第二章「過去から未来へ」漆
<これまでのざっくりとしたあらすじ>
母国が滅びた日に人攫いに攫われ、売り飛ばされた主人公・紫焔。娼館の店主に買われたことで長い間、別の国で男娼として働いていた。しかし、「銀色の髪の持ち主に大金を払う」という港での噂話を常連客である優に教えられたことをきっかけに、事態は急変する。ある日娼館に用心棒として雇われた男がやって来た。紫焔はその男に見覚えがあった。彼はかつて母国で共に過ごした知人・紅蓮だったのである。
紅蓮の提案を受けて娼館を去る決意をした紫焔だったが、優の横槍や追手の襲撃によって予定を狂わされることとなる。しかし、優の友人・要の手助けもあり、追手の銃撃により負傷したものの一命をとりとめることができた。優の援助によって紫焔は紅蓮、要とともに国を出て新しい土地へ踏み出す。
追手から逃れられたことで紫焔はずっと胸に秘めていたある罪を告白する決意を固める。紅蓮と二人きりになるように仕向けた紫焔は、自分が国が滅んだ日に紅蓮の婚約者を手にかけたのだと告げた。精神を揺さぶられた紅蓮が危うく紫焔を手にかけるところだったが、要の乱入も重なって改めて事の次第を確認することとなる。二人から促され、紫焔は母国で過ごした日々のこと、そして母国が滅んだ日のことを思い起こし語り出す。
今回は紅蓮との出会い編です。
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・本作品に出てくる全ての呼び名、動植物、無機物等は独自設定であり、もちろんファンタジーです
・戦闘シーン等が出てくる関係から暴力的、流血表現や残酷な描写が出てくる場合があります
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
十.
天満月は雪の深い国だ。
冬になると途端に大雪が降る。そんな時は家が潰されないように屋根から雪を落とす作業が必ず必要だった。
そんなこの国には珍しく、その時期は雪の季節にもかかわらず連日暖かい日が続いていた。
集落の端には、月齢何百年あるいは何千年にもなりそうな大木が枝葉を伸ばして立っている。銀郎は事あるごとにその大樹に登って太い枝に腰かけて集落を見渡していた。
ここからだと集落で生きる人々の姿がよく見える。人の営みを眺めることが好きだ。その日も銀郎は人知れず笑みを零しながら、眼下に広がる集落の暮らしを見つめる。
この時、銀郎は十ほどになる年齢に差し掛かっていた。
「銀郎」
銀郎よりも二つほど年下の少女が、大木の下から呼びかけて来る。銀郎は地面まで戻って彼女の言葉に耳を傾けた。
「どうした?」
「外の人が来たらしいよ」
「どんな人か聞いたか?」
「軍人だって言ってた」
「軍人……」
少し前のことだが、兵士が集落に来たことがある。
その時の兵士はとても横暴な男で集落の者に乱暴な真似をして侮辱し、好き放題暴れて去って行った。あの時の記憶がまざまざと蘇り、銀郎は顔を歪める。
しかし、兵士たちが皆、あの男のような無頼漢かといえばもちろんそんなことはない。その記憶よりさらに前、数年ほど遡るだろうか。昔、ふらりとこの集落にやって来た兵士は気前が良く穏やかで、子供たちに菓子をふるまってくれた。自分の仕事を面白おかしく語って聞かせてくれていたこともある。
そんな経験があるため、集落の人間は軍人に対して良い印象も悪い印象も抱いていた。しかし、残念ながら人間というものは嫌な記憶ほど大袈裟に覚えてしまうものだ。
どうしても相手を見る前から勝手な警戒心を抱いてしまう。
銀郎は「外ではその髪と目はなるべく隠すように」と以前玄海に忠告されていたことを思い出して薄い外套を羽織り、帽子を深く被った。
少女に教えられた通り、軍人らしき人間が集落の中を歩いている。
男を見つけるのは簡単だった。ただでさえ余所者は一目で分かる。その上、その軍人らしき男はとても背が高く鍛えられた体つきをしていた。膝下までくる長い外套を着ていても、その鍛え上げられた体躯は目につく。
銀郎は屋根の上から密かに男を確認した。その男は周囲を見回しながら歩を進めている。険しい表情の顔には「なぜこんなところに」とでも描いていそうな、不服と混乱を混ぜこぜにした感情が出ていた。
彼は時折立ち止まっては集落の者に何かを尋ねているようだ。銀郎は耳を澄ませた。
「ここに銀郎という子供がいるか」
