第四章「在り処」 参
延豪国へ連行された紫焔一行。引き離された紅蓮たちが放り込まれたのは一度入れば勝つか負けるか決着がつくまで出られない戦いの場だった。
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです
・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります
・犯罪行為推奨の意図は一切ありません。あくまでフィクションです
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
三.
天蓋の中での攻防はそれほど長くはなかっただろう。
しかし、最後には意識を飛ばしてしまった紫焔には正確な時間は分からない。次に目を覚ました時、最初に見た景色は揺れる馬の後頭部だった。
いつの間にか天蓋の外に出ていたらしい。意識を失っている間に移動していたのだ。自分の背中に触れる硬い感触はどうやら芭我騎の胸板だった。そっと背後に視線を巡らせ、見上げると芭我騎の顔が間近に見える。相手に気づかれる前に視線を正面に戻し、紫焔は自分が芭我騎の腕に支えられながら騎乗していることを知った。
落馬しなかったのは相手の手が紫焔の腰に巻き付き固定されていたからだろう。片腕で余裕綽綽と。紫焔は軽いわけでも細いわけでもないはずだが。もやもやとした不快感が生まれて眉を顰める。体重を増やそう。紫焔は状況も忘れて心の中で決意した。
「寝坊助だな。やっと起きたか」
芭我騎の声が頭上から落ちてくる。こちらが目覚めた気配をしっかり察知されていたらしい。
紫焔は首をひねって相手を見上げた。
「皆はどこだ」
「起き抜けの第一声がそれか。つまらん」
「どこだ?」
紫焔は重ねて問う。すると、芭我騎が背後を示すようにくいっと顔を動かした。彼に誘導されて紫焔も視線を後ろへと移す。芭我騎の体が大きいせいで視界の邪魔だが、かろうじて見えた。
紫焔と芭我騎の乗る馬の後ろで、羅漢が馬に乗っている。そのさらに後ろに紅蓮、要、菜々子が続く。三人は両手を体の前で拘束されていた。それでも怪我をしている様子はない。紫焔はひとまず安堵して息を吐いた。
「お前の用心棒が心地良い殺気をくれるもんだから愉快で仕方ねぇ」
「……とんだ変態だな」
紫焔は心底呆れて吐き捨てる。しかし、そんな悪態などこの男を前にすれば生まれたばかりの雛の鳴き声ほどの威力も無い。
「どこに向かってるんだ」
「いちいちくだらねぇことを聞くな。分かるだろ」
分かっている。そのとおりだった。
なぜなら芭我騎たちが戻る先などひとつしかないからだ。それは彼らの国、延豪国。
紫焔が延豪国について知っていたのは、その国がこの世の中のある分野で名を馳せているからである。外の国の情報などほとんど入って来ない天満月の国でさえ、度々新聞で騒がれていたのだ。
記事には必ずと言っていいほど同じ文句が書かれている。
──延豪国は野蛮な民がひしめく有象無象の国である、と。
その国は物理的な力で世に知れ渡っていた。武力行使、実力行使の国。土地面積は天満月よりもさらに狭く、小さい。しかし、優れた武人の集まる屈強な国だ。そして、粗暴で野蛮な国でもあると紫焔は聞いている。
芭我騎を見ているとその認識に間違いはなさそうだが、芭我騎一人だけで国を語るのは早計だろう。
「もうすぐ国に帰る。そうすればすぐにお前のお仲間は解放してやるよ」
「解放?」
「解放さ」
芭我騎の発言が文字通りの解放ではないことは、延豪国に着いてすぐに分かった。
小さな山をひとつ越えて延豪国の壁門を潜ると、一気に空気が変化する。
気温は低いが寒さなど忘れるほどの熱気が国中に蔓延していた。街のあちこちで好き放題に喧嘩が始まり、血の臭いが立ち込める。腕っぷしの強さを自慢し、周囲を制圧しようとする者たちが我が物顔で跋扈していた。
芭我騎に連れられ、紫焔たちは巨大な円状の建物の中に入っていく。その建物は随分と閉鎖的な空間に見えた。途中、紫焔は紅蓮たちと引き離されて芭我騎と共に別の通路へ進まされた。
紅蓮たちと別れることに抗おうとしたが、無駄な抵抗はすぐに封じられてしまった。逆らおうとした瞬間、紫焔の首に芭我騎の太い手がかかるのだ。反抗すれば命はないという脅しだ。これでは紅蓮たちも動けない。
別れ際、紅蓮は今にもこちらに斬りかかりそうな殺気を飛ばしていたが、羅漢に促されて別の通路へと足を進めていった。紫焔は頼れる仲間たちと別れる不安を必死に誤魔化し、先を歩く芭我騎の背に集中する。
この国の王は、こちらの鋭い視線などお構いなしで目の前に現われた扉を押し開けた。扉の先に見えたのは、大きな闘技場とそれを囲む客席。そこにひしめく人々の熱気である。
