第二章「過去から未来へ」拾壱
<これまでのざっくりとしたあらすじ>
母国が滅びた日に人攫いに攫われ、売り飛ばされた主人公・紫焔。娼館の店主に買われたことで長い間、別の国で男娼として働いていた。しかし、「銀色の髪の持ち主に大金を払う」という港での噂話を常連客である優に教えられたことをきっかけに、事態は急変する。ある日娼館に用心棒として雇われた男がやって来た。紫焔はその男に見覚えがあった。彼はかつて母国で共に過ごした知人・紅蓮だったのである。
紅蓮の提案を受けて娼館を去る決意をした紫焔だったが、優の横槍や追手の襲撃によって予定を狂わされることとなる。しかし、優の友人・要の手助けもあり、追手の銃撃により負傷したものの一命をとりとめることができた。優の援助によって紫焔は紅蓮、要とともに国を出て新しい土地へ踏み出す。
追手から逃れられたことで紫焔はずっと胸に秘めていたある罪を告白する決意を固める。紅蓮と二人きりになるように仕向けた紫焔は、自分が国が滅んだ日に紅蓮の婚約者を手にかけたのだと告げた。精神を揺さぶられた紅蓮が危うく紫焔を手にかけるところだったが、要の乱入も重なって改めて事の次第を確認することとなる。二人から促され、紫焔は母国で過ごした日々のこと、そして母国が滅んだ日のことを思い起こし語り出す。
集落で過ごしていた銀郎(紫焔)は、ある雪の日の事件をきっかけに紅蓮から忠誠を誓われる。暫く音信不通だった紅蓮と再会を果たしたことで、自分の中に彼への特別な感情が芽生えていることを自覚していく紫焔。
今回は、そんな紫焔が紅蓮への思いを募らせる回です。
※天満月の政について一部修正しました。(2024.06.20)
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです
・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
十四.
紅蓮の鬼のしごきはあの雪の日以降さらに厳しさを増すばかりだ。
銀郎改め、紫焔と名乗るようになってから時間の流れをより早く感じられるようになった。
思い返せば、紅蓮がここへ来てから瞬く間に時間が過ぎている。そのくせ、彼が仕事で何日も来なくなると途端に一日が長く感じるのだから現金なものだ。
紫焔はすっかり紅蓮にぞっこんだね、などと集落の大人たちから温かな視線を送られると耳まで熱くなって困った。
あの雪の日に魔の森で迷子になっていた四郎は、無事に集落へ戻り、手当を受けた。
肩の傷は深く今も傷跡が残っている。おそらく、一生残るだろう。しかし、四郎は気にした様子もなく元気だった。たっぷり説教をされて、世話になっている老婆にも泣きつかれて自身の行いを後悔したのだろう。
反省して「もう二度としない」と宣言した四郎は立派だ。紫焔は二度としないなんてできないと言い切ってしまった子供なので、四郎には頭が上がらない思いである。
「何を不貞腐れている?」
街で買ってきた手土産を大量に抱え、紅蓮が集落へやって来た。
彼が大将まで上り詰めたと知った集落の子供たちが、際限なくお土産を請うようになったせいだろう。出自故か、厳しい日々のためか、実は集落の子供たちが我儘を言うことは少ない。
そんな彼らあるいは彼女らが、大人に素直に甘えている光景は微笑ましかった。紅蓮からするといい迷惑かもしれないが、年々無表情が上手くなっているせいでどう思っているのか読めない。
子供たちに手土産を渡している時も、次は何を持って来てくれるのかと問われている時も、嫌そうな雰囲気はないので多分問題ないのだろう。それどころか紅蓮は、決まって紫焔にも手土産を渡してくる。今日は天満月の国の新聞記事の束だった。子供たちに渡している甘味やおもちゃに比べると実に可愛くない土産だ。