「銀郎? さ、さぁ?」
目的は銀郎らしい。
集落の人間は警戒心を露わに、答えをはぐらかす。
嘘を吐いていることは傍目にも分かったが、男がそれを指摘したり問い詰めたりする様子はない。「そうか。悪かったな」と返してまた歩き出す。それの繰り返しだった。
そしてその男はあっという間に集落の終わりの場所まで到着した。
集落の土地が途切れると、その先には一面の花畑が広がっている。手入れされたものではなく、自生した花だ。白い花弁が風に揺れて、男を出迎えているようにも嘲笑っているようにも見えた。
その花畑のさらに向こうは深い森で建物の類は一つもない。人気のない場所だった。しかし、あろうことか男は花畑を突き進み、森へと足を進め出した。
銀郎は咄嗟に屋根の上から声をかけた。
「そこから先へは行かない方がいい」
少なくともこの男は、集落の人間に手を上げるような真似はしていない。だからこれは、親切心だ。
銀郎は自身に言い聞かせて言葉を紡ぐ。
「お目当ての人間はいなかったんだろう? 来た道を引き返してここを出て行け」
銀郎の声に振り返った男が、顔を上げてこちらを見る。
太陽が空高くまで移動し、その陽光が地面にさんさんと注がれた。こちらを見上げるような形になったおかげで、銀郎には男の顔がはっきり見えた。逆に、男からは逆光になって銀郎が見えないだろう。
「目当ての人間?」
怪訝そうな問いで己の失言に気づき、銀郎は話題を変えた。
「軍人さんが何の用か知らないけど、そこから先には行かない方がいい。忠告はしたからな」
重ねるように警告して、銀郎は屋根の上で身を翻す。男はうんともすんとも言わない。言葉は通じているはずだ。これ以上余計なことを言う前に退散しよう。
集落へ戻ろうとした銀郎は、最後に横目で確認した男がこちらに背を向けるのを見た。
彼は何故か警告を完全に無視し、森へと入っていく。こちらの言葉を侮っているのか、あるいは警戒しているのか。もしくは無鉄砲な馬鹿なのか。
消えていく背に向かって、銀郎は最後通告とばかりに大声を上げた。
「死んでも知らないからな!」
男は振り返りもしなかった。
銀郎はすぐに集落へと引き返し、自宅に戻って遅くなった昼食の支度を始める。しかし、何をやっていても頭の片隅にあの軍人の背中がちらつく。
完成した昼食を前にしても碌に食欲がわかなかった。
彼が入っていた集落の外に広がる森は、人が入れば生きては出られないと昔から言い伝えられている魔の森なのだ。
実際、そこに入った集落の大人が何人かいたが誰も戻っては来なかった。迷子になって入ってしまった子供も、同じように戻って来ていない。森には獰猛な獣が生息しており、人など一息に噛み殺してしまえるらしい。
何年か前のことだが、森の入り口付近にご丁寧に骨だけが戻されていたことがあった。それ以降、集落の人間はますます森を恐れ、近づかなくなったのだ。
しかし、不思議なことに獣は決して森から出ては来ない。集落の大人たちは、自生している花畑の花粉を嫌っているのではないかと話していた。本当のところは分からないが、少なくとも銀郎がいるここ十年は集落が襲撃されたことは一度もない。
いかに軍人といえども、獣は群れを成す。
多対一では圧倒的に不利だ。しかも、相手は人ではなく獣。俊敏さで人間が敵うはずもない。あの男はきっと今頃────。
日が傾き始める頃にはいよいよ落ち着かなくなって、銀郎は短刀を手に取った。その短刀は玄海がお守りにと贈ってくれたものである。
集落を抜け、花畑を走り過ぎる。森に一歩踏み込むと、途端に陽光は鬱蒼とした木々の枝葉に遮られた。
周囲の薄暗さに足が竦む。しかし、迷えば迷うほどあの男を救える機会は遠のくだろう。銀郎は震える足に鞭打ち、己を鼓舞して駆け出した。
森の中にはところどころ血痕が残っていた。
男の血痕ではないとすぐに察せられたのは、道中でいくつもの獣の遺体を見たからだ。血痕や獣の遺体が道標となって、銀郎は迷いなく先を進んだ。
ほどなくして空気を裂くような音を耳が拾った。
銀郎は音の出所へと急ぐ。獣の襲撃に備えて木に登り、太い枝の上へと移動して目を凝らした。銀郎は人より多少、目が良いのだ。
あちこち見回していると、不意にいくつもの影が視界に入った。よくよく見てみると、四方を獣に包囲されて戦う軍人の姿がある。見つけた。銀郎は枝から枝へと器用に移動し、出来る限り男のそばまで接近した。しかし、そこで動きを止める。