そこは閉鎖的でありながらも多くの人々が熱狂し、集う特別な場所。紅蓮たちがようやく解放されたのは、怒号と歓声が響き渡るその戦場の中だった。
延豪国の一大産業のひとつ、それが闘技場である。勝ち負けを観客が予想し、勝つと思った者に金を賭ける。予想が的中すれば払った金が二倍、三倍になって戻って来る。外れれば金は一銭も戻らない。賭け事が商売になっているのだ。
「この闘技場は一度放り込まれれば逃げられない。負けて死ぬか勝って次の挑戦権を得るか。そのどちらかだ」
「……自分から挑んでいない者まで駆りだすのか」
紫焔は芭我騎に引きずられて闘技場を見渡せる高所の席に来ていた。所謂、特別席だ。
紫焔は手すりを握り締めて闘技場を見下ろした。場内は土埃と血や汗の臭いに満ちている。芭我騎曰く、そこにあるのは純粋な命のやりとりのみ。無意識のうちに紫焔は奥歯を噛み締めた。
「安心しろ。お前の用心棒はかなり腕が良い。勝ちあがるだろうよ。そうすれば目出度くこの俺の従者にしてやる」
本日の闘技場の目玉は勝者に与えられる特権だと男は笑う。
生き残った者は国王の従者として使える権利を得られる。敗北した者は命を落とす。参加者たちの熱意は高まるばかりだ。どうやら、芭我騎はこの国で最も尊敬される男らしい。彼の傍でその腕を振るえることは、何よりの誉れだという。つまり、例えば羅漢などは国民からすれば羨望の対象なのだ。国民を熱狂させる何かが、芭我騎にはある。
「力でついて来れないものはどうなるんだ」
闘技場での賭け事の話ではない。国の在り方、国民の生き方の話がしたかった。紫焔には何もかもが足りず、国のことなど分からないことばかりだ。国王の言葉を直接聞く機会に恵まれたのは、ある意味では幸運だったのかもしれない。
じっと相手を窺うと、芭我騎はつまらぬことを聞かれたと言わんばかりに片耳に小指を入れて掻いた。
「俺の国に弱者は必要ねぇ」
「……極端すぎる」
「ここは俺の国だ。俺が全てを支配している。ゆえに俺の好きにやる。国も民もな。もし俺に不満があるっていうなら真っ向から叩きのめしにくればいい。当然、斬り捨ててやるがな」
気性が荒く、粗暴で豪胆。しかし、裏表がなく逃げも隠れもしない。煙に巻かず正面から受けて立つ度胸のある男。
紫焔は芭我騎という男を改めて頭の上から足の先まで見て、この男に従いたくなる者の気持ちが僅かばかり理解できた気がした。己に自信のない者はその強さに憧れ、腕に自信のある者は実力を認められたいと奮起する。芭我騎には、それをさせる気迫があった。人を惹きつける魅力がある。
紫焔には納得はできなくとも、強さに惹かれる心そのものは理解できた。これが、この国の形なのだ。
「そっちの言い分は分かった。でも、自ら望んでもいない皆を無理やり巻き込むのはやめてくれ」
たとえ紅蓮が勝ち上がれても、要は。菜々子は。皆強い者たちばかりだが、この闘技場で戦う者の実力がどれ程なのか分からない。怒りと不安を堪える紫焔を芭我騎が嘲笑する。
「そんなに心配ならお前もここに入るか? 止めねぇぞ。お前もそこそこは戦えるようだしな?」
心が揺らいだ。一も二もなく飛び込んでしまいたくなる。しかし、それは無謀だ。檻の中にいる者を助けるために檻の外にいるという利点を捨てて動くのは愚かだろう。衝動を堪え、紫焔は俯いた。
「それより、あんたの目的を知りたい」
「目的?」
「何で俺たちを国に連れ帰ったんだ?」
芭我騎は紫焔を指して賞金首だと言った。賞金が目的であれば、さっさと引き渡してしまえば良い。それをあえてせず、国にまでわざわざ連れ帰り今もまだ呑気に対話している。
ふん、と鼻で笑った芭我騎は特等席に腰かけた。
「俺ぁ、あの皇子様が好かねぇのよ。大金は好きだが、それに目が眩むほど馬鹿でもねぇ」
こてんと芭我騎が頭を傾ける。豪華な椅子の肘掛けに肘をおき、頬杖をついた。堂々とした振舞いに過剰なほどの自信が滲む。男は紫焔を覗き込むようにして見つめてきた。
「皇子」
それが誰を指すのか、言われずとも予想はつく。
紫焔は闘技場に落としていた視線を芭我騎へと向け、彼の言葉に集中した。
「そんでお前のことはわりと気に入った。あー、そういやお前何て名前だ?」
「……好きに呼べばいい」
「今更本名を隠す意味なんざねぇと思うがな」
たいして興味もなさそうに芭我騎が息を吐いた。紫焔はそれでも何も答えない。
「──紫、どうだ。分かりやすくていい呼び名じゃねぇか?」
「……好きにしてくれ」
陽輪ノ国での日々が一瞬で頭の中に溢れた。ムラサキという名を、まさか遥か遠くの地で再び聞くことになるとは思わなかった。妙な縁だ。
