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月華の紫石英  作者: あっとまあく
巌流国編
34/81

第二章「過去から未来へ」拾肆

<これまでのざっくりとしたあらすじ>

母国が滅びた日に人攫いに攫われ、売り飛ばされた主人公・紫焔。娼館の店主に買われたことで長い間、別の国で男娼として働いていた。しかし、「銀色の髪の持ち主に大金を払う」という港での噂話を常連客である優に教えられたことをきっかけに、事態は急変する。ある日娼館に用心棒として雇われた男がやって来た。紫焔はその男に見覚えがあった。彼はかつて母国で共に過ごした知人・紅蓮だったのである。

紅蓮の提案を受けて娼館を去る決意をした紫焔だったが、優の横槍や追手の襲撃によって予定を狂わされることとなる。しかし、優の友人・要の手助けもあり、追手の銃撃により負傷したものの一命をとりとめることができた。優の援助によって紫焔は紅蓮、要とともに国を出て新しい土地へ踏み出す。

追手から逃れられたことで紫焔はずっと胸に秘めていた母国で過ごした日々のこと、そして母国が滅んだ日に背負った罪を告白した。一触即発の雰囲気に陥りつつも要の手助けがあり、なんとか紅蓮と和解した紫焔。三人はこれからの旅路に向けて話し合う。そこで紅蓮はかつて仕事を共にした知人がいるかもしれないと母国に詳しい人物を探す提案をする。


以下、注意書きです。

・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です

・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません

・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです

・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります

当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。

どうぞよろしくお願いします。

※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止


十七.


 (かなめ)曰く和解したことで落ち着いた三人は、途端に空腹を感じて食事をとることになった。


 最初に出かけた時に紅蓮(ぐれん)が買って来ていた串をまずは三人で頬張った。すっかり冷えてしまっていて肉が可哀想だ。しかし、冷えても美味しさが分かった。出来立ての美味しさはきっと格別だろう。

 追加で買い足された食料の一つ、パンを紫焔(しえん)は手に取って割いてみる。手応えは硬い。口に含んで噛んでみると、やはり少し硬い食感だった。それでも噛めば噛むほど味が出るようなパンで癖になりそうだ。


「うめぇ」


 要が酒を煽って呟く。骨身に染みる美味さらしい。それだけ大変な旅をしてきたのだ。疲労と空腹が最高の調味料にもなっている。


「ところでさっき買い出し行った時に紅蓮の旦那からも昔話聞いてたんだけどよ」


 紅蓮が買ったばかりのほくほくの肉を頬張った。

 岩に籠った熱でこんがりと焼きあげられたその肉は、この土地の野菜で包まれている。油っぽさを野菜で中和しているらしい。紫焔も同じ肉を食べて、その食感と旨味に頬を緩めた。肉につけられたタレがまた美味しいのだ。空腹を刺激する少し辛さのあるタレだった。


「紫焔のさっきの話と合わせて考えてみても、俺としては見過ごせねぇ違和感がある」

「違和感?」


 紅蓮が手を止めて要を見た。


「そ。違和感だ。旦那は軍の中にいた人間だから、違和感には逆に気づきにくいのかもな」


 要は唇を酒で湿らせてから紫焔に顔を向けてくる。


「でも紫焔。テメェは外側の人間だ。本当は気づいてんじゃねぇか? 違和感に」


 指摘されて紫焔はパンを割く手を止めた。


「軍の動きのことか?」

「そうだよ。やっぱ分かってんじゃねぇか」

「それなら紅蓮だって分かってたと思うけどな」

「違う違う。あからさまな動きのことじゃねぇーんだよ俺が言ってんのは。左軍の連中の従順さについてだ」


 紫焔は割いたパンの片割れを要の口に入れた。


「……要はそこに違和感を持つんだな」

「このパンかてぇな。でも美味い」


 もぐもぐ口を動かしてパンを嚙みしめ、酒で喉に流す。要は酒瓶の口をぷはと軽く言って離し、乱れた髪を撫でつけた。


「話を整理しようぜ。第一に、誰かが紫焔の存在に気づいて炙り出そうとしてた。第二に、それに気づいた紅蓮が内部に探りを入れようとしてた。第三に、右軍を追い出して左軍が反乱軍と組んで打倒国家を成し遂げた」