別に、だから不貞腐れているとかそういうわけではない。決してない。と思う。
「何か変わったことはあったか?」
新聞の束を広げて紫焔は文字を追う。たまに読めない字があれば紅蓮に教えてもらっていた。最近では、そんなことも少なくなってきた。少しずつ文字の知識も増えている。
紅蓮は紫焔の頭を撫でて「子供の吸収力は逞しいな」と笑う。それが忠誠を誓った相手に対する態度か、とは思わないが、いつまで経っても年齢の差が埋まることはなく、紅蓮は紫焔を子供扱いし続ける。そこに不貞腐れている側面は、正直ある。と思う。恥ずかしくてとても口にはできないけれど。
紅蓮は自分が渡した手土産を喜んで見せ合う子供たちを眺めながら、紫焔の質問に答えた。
「小競り合いが多いくらいだな」
「くらい……」
「一日、二日で鎮圧できる程度の規模ばかりだ」
「それは紅蓮だからできるってことじゃなくか?」
この集落にさえ、若き大将・紅蓮の武勇は伝わってくることがある。なんでも一人で千人を相手取って完封しただとか、軍の訓練で兵士たちを根こそぎ倒して上から叱られたとか。少しばかり信憑性の欠ける噂話だ。
そんな中でも有名なのは「黒染めの大将・紅蓮」という呼称である。自身は怪我をせず、斬り伏せた相手の返り血を浴びて髪や身体を赤黒く染め上げた紅蓮を恐れて敵がつけた名前らしい。その姿、まるで悪鬼のごとしだと。
集落でくつろいでいる紅蓮の姿からは、そこまでの苛烈さが想像できない。
紫焔は戦場で果敢に挑む紅蓮を見てみたいような気もするが、こうして肩の力を抜いて隣に座る横顔を見られる方が貴重な気もしている。
「なんで小競り合いが増えてるんだ?」
「王の政が気に食わない連中が増えているからだろうな」
「何でだ」
質問を続けると、紅蓮がじっとりと紫焔を睨んでくる。益々精悍になった紅蓮は、その眼光だけで相手を委縮させる程度には迫力があった。しかし、すでに睨まれ慣れている紫焔はけろりとしてもう一度「何でだ」と問う。
「自分で考えてみろ。新聞は読んでるだろ」
「……えー、うーん」
ここ最近で変化したことといえばこれだ。紅蓮は、あの夜紫焔に忠誠を誓う儀式を行った。それ以来、少しずつ態度が変わってきている。とくにここ数か月はそれが顕著だった。
集落のことではなく、彼は紫焔に天満月の国そのものについて考えさせようとしてくる。紫焔は新聞記事に視線を落とした。
「国民を蔑ろにしてるとか?」
「何故そう思う」
「何故って……国外との交流をどんどん制限していってるから、かな」
「そうだ」
天満月の国は大国に挟まれた小国らしい。
これまでは必要な資源の流通を確保するために積極的に外と交流を持っていた。しかし、ここ数年程で諸外国との関係は一変しつつある。
王が進んで鎖国的な政治を行い、外の人間を天満月の国に入れないようにしているのだ。そのおかげで国は緩やかに貧しくなってきている。しかし、同時に他国の者を多く招き入れていた頃に比べれば軋轢が少なくなってきたらしい。
育った国、文化、環境、受けてきた教育。様々な違いが諍いのもとになる。
街では国の外の人間が起こす喧嘩が絶えなくなっていたが、今は落ち着いていた。しかし、国民の生活は圧迫されつつあり、今度は市民による暴動が目立つようになってきたようだ。
「天満月は資源に乏しい国なんだろ。外に開かないと貧しくなるばかりだ。でも、それだと対人関係の問題も多くなる。王様って職業はものすごく大変だな……」
こちらをを立てればあちらが立たず。一つ解決しても別の問題が次々と沸いてくる。紫焔は眉を顰めた。
「他人事じゃない。お前が次の王になるんだ」
「……その冗談、まったく笑えない」
これだ。紅蓮は何故か紫焔に「王になれ」と言うようになった。
あの日、紅蓮には忠誠を誓われたが、王と従者のような関係を紫焔は望んでいないしそのように紅蓮にも言っていたはずだ。それなのに。
