの話だよ。分かってるだろうね?」
「愚門だ」
紅蓮は断言して踵を返す。ムラサキは彼を見送るためにその背を追った。
無事に話をつけて店を出た紅蓮と別れ、店内に引き返そうとしたムラサキの前にひょっこり誰かが顔をのぞかせた。驚いてのけぞると、倒れる前に腰を支えられて引き戻される。目の前に現れたのはかつて宝生優をこの麒雲館に連れて来た彼の友人だった。
どうやら彼は今日、一人で麒雲館に遊びに来ていたらしい。
「あー、城田さんでしたっけ」
「ここではそう名乗ってるね。どーもムラサキちゃん?」
「どうも。今日もありがとうございます」
「十分楽しませてもらったよ。ところでさっきの、何なわけ?」
目を細めた優の友人が、長身を傾けて視線の高さを合わせてくる。
「さっきのって?」
流そうと聞き返したが、彼は「仮面の男」と言って軽薄そうな笑みを浮かべた。
「話をつけるって何? もしかして身請け?」
一体いつから見られていたのか。ムラサキは彼に警戒心を抱く。
「……そうだよ」
「へぇ~! それは朗報だ」
小躍りでもしそうな顔で、城田と名乗る優の友人は手を叩いて喜んだ。言葉や態度とは裏腹に、城田の視線は冷ややかにこちらを見下ろしている。ムラサキは自分に対する彼の評価を正確に理解した。彼から強烈に感じるのは隠しようもない嫌悪だ。
「友人にもちゃあんと伝えとくよ。君が身請けするってこと」
「それは、ありがたいです。ぜひ伝えてください」
城田という男の本音は分からないが、優に伝わるのはムラサキとしても願ってもないことだ。ムラサキがいなくなると分かれば、彼はもうここに来ないだろう。妙なことに巻き込まれる可能性も低くなるはずだ。
笑顔を返すと、城田は不服そうな顔をしつつも取り繕った笑みを見せて店を出て行った。これで、不安はなくなった。ムラサキは麒雲館の仲間たちに別れを告げるために急いで店内へと戻る。
少しばかり感慨深い。嫌なことも大変なことも多い仕事だが、ムラサキにとっては幸いなことに得られるものもあったように思う。麒雲館は家のないムラサキにとっては長く住み続けた我が家でもある。しかし、それもあと少しで終わる。
明日にはムラサキはここを出て行くことになるのだ。
翌朝、ムラサキは支度を整えて部屋を後にした。
ここに来てからいつも引き出しに入れていたロケットペンダントを取り出し、首から下げて服の下に隠す。そして、ムラサキは店先に出た。
朝陽が昇り始めても人の気配が薄い夜遊び通りには、すでに一台の馬車が到着していた。身を隠して移動するなら馬に乗るより馬車の中の方が良いと紅蓮は考えたのかもしれない。
店主に短い別れを告げると、相手は見向きもしなかった。冷たく片手を振るのみである。らしいといえばらしい態度だ。ムラサキは苦笑して、馬車に乗り込んだ。
「街を出る前に髪を染め直したいんだ。良いか?」
結局あれから染め直す時間はおろか、買い物へ出かける時間もなかった。ムラサキの髪は生え際から本来の色が見え始めている。
「やはり染めていたんだな。その髪」
ムラサキに答えたのは、紅蓮ではなかった。顔を上げて馬車に乗っていた先客を見る。そこにいたのは、宝生優────その人だった。
十三.
ムラサキを乗せた馬車は、何の感慨もなくあっさりと麒雲館を離れていく。馬車に揺られながら、ムラサキは信じられない思いで優を見つめた。動揺のあまり、うまく言葉が出てこない。
「何で、ここに……」
「陽が昇る前に店に行った。店主と交渉し、倍の金を払って私がお前を買った」
店主がムラサキを見もせずに送り出したのは、商品ではなくなったムラサキに興味を失ったから。だけではなかったようだ。
「俺は認めてない!」
咄嗟に出た反論のあまりの稚拙さに、言ったそばから自分に呆れる。しかし、他に何を言えば良いのか分からなかった。
案の定、優は愚かなムラサキの発言を馬鹿にしたように鼻で笑う。
「お前の意思は関係ない。お前の持ち主は店主であって、お前じゃない。違うか?」
その通りだった。ムラサキは口を噤んだ。
「────俺は、別のやつに身請けされる予定だったんだ」
「知ってる。横取りしたからな」
「何で……」
「何で? それは私が聞きたい。ムラサキ、お前言ってただろう。誰が相手でも身請け話は受けないって。あれは嘘か? 私を黙らせる方便か」
嘘ではない。しかし、状況が変わったのだ。そんなことを今説明しても、優からすれば言い訳にもならないだろう。
「……優。俺、髪を染めたいんだ。買い物に行かせてほしい」
ムラサキは騒ぐ心臓を落ち着かせようと、別の話題を持ち出した。切実な願いでもある。しかし、優は首を縦には振らなかった。
「必要ない。誰に見られることもない。これから行くのは私の屋敷だ。私と使用人たちしかいない」
だから心配は無用だと言って、優は口を閉ざす。ムラサキは内心、肩を落とした。何を言ってもきっと優の気持ちを逆撫でするだけだ。
馬車の窓から流れていく景色をぼんやりと眺める。紅蓮はどうしているだろう。横槍を入れられたことを彼も知らないはずだ。麒雲館にムラサキがいないことを知って、彼はどう動くだろうか。無謀な真似をしなければいいが。
紅蓮は武人として天賦の才を持つ元大将である。並みの人間では束になっても勝てはしないだろう。彼自身のことは心配無用だ。ムラサキよりもよほど頼りになる。問題は、彼と合流できないことで追手を躱せない可能性が高まったことだ。最悪、宝生家の者を巻き込む危険がある。今は髪を気にするよりも、なるべく他者の視線から隠れることを優先すべきか。
太陽に雲がかかったのか、流れていく外の景色が薄暗くなった。窓に反射して馬車の中が映る。窓越しに見えた優は、進行方向を向いて憮然とした表情で腕を組んでいた。しかし、視線だけはムラサキの背中に向けられている。
優を説得してムラサキの身柄を解放してもらうのは骨が折れそうだ。それでも諦めるわけにはいかない。もう二度と、誰かを理不尽に巻き込むことはしたくなかった。
ムラサキはきつく目蓋を閉じて過去の幻影を見る。
赤い火が眼球を焼きそうなほど燃え盛り、海のように広がっていた。見慣れた場所が焦土と化す。無力で愚かなムラサキは、誰も救うことなどできない。ならばせめて、巻き込まないように隠れなければ。
震えそうになった指を折り畳んで拳を作る。ムラサキは熱を孕んだ目蓋を開けて、現実を見つめた。
次回、優との生活。