第一章「陽輪ノ国から」肆
男性娼館・麒雲館で発生した揉め事。最初こそ無愛想だったが、そこで働くムラサキのもとへ通うようになった優。二人の関係性は次第に変化していく。
※独自設定の娼館を舞台にした回です。
※全てファンタジーの世界観であり、実在するすべてのものとの関係は一切ありません。
よろしくお願いいたします。
四.
それ以来、宝生優は度々、麒雲館を訪れた。
他の常連客と宝生優が明らかに異なっている点といえば、自身への対応の向上を求めないところだろう。過度な接触を求めることもなく、ムラサキとしては安心して対応できる上客の一人だ。
優に会えば会うほどムラサキは実感する。彼は「仕事一筋」と彼の友人が揶揄するのも納得の生真面目な男だった。それを苦も無く四六時中といっても過言ではないほど続けているところが彼のすごいところかもしれない。
優は仕事が好きなのだ。熱心で、実直である。少々無愛想ではあるが、攻撃的な性格ではない。だからか、その見目麗しさも相まって同じ娼館で働く仲間に羨ましがられるほどである。
金払いが良く、足しげく通ってくれるわりに過剰な要求どころか過小な要求すらしてこない、容姿端麗な仕事人。なるほど、これはたしかに店にとってもまたとない上客だ。
或る日、店主が買いつけに出かけることとなり、数日間店を空けることになった。麒雲館で騒動が起きたのは、そんな折だった。
「揉め事か」
店の中にまで聞こえる大声が響いて、ムラサキは部屋から飛び出した。
世話役の少年に事の次第を確認すると、常連だった客が男娼に酷い暴行を働いたという。最初のうちは拒否すれば反省して店を出て行ったようだが、今日は店側の要請にまるで従わず、とうとう店先で暴れ始めて手もつけられなくなったらしい。
騒ぐ男に周囲の娼館からの冷たい視線が麒雲館へと刺さり、店は暗澹たる雰囲気に包まれていた。頼りになる者はいない。店主でさえ今は外出している。戻るのは明日か、明後日か。ムラサキは溜息を吐いた。
このままでは店先で客引きをしたくともできない。強引に客引きをすれば、騒いでいるあの男は確実に邪魔をしてくるだろう。他店の助けも望めない。できることは限られている。
男は元々この店の常連。金払いが良かった客だ。しかし、最近になって突然金を払えなくなっていた。仕事で失敗したらしく、遊ぶための金が尽きたのだ。元常連ということもあって、先日の無頼漢のように下手に追い返せないところが厄介である。
日銭を稼いでぎりぎりやっていけているような者たちからすれば、今日明日の仕事を奪われては生きていけなくなる。弱り切った世話役の少年たちや男娼たちを宥めて、ムラサキは茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。
「俺に任せろ。大丈夫。上手くやるよ」
「ムラサキ」「ムラサキさん」「でも」
様々な声が飛び交う。不安そうな彼らにはとびっきりの笑顔を見せ、ムラサキは店先で暴れる男に近寄っていく。心配しなくても大丈夫だ。多くの人と出合うこの仕事を長年続けてきたムラサキは、こういった荒くれものとの対峙も初めてではない。
相手はこちらを嘲り、見下したいのだ。では、そうさせればいい。下手に反抗して相手の気持ちを逆撫でするより、好きなだけ見くびらせればいい。そうすればその間、他の者たちが働ける。
ムラサキは相手の太い腕を絡め取って、至近距離で微笑んだ。わざとらしく、媚びるような調子で。案の定、男はムラサキに視線を固定させて肩を怒らせる。
「いい腕してんねぇお客さん。せっかくなら俺の相手してくださいよ」
男はムラサキに掴まった腕を取り戻そうと力を込めた。しかし、振り払うことができない。放すわけないだろとムラサキは胸の内で思い、男の腕を強く引いた。そのまま彼を引きずるようにして麒雲館の中へずるずると入って行く。
ムラサキと男が個室・紫の中に完全に消えていくまで、皆が不安そうにその様子を見守った。ぱたん、と外界との繋がりを遮断するかのように、二人を入れた部屋の戸が閉まった。
二人が部屋にこもってから半日程過ぎた頃、皆の心配を他所にムラサキが平生通りの様子で部屋から出て来る。荒れていた男は上機嫌にムラサキの体をベタベタと触って、二人一緒に階段を下りてきた。
「今日はおおまけにまけて、サービスってことにしときますよ。でも今日だけだ。あなただから特別待遇です。また仕事が順調になったらいつでも来てください」
爽やかに笑ったムラサキが、さらにおまけと言わんばかりに男の唇を啄むように口付けた。男は当然だと胸を張りながら店を出て行く。何はともあれ、一難去ったのだ。
「ムラサキ、良いのか。店主にバレたら……」
「あの客が店先であのまま暴れてたら商売あがったりだったんだから、大目に見てくれるだろ」
からっと笑うムラサキに、少年が複雑な表情で押し黙っていた。その少年の頭にぽんと手をのせて優しく撫でる。その手首には大きな指の痕が残っていた。自然な動作でその痕を袖で隠し、ムラサキは普段と変わらない調子で笑う。
「大丈夫だったろ? ああいう客は俺に任せてくれればいい」
「でも」
「大丈夫だよ」
少年を見下ろして笑う。
「ごめんなさい」
「何で謝るんだ。お前は何にも悪くないだろ」
己の無力を悲しむ少年の心に眩しさを感じ、ムラサキは破顔する。不意に少年が表情を変化させて寂しそうな顔をした。
「いつかムラサキが身請けされたら、俺寂しいです」
なんとも可愛いことを言うものだ。
「当分そんな予定はないけどな」
ムラサキは少年に別れを告げて部屋へと戻った。
身請けとは、娼館で働く者が抱える借金を客が肩代わりして払い、男娼を自分のものとする行為だ。店主への借金を客が男娼に代わって完済し、その身柄をもらい受ける。身請けには娼館に通うよりもさらに多くの金が必要となる。
身請けされればその男娼は娼館で働く必要がなくなり、場合によっては恋仲の身請け相手と添い遂げることができることもある。しかし、それはとても稀なことでほとんどない。物語の世界のように互いに恋焦がれて身請けされるのは容易いことではない。身請けされても愛人扱いや玩具扱いまたはそれ以下の扱いしかされないなどという話も頻繁に耳にする。
ムラサキは麒雲館で働いて長い。娼館の中でも中堅以上になりつつある。少年がムラサキに身請け話をするのも、ムラサキの年齢や男娼歴が影響しているのだろう。しかし、年や労働年数を重ねれば身請けの可能性が高くなるとも限らない。店主が売り飛ばしたいとでも思わない限りは。
少年に応えたように、ムラサキ自身はまだ当分はこの麒雲館でこっそり働くつもりだった。
五.