紫焔は王家の血を引く人間だと玄海が言っていたが、本当のところは分からない。そして、もし事実であったとしても、血を引いているから王の器があるとは言えないだろう。
絵本や空想物語、各国の歴史を描いた本を読んでいても、優れた人間から生まれた子が同じように優れているとは限らないと教わることも多い。その逆もまた然りだ。
例えば紅蓮の家は、本人曰くありふれた普通の家庭らしい。そんな家庭で生まれ育った紅蓮が、怒涛の勢いで出世して今では大将だ。軍の半分をまとめる大黒柱である。
紅蓮の類まれなる実力は、本人の弛まぬ努力によるところが大きいのは間違いない。しかし、天賦の才があるのもまた誤魔化しようのない事実だろう。
紅蓮の両親に武人はいなかった。つまり、血が紅蓮に才を与えたのではない。紅蓮自身に元々宿っていたそれを、本人が研磨し育てて今があるのだ。
「それに、血で玉座をもらえるんなら第一皇子と第二皇子がいる」
「つまりお前は第三皇子というわけだな」
「……ちょっとこの大将、話通じないんですけど……」
「お前にも継承権はあるということだ」
「いやだから俺の前に二人も……いや、なんでもない」
紫焔は諦めて新聞を捲った。
中程の頁に第二皇子の結婚はまだかという見出しがある。集落であろうと街の人間であろうと、この手の醜聞が好きなのはどこも変わらないらしい。
第二皇子は現在十六歳。成人の年だ。第一皇子も十六の年に婚姻関係を結んでいた。世間がそろそろ第二皇子もと期待するのは分からないことでもない。しかし、注目ばかりされるのは大変だろう。
新聞記事をぼんやり眺めながら、横目で隣に座る紅蓮の顔を見た。
紅蓮は十九だ。とっくに結婚していたとしても可笑しくはない。天満月の国の平均結婚年齢は何歳なのだろうか。否、他の人がどうかは関係ない。
紫焔が本当に知りたいのはただ一人のことだけだ。紅蓮が、結婚しているのかどうか。
「紅蓮」
紫焔は第二皇子の新聞記事を見せるように体を傾け、紅蓮に呼びかけた。
「第二皇子は結婚相手が決まってるのか?」
「いや。見合いはしていたようだが、まだ特定の相手は決まっていないだろう」
「へぇ。じゃあ……、紅蓮は?」
「俺がなんだ?」
「紅蓮は、もう相手がいる?」
他愛ない日常の会話だ。しかし、紫焔は妙に緊張している自分に気づいていた。
予想外の質問だったのか、紅蓮が僅かに驚いたように瞬く。
「……国王の専属護衛に志村剛傑という、その名の通りの豪傑がいる。その娘の雪花が俺の婚約者だ」
「……へぇ」
紅蓮は右軍の大将で、新進気鋭の若者だ。相手がいないはずはないと思っていたが、やはり。恋人どころかすでに婚約者にまでなっている相手がいた。
紫焔は表情に気をつけて、不自然にならないように紅蓮から視線を外す。瞬きが多くなるのを誤魔化すために新聞を置いて立ち上がった。
紅蓮の視界からどうにかして今すぐに消えたい。この居た堪れなさは何だろうか。
「綺麗な名前だな」
やっとのことで口を開く。志村雪花、美しい名前だ。雪の深い天満月の国らしい良い響きの名前だった。
「そうだな」
「どんな人なんだ?」
「……さぁな」
「は?」
「改めて聞かれるとよく分からん」
「何だよそれ。どうせなら惚気を聞かせてくれたっていいんだぞ」
「そう言われてもな」
渋る紅蓮の様子に含みがないことは分かる。
「あんま、会えてないとか?」
「いや。そうでもない。俺は今城に常駐しているが、雪花も城で暮らしているからな」
「へぇ……じゃあ毎日会えるな」
「そうだな」
聞かなければ良かった。紫焔は後悔した。
紫焔が紅蓮と会えるのは一月の間のうち何日くらいだろう。たとえ会えた日だって、何時間もそばにはいてくれない。紅蓮には仕事があって、大切な人がいる。仕方ないことだ。