男が襲い来る獣を圧倒していたからだ。次々と牙を剥く獣を薙ぎ払い、撃破していく。銀郎は食い入るように男の姿を見つめた。
彼はまるで背中にも目がついているかのように素早く動き、どこから攻撃されても紙一重で躱してみせた。無駄のない重心移動、鋭く重い斬撃。男の姿に、在りし日の玄海が重なる。
男の死角を突くように斜め後ろから獣が飛び掛かった。男は前方の獣の相手をしていて背後の獣には気づいていないように見えた。
銀郎は咄嗟に短刀を投げつける。短刀は勢いを失わずに一直線に獣の目へと突き刺さった。獣が雄叫びを上げる。その声に反応して男が振り返り、躊躇なく獣を叩き斬った。
周囲には斬り捨てられた獣と、飛び散った血痕が満ちている。生き残った獣たちは怯えて森の奥へと逃げ帰っていった。
その場に残されたのは、返り血を浴びた男と枝の上に片膝をつく銀郎だけだ。
男が顔を上げて銀郎を見上げる。その瞬間、まるで図ったように強い風が通り抜けた。
深く被っていた外套の帽子がふわりと背に落ちる。風の悪戯によって枝葉が揺れ、生まれた隙間から木漏れ日が差した。
こちらを見上げる赤銅色の瞳。銀郎は理解した。彼が、玄海の言っていた弟子なのだ。
「俺の助けは要らなかったみたいだな」
一人で獣を圧倒していたことを指し、銀郎は皮肉を言う。しかし、男は「いや」と短く否定を返した。
「短刀のおかげで負傷を免れた。礼を言う」
随分と堅苦しい話し方だ。玄海も丁寧すぎる話し方だったが、そんなところまで受け継いだのだろうか。
銀郎は枝から下りて男の前に移動した。
「銀郎、か」
問いではなく確認だ。銀郎は頷いた。途端、目の前の男が膝を折って跪いた。
「俺は紅蓮。名字はない。師から頂戴し、書類上は信楽紅蓮となっている」
紅蓮と名乗った玄海の弟子は、玄海の肉親ではない。名字が無いのは身分の高い生まれではないからだ。昔、玄海に教わった。
天満月の国には身分による格差が暗黙の下に存在している。名字の有無でその身分差が分かるそうだ。
紅蓮は視線を上げて銀郎を見つめ、朴訥とした声音で続ける。
「師の言葉に従って、ここへ来た」
彼の言葉に嘘がないことは、実直な双眸を見れば明らかだった。
弟子の紅蓮が集落を訪れた。それはつまり────
「玄海、死んだのか」
考えないようにしていた現実を眼前に突きつけられ、銀郎は耐え切れずに涙を零す。
玄海が銀郎をどう思っていたのかは分からないが、銀郎にとってはすでに身内のように近しい存在だった。大好きな人だった。だが、もういない。
みっともないくらい涙が溢れ、両手で何度も拭う。拭っても拭っても、目から次々と零れて流れていく。涙の止め方が銀郎には分からない。
「病で。一月程前のことだ。最期はほとんど苦しまなかったと聞いている」
「……そうか」
紅蓮の気遣いを感じる。
初対面の相手の前で、これほど情けない姿を晒すことになるとは思わなかった。しかし、紅蓮は呆れた様子もなく只管銀郎を見つめてくる。何を考えているのかいまいち掴めない男だ。
「俺は師に、お前を託された」
玄海が亡くなってから暫く、紅蓮のもとに玄海の家族から手紙が届いたらしい。
それは、玄海が生前に残していた弟子への遺言だった。そこには、この集落のことや銀郎のことが書かれていたと紅蓮は語った。
紅蓮が説明する間も、銀郎は泣き続けていた。
怪我をしたわけでもないのに、心臓のあたりがひどく痛む。血が流れれば怪我をしているところを止血すれば良い。しかし、銀郎の胸がどれほど痛んでもどこからも血は流れていない。止血する必要がない。では一体どうすれば、この痛みは消えるのだろうか。
徐に、紅蓮が立ち上がった。銀郎は彼の動きを無意識に視線で追いかけ、自然と彼を見上げる。
紅蓮は黙ったまま片腕をこちらに伸ばして銀郎を抱きすくめた。体を傾けた彼の顔が銀郎の頭上に触れる。
「師の遺言をどう受け止めればいいのか分からん。今もまだ、迷っている。それでも」
紅蓮が短く息を吐いた。その息が震えているように感じたのは気のせいだろうか。
銀郎の視界は紅蓮の体で埋まっていて何も見えない。
「ありがとう」
それは、感謝の言葉だ。
何故、紅蓮が銀郎にその言葉を贈ったのか。咄嗟に質問することができなかった。背に回された紅蓮の腕が熱く、僅かに震えているような気がして。
結局最後まで紅蓮に感謝された理由は分からなかった。