「それで?」


 紅蓮が野菜を頬張る。岩の机の上に置いた酒瓶は既に五本目になっていた。そのうち四本を要が飲み干している。紅蓮は一本目を少しずつ飲んでいるようだ。


「……てことはだ。国王か誰かが王家滅亡の企みに気づいて紫焔を保護しようとしたって線もありえる」

「だが紫焔を探していたのは左軍だぞ」

「あーそっか。そういやそうだった。うーん、ならこの線はなしか?」

白花草(しろはなそう)は、軍の人間が定植したって紅蓮は言ってたよな」


 紫焔は過去を振り返って紅蓮の言葉を思い起こす。


「旦那。それ、左軍のやつ?」

「そうだ」

「左軍の連中はどっぷりってことだな」

「でも変だ」

「俺もそう思う」


 紫焔と要の意見が一致した。紅蓮が沈黙で続きを促す。


「左軍の大将って旦那みたいに慕われてたのか?」

鐘ヶ江(かねがえ)大将は人格者だ。左軍だけでなく軍の者は皆、彼を尊敬していた」

「そいつが言えばなんでもはいはい言うこと聞くほどにかよ?」


 紅蓮が要を見返す。虚を突かれたような表情だ。

 紫焔もずっと考えていた。最初に感じた違和感について。当事者ではないからこそ、要も引っかかりを感じたのだろう。視点を変えなければ見えないものがある。


「左軍の連中全員が全員、反乱軍と手を組むことに大賛成って確率はどんくらいだ?」

「……分からんが、言われてみれば妙な話だ。左軍から逃亡者がいても可笑しくはないし、右軍に情報を漏らす者がいる可能性もある。全て内々に処理していた……? いや、さすがに無理がある。そんなことをすれば必ず誰かの目に留まる」

「だよなぁ。例えば尊敬する大将がこれから国を潰します! って言ったとして、その思想に賛成しますってやつが100人中50人いたとする。思想の是非に関係なく盲目的に従うやつ、迷いながらもとりあえず従っとくかって流されるやつがさらに40人いたとしてもだ。残り10人くらいは、関わりたくないとかやばい企みだから阻止しないととか思うんじゃねぇかな」


 数は例えであって正確な数字でもなんでもないが、要の意見には紫焔も納得するものがある。誰もが皆、盲目的に上からの命令に従うとは思えないのだ。しかも、ことは国を傾けるほどの大きな謀である。


「そんな連中も含めて、上手く丸め込むにはどんな言い訳がいる? 左軍の連中はどこまで実情を知ってて動いてたんだろうな。実は何も知らなかったっていう間抜けな話もありえるかもよ? 国家転覆なんて大それたことを考えてたのは一部だけで、他は正義の行いだと思い込まされてた……とかな」


 要の言葉に紅蓮が立ち上がった。その衝撃で、空になった酒瓶が数本倒れる。


「第二皇子」


 紅蓮は遠征任務に懸念を抱いていた。そんな彼を従わせたのは、第二皇子だ。


「皇子からの勅命であれば、軍の者は従う他ない。国が動いているのだと勘違いした者もいるかもしれん」

「その皇子様が紫焔の存在を知ってる可能性あるか?」

「皇子は城に住んでいるんだ。王妃から何かを聞かされていたかもしれん……可能性は十分ある」


 ぱん、と要が手を叩いた。


「第二皇子様は王家の血筋を根絶やしにするために城を襲撃させ、王と兄の命を奪った。そんでいるかもしれんからと腹違いの弟を探して殺そうとした。いや、今もまだ殺そうとしている?」

「……追手のことか」


 紫焔は思考を巡らせながらこれまでの出来事を頭の中で振り返る。


 国を越えて追いかけて来る執念。その人脈と豊富な資金力。紅蓮たち右軍を追い払うように城や国から移動させ、城を空にさせて左軍を招き入れる。将官や大将はおろか反乱軍の幹部が行うにはあまりにも大それた行為だが、皇子の立場であれば問題なく事がなせるかもしれない。