「紫よ、俺はお前のことはそこそこ気に入ったがお前よりも気に入った男がいる」
芭我騎はこちらの反応など最初から一切見ていない。自分の発言で相手がどんな感情を抱こうが関心がないのだ。
その少しも他者を省みないある種の前向きな姿勢は、紫焔にはとても真似できないものだった。この世には本当に様々な人間がいる。だからこそ愉快で、だからこそ軋轢が生まれるのだろう。
「お前の用心棒だ。俺はあの男がほしい」
芭我騎は断言して闘技場を指差す。丁度その時、紅蓮が闘技場の中央まで出て来た。観衆が声を上げる。紅蓮の腰には刀剣がさげられたままだ。この闘技場での戦闘は武器の持ち込みが許可されているらしい。
進行役の男の声が高らかに「紅蓮」と名を呼ぶ。続けて対戦者の名前を呼び、戦闘開始の合図が響いた。
「──何のために、紅蓮がほしいんだ」
「何だそのくだらねぇ質問は。強いやつは、強いやつの傍にいてこそ輝くもんだ。宝の持ち腐れなんだよ。紫、あの男がお前の下で燻ってんのはな」
おー、と悲鳴のような歓声が上がる。紅蓮が対戦者を一太刀で叩きのめしたからだ。ひゅーと芭我騎が愉快そうに口笛を吹いた。
「紅蓮は強さを求めてるわけじゃない」
紫焔は紅蓮の戦いぶりを横目に、芭我騎の指摘に首を振る。
紅蓮は強い。日々鍛錬を積んで、常に自身を向上させようと努めている。しかし、それは彼が誰もかれもを討ちのめしたいからではない。己の強さを誇示したいからでもないのだ。
芭我騎の言葉は全てが誤りというわけではないだろう。紫焔の傍にいることで、紅蓮が本領を発揮できていないことは確かだ。彼にはもっと他に、輝ける場所があるのかもしれない。選べる別の道がきっとある。紅蓮だけではない。要も菜々子もそうだ。それでも、彼らは共に天満月の国へ行くと言ってくれた。
「見てりゃ分かるさ。戦いに生きるやつが強者との対峙を喜ばねぇはずがない」
芭我騎は獰猛に笑う。紫焔は首を振った。紅蓮たちが闘技場で戦わされているのをこのまま黙って見守ることなどできない。紫焔はそこまで寛容ではなかった。
「皆を解放しろ」
「してるだろ?」
「言葉遊びをしたいんじゃない。ここから出してくれって言ってるんだ」
「俺は退屈が嫌いだ。出してくれなんて言われて言うことを聞くと思うか?」
だったら、と紫焔は芭我騎と向かい合う。
「交換条件だ」
「またそれか。お前に何の条件が出せるよ? まぁ、この状況でも俺と対等なつもりでいるのはなかなか豪胆だがな」
対等とはほど遠いだろう。紫焔もそれは理解している。それでも、芭我騎相手に下手に出る方が余程危険な香りがした。紫焔はあくまでも堂々と、相手に圧倒されないように背筋を伸ばして胸を張る。
「勝負だよ。闘技場に因んでな」
「──面白い」
にやりと芭我騎が笑った。椅子に立てかけていた刀を手に取って、一本を紫焔に投げてよこす。もう一本は自分で掴み、鞘から抜き放った。
「良いだろう。交換条件だ。今ここで、俺と戦え。俺に一撃食らわせられたらここから解放してやってもいい」
芭我騎が異常なまでの強さを誇っていることは、既に知っている。簡単な条件ではない。しかし、贅沢を言っていられる状況でもなかった。紫焔は投げ渡された刀を掴んで相手と同じように鞘から刀身を抜く。切っ先を芭我騎に向けて応戦の構えを見せた。
「全員を無事にここから出すことを約束してくれ」
「二言は無い。だが、お前が負ければお前の身柄は天満朔月へ引き渡す」
天満朔月。
それは、かつて天満月の国を治めていた天満満月の二人目の息子。第二皇子の名前だった。ここで名前が上がるということは、紫焔の首に賞金をかけている者が彼であると暴露したようなものだ。
「分かった」
紫焔は交換条件を飲んで頷く。
ここで芭我騎がわざわざ紅蓮を交換条件に含めないのは、紫焔が敗北すれば結局はこの闘技場で紅蓮は戦い続けることになり、最終的に芭我騎の支配下になるからだろう。わざわざ交換条件として持ち出す必要がない。
芭我騎には最初から己の勝利と紅蓮を手に入れる道筋しか見えていないのだ。極端なまでに自信過剰なこの男らしい。しかし、それは彼の実力に裏打ちされた自信でもある。
紫焔が刃を向けて殺気立っても芭我騎は余裕を崩さない。それだけの実力差が二人の間にはある。しかし、だからといって逃げ出すわけにはいかない。紫焔は頭の中でこれまで培ってきたすべてを思い起こす。
臆するな。かつて信楽玄海に鍛えられ、その弟子である紅蓮に現在まで指導されて今の自分がある。圧倒的な力を前にしても、一撃すら与えられずに倒れるわけにはいかない。
紫焔は芭我騎と正面から向かい合い、地面を蹴って刀を振るった。