じくじくと心臓のあたりが痛み出す。紫焔はもうこれ以上、紅蓮からこの話を聞きたくないと思った。しかし、動揺を悟られまいとするあまりに、本音とは裏腹に口は絶えず動く。
「ならどんな人か言えるだろ。ほら、大将。教えてくれ」
「やけにこだわるな。……そうだな、どことなく白花草に似ている気がする」
紫焔の頭の中で、白花草の美しい白い花弁が揺れた。
「説教が始まると火がついたように話が長い」
「え、そっち?」
「どっちだ」
「いや、いいけど。でも紅蓮に説教できるなんて肝が据わってるなぁ。かっこいい人なんだなきっと」
懇々と説教される紅蓮を想像して、少し気持ちが上向く。きっと周囲からすれば微笑ましい光景だろう。鬼神のような男も、愛する者には形無しだ。
「そうだな。容赦ない」
「いいなぁ。見てみたい。紅蓮が怒られてるところ」
「趣味が悪いな」
もし実際にその光景を紫焔が目にした時、どんな感情を抱くのか想像もつかない。先程のように居た堪れない心地になるのだろうか。それとも、子供たちに手土産を渡す紅蓮を見る時のように穏やかな気持ちでいられるだろうか。
見てみたいな、ともう一度呟く。その光景を目の当たりにすれば、自分の中の名前をつけてはいけない感情に終わりが見出せるだろう。
「見に来ればいい」
紅蓮がさらりと言った。あまりにも平然と告げるものだから、紫焔は一瞬何を言われたのか分からなかった。
「何て?」
「来ればいい。集落の外へ出てはならんなんて常識はないんだろう?」
「そりゃ、たまに街へも行くけど」
街へ出掛けるのと城へ行くのでは天と地ほどの差がある。
「その髪と目は、目立たないようにする必要があるが」
「見つかったら俺、どうなる?」
「分からん。良くて城の中で囲われるか……」
「悪かったら?」
「命はない」
やはり血など、それほどの価値があるとは紫焔には思えない。
両手の指を組んで空へ伸ばし、紫焔は体をほぐした。
「やっぱ行かない。いつか写真でも見せてくれ」
「説教されてる写真をか?」
「あっはは、違うよ。雪花さんの写真だよ」
「それならある」
紅蓮がズボンのポケットからごそごそと何かを取り出した。最初からそれを見せてくれればいいものを。言い出したくなる文句はこの際飲み込んで、紫焔は目の前に差し出されたものを凝視する。
それは、銀色に輝くロケットペンダントだった。紅蓮の指が蓋を押し開けて中に入っていた写真を見せてくれる。
「綺麗だ」
写真に写っていたのは、甘栗色の長い髪を綺麗に整えた女性。凛々しさと柔和さを兼ね備えたような、美しい人だった。
「でも何で一人? こういうのって二人で撮るものなのかと思ってた」
「一人ずつ撮ったんだ。俺の写真は向こうが持っている」
「ああ、なるほどな」
そのペンダントは、互いが互いのものであるというなによりの証だ。
紫焔はぶり返した居た堪れなさを嚙み殺し、笑顔をつくってロケットペンダントを返した。
「結婚はいつ?」
世話になりっぱなしの師匠の結婚は、できれば祝いたい。複雑な自身の気持ちなど二の次だ。
紫焔は頭の中で紅蓮と雪花に何を贈れるか考えた。
「まだ決まってない」
「そうか。決まったら俺にも教えてくれ。たぶん皆もだけど、お祝いしたいからさ」
「分かった」
頷いた紅蓮が結婚の日取りの報告を届けたのは、その日から数か月後のことだった。
それから暫くして、雪花の妊娠が判明した。集落の人間は我がことのように盛大に喜んだ。見てもいない赤子の将来を夢想して笑い合っている。最初こそ紫焔もその輪の中にいたが、どうにも居た堪れなさが拭えなかった。結局その日紫焔は途中から集落の奥へと逃げ出してしまったのだった。
紅蓮におめでとうと言った気持ちに嘘はないのに、ずっと心臓の痛みは消えないままだ。感情があちらこちらに移動して心がバラバラになりそうだった。