 紫焔があの日見た遺体は国王と第一皇子のものだけだった。当然、第二皇子も既に殺されているだろうと考えていたが、最初から手を組んでいたとしたら。

 そもそも、()()()()()()が首謀者だとしたら。見方ががらりと変わってしまう。


「でも、それなら国ごと滅んだのは何でだ? 玉座が狙いなら自分以外の王家だけが標的で良いのに」

「国家の転覆そのものが狙いだったとしか思えん状況だからな」

「つーか、滅んだ滅んだって言うけどよ。実際のところ天満月(あまみつつき)の国って今どうなってんの?」


 突然、要からもたらされた別の視点に紫焔は紅蓮と顔を見合わせた。

 現在の天満月がどうなっているか。国を出てから一度も戻っていない紫焔は少しも現状を知らない。


「当然だが、更地というわけではないな。俺も国を出てからは戻っていないから詳しくは知らんが」

「他国に土地を奪われてたり?」

「そんな噂も耳にはしたが、詳細は不明だ」


 紅蓮は思案顔で暫く口を閉ざした。

 外への情報はそのほとんどが天満月の国という小国が滅んだところまでで止まっている。その後のことなど、興味すら持たれないのだろう。驚愕の事件そのものに関心が寄せられても、その後に残された人々の暮らしは見向きもされない。よくある話だ。


「情報収集、か」


 紅蓮は居住まいを正して顔を上げた。


「この先どう動くにしても、まずは今の天満月について知る必要があるのは間違いないだろう。俺に当てがある」

「あて? 旦那、昔の知り合いでもいんのか?」

「そうだ。正確には、おそらくそこにいるだろう程度だが」

「なんだそりゃ」


 曖昧、と呆れる要を無視して紅蓮は食事を終え、さっそく探ってみると言い残して宿を出て行く。即断即決。紅蓮の思い切りの良さが少し羨ましい。紫焔は少々考えすぎるきらいがある。



 宿を出た紅蓮が再び戻って来たのは、それから半日程経過してからだった。


「何か分かったのか?」

「有力な情報が手に入った」


 紅蓮は仮面を取って外套を脱ぎながら、紫焔に手土産を渡してくる。

 受け取ったそれは見覚えのある串に刺さった肉だ。まだ湯気をたてている。紫焔はごくりと喉を鳴らした。「食っていいぞ。お前への土産だ」と紅蓮の許可をもらえたので遠慮なく齧りつく。焼きたてほやほやの肉は、予想していた通り格別な美味しさだった。


「有力な情報って?」

「俺の、というよりは軍の関係者で情報収集に長けた者がいた。そいつがこの巌流国(がんりゅうこく)にいるようだ」


 紅蓮からの情報で、紫焔は肉を詰まらせた。昼寝と言ってたっぷり睡眠をとっていた要が噎せる紫焔の声で飛び起きる。


「すごい偶然だな」 

「偶然。いや、おそらくはそいつも俺と同じことを考えてここに来たのだろう」

「何を?」

「ここならば顔を隠していても不自然がられない。身を隠すにはもってこいの国だ」


 巌流国に撒き上がる砂埃が、身分を明かせない者たちの隠れ蓑になっているということか。

 紫焔は残っていた肉を強請られて要に串を渡す。要は食べる前から美味しそうな顔になって肉を頬張った。


「おまけにここは海に面してるもんな。近隣には外交盛んな国もあって、いざという時に逃亡するには絶好の位置ってわけだ」


 起き抜けだというのにあっさりと会話に混じりながら、要は巌流国の立地を解説した。逃げるにも隠れるにも適した国。厳しい環境下でも人が暮らす理由の一つなのかもしれない。

 もちろん、ほとんどは元々この国で生まれ育った者たちだろう。環境を活かして自分たちの暮らしを支えている。強い民たちだ。


「そんで? その軍関係者はどこにいそうなんだ?」

「お前が今食べているその肉。それは町の人間にツノと呼ばれている鹿のような動物の肉だ。その動物は専門の狩人たちによって捕らえられているらしい。そこに紛れている可能性が高い」

「根拠は?」

「狩人の人間はやろうと思えばほとんど他人と接触せずに生活できる。単独で狩りをして、買い手に売って報酬を得る。接触は売買の時のみだ。実際に売りに来ていた狩人をつかまえて話をしたが、中にはほとんど自給自足の暮らしをしている者もいるらしい」

「あーちょっと、狩人をつかまえてあたりが気になったんだけども。会話しただけだよな?」


 挙手をして確認する要に紫焔は苦笑いを零した。その手の方向で、要から紅蓮への信用がない。


「手荒なことは何もしていない」

「安心した」

「その狩人によると、数年程前に一人の新参者が現れたと。そいつは新入りのくせに腕が良く、たった一人でツノを次々と捕獲している。しかし、そいつの姿をしっかり見たことがある者はいない。目撃証言として残っているのは黒髪で細身くらいだ」