その日宝生優が麒雲館を訪ねて来た時、ムラサキは意外な訪問時間に驚いて時計を見た。最初の一度を除き、優が麒雲館を訪れるのは決まって営業が始まったばかりの早い時間だった。
しかし、今日は夜。しかも深夜である。珍しいこともあるものだ。
少し茶化して揶揄しようとしたムラサキは、目の前に現れた優の顔を見て他愛ない冗談を口の中に飲み込んだ。
「……遅くまでご苦労様。いや、お疲れ様」
咄嗟にそんな言葉が代わりに出てくる。それくらい、眼前の優は疲労困憊していた。
ムラサキは胸の内で、これは今日の対面は半刻もないだろうと考えて受け付けた内容を確認する。そして、すぐに優の顔を見て詰め寄った。
「ばっ、いや……これ、寝惚けてて間違えたのか? 訂正しろすぐに」
優は何故かこれまでで最長、半日の時間を買っていた。しかし、そんな契約をしたくせに、彼は出会ってから今日までの中で一番険しい顔をしている。
重そうな目蓋を必死に持ち上げながら、優は頑として訂正に首を振らず、ムラサキより先に部屋の中央へ進んで行った。
優が麒雲館に来るのは久しぶりだ。何故久しぶりとなったのか、それは彼の顔を見れば明らかだ。仕事に忙殺されていたのだろう。
絶対にここに来るより家で体を休ませた方が良い。呆れた気持ちになって、ムラサキは慌てて後を追う。部屋の中でまるで自分がここの家主であるかのように堂々とこちらを待ち構えていた優は、勝手知ったる我が家のような振る舞いで将棋盤と駒を用意している。
時間の訂正をする気は微塵もないらしい。ムラサキは彼に聞こえるようにわざとらしく深い溜息を吐いてから座った。
「将棋できるのか? そんな状態で」
「問題ない」
どこがだ。目はうつろだし、足元はふらふらしていたし、とても問題ないとは思えない。しかし、客がやると言えば断れないのがムラサキの世知辛い立場だ。今の彼とでは勝負にならないとしか思えないが、腹を括って駒を並べた。
果たして、将棋の勝負はあっという間に決着した。当然と言われれば当然だろう。しかし、大敗したことが受け入れられないのか、優は不満そうな顔で盤面を睨んでいた。
「次は囲碁? 何をしたって良いけど、今日は全部俺が勝つから」
「やけに自己評価が高いじゃないか」
「当然だろ。寝不足の頭で勝とうなんて優こそ自分を過大評価しすぎだ」
相手に不快な気持ちを与えるような言い方をわざと選んで、ムラサキは不敵に微笑んだ。
「今の勝負、優の敗因を事細かに説明してやろうか」
「今日は、なんでそう上から目線……、なんだ」
口を動かすことすら億劫そうな優は不服だと顔全体に書いてムラサキを睨んだ。そんな彼には笑みだけを返し、ムラサキは盤面を一から並べ直す。
何故いちいち上から目線なのか。わざわざ聞かずとも察してほしい。優はどう見ても疲労困憊している。勝負しながらうつらうつらとしているようなギリギリの状態で相手をされても、不毛すぎて虚しくもなるだろう。商売とはいえ、ムラサキにも人の心があるのだ。
優の注意力散漫な将棋を仔細漏らさず説明しているうちに、ついに目の前の頭ががくんと落ちた。耳を澄ませると、僅かな寝息が聞こえてくる。ようやく眠ってくれたらしい。ムラサキは将棋を片付けて安堵の息を吐いた。まったく。存外、否、もともとかもしれないが、優は強情な男である。
そんな状態でもわざわざ麒雲館に足を運んでくれる。この真面目一辺倒の仕事人間が、あえて息抜きの手段にムラサキとの時間を選んでいるのかと思うと有難いような、申し訳ないような不思議な心地になった。しかし、いつの間にかムラサキにとっても優との時間は楽しみなことの一つになっている。
裏表のない優の実直な言葉たちが、ムラサキに新しい考え方を教えてくれるようだった。
次回は優視点の話になる予定です。