「そんな情報じゃ確信できねぇじゃん」

「あとは俺の直感だ」


 肉を食べ終えて空になった串を捨てた要が、困惑顔で紫焔を見る。


「旦那って案外、大雑把だよな」

「けど紅蓮の直感ってあんま外れないから怖いんだよな」

「言えてる」


 二人の前に立った紅蓮が刀剣の柄に軽く肘を置いた。彼の腕には現在、添え木とともに包帯が巻かれている。


「俺はこの状態だ。二人に動いてもらうぞ」

「え」

「分かった」


 軍関係者なんだよな、と逃げ腰の要を紅蓮が折れていない方の手で掴んだ。作戦会議だ。文句を言いつつも要は作戦会議の席に着いた。「旦那の片腕分にもなれねぇけど?」と零した要に、紫焔は笑う。


「頼りにしてる」


 要が溜息を吐いて、作戦会議が始まった。






十八.


 切り立った岩の壁。まるで山のように聳える岩々を、野生動物のように駆ける。


 身動きする影を見つけた瞬間に身を潜め、息を殺して影の様子を窺う。大きな角を持った、通称ツノが岩の隙間から生えている草を食べていた。ツノまでの距離を目算で測る。肩からかけていた弓を手に取り、音をたてないように注意しながら矢をつがえた。


 目標のツノは草に夢中だ。鋭敏に音を拾う一対の耳は前方を向いていて、こちらに気づいた様子はない。

 精神を整え、ツノにのみ集中して弓を引く。そして、降り積もった雪が枝の先から弾け落ちるように、矢が放たれる。まるで元よりそこにあったかのように、矢はツノへと吸い込まれていく。捕らえた。確信とともに瞬く。その瞬間、別の方向から飛んできた短刀が矢を弾いた。


 驚いたツノが俊敏に跳ねて岩から岩へと移動していく。一度気づかれれば追いつくことは難しい。明確な横槍だ。

 分かりやすく喧嘩を売られたことに気分を害し、短刀が飛ばされてきた方向へ意識を向けた。走って逃げ出そうとする影が見える。迷うことなく後を追った。


 岩場で人間の逃げ場はあまりない。とくに、碌にこの場を知らない者にとっては。瞬く間に追いついたところで影の前に降り立つ。相手は外套の帽子を深く被っていた。容姿は見えない。


「そちらから手を出しておいて、何故逃げるのか」


 わざと声を低くして問いかける。相手は体を揺らした。


 巌流国(がんりゅうこく)特有の砂埃が立つ。吹き荒れる風に乗って、砂塵が視界を遮る。しかし、当然逃がすつもりはない。鋭く相手を睨んだ。岩と岩の隙間に入り込む風の悪戯で、甲高い悲鳴のような音が周囲に響く。

 相手が目深に被っていた帽子が風でふわりと浮いて背に落ちた。これで顔を確認できる。目を凝らし、瞠目した。


 足元に落ちた砂粒がぱらぱらと音を立てる。砂に弄ばれても褪せない白銀の髪が風に揺れた。彼方まで見通す紫紺の宝石をはめこんだ瞳が瞬く。頭の中で幼い頃から耳タコの伝承が思い出された。これこそがあの、言い伝え通りの色だったのだ。

 息を呑んだ一瞬後、気を取り直して駆け出す。相手が本物である可能性は低い。低いはずだ。あの国は、あの国の王は七年も前に命を落としたのだから。紛い物である可能性の方がおそらくは高い。動揺を隠せない己の心にそんな言い訳をして相手と対峙する。


 捕らえた獲物を切り裂くための短刀を手に、相手を襲撃した。一撃目が相手の外套を掠める。ちらりと見えた首元。鎖骨の下に刻印があった。さらに追撃し、体を検めようとする。本物ならばあるはずだ。体のどこかに「四肢に咲く()()()()()()」が。


 躱されて空を切った短刀が石礫に弾かれて手から滑り落ちた。伏兵がいる。

 腰元に隠していたもう一本の短刀を即座に取り出し、邪魔な伏兵を黙らせようと駆け出した。その瞬間、がくんと動きを止められる。いつの間にか首元に回されていた腕がこちらの動きを完全に止めていた。睨み上げると上背のある恰幅の良い男が視界に入る。その姿を見て、呆然とした。


「捕まえた」

「紅……」


 幾度も瞬いて相手を見つめる。それは、もう二度と会えないと思っていた相手の姿だった。赤銅色の瞳がこちらを見下ろす。


「やはりお前だったな。菜々子」


 在りし日の過去を思い出し、菜々子は唇を震わせた。




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