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月華の紫石英  作者: あっとまあく
陽輪ノ国編
20/81

第一章「陽輪ノ国から」弐拾

第一章完結。

海賊の襲撃を受けた貿易船だったが、紅蓮の活躍により無事に騒動を鎮めることに成功する。

警備隊の船が到着する前に紫焔たちを逃がすため、優が小型船を手配して逃亡の準備を整えた。いよいよ優との最後の瞬間が訪れる。


以下、注意書きです。

・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です

・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません

・娼館や貿易船についても独自設定であり、もちろんファンタジーです

当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。

どうぞよろしくお願いします。

※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止


*要視点です



三十.


 船内からどたどたと甲板に人が雪崩れ込んできた。

 警備の人間たちだ。遅すぎると文句を言いたいところだが、紅蓮(ぐれん)の話を聞いていたのでぐっと堪える。最後尾に(すぐる)がいた。五体満足な様子に安堵する。

 優はテキパキと指示を飛ばし、倒れている海賊たちを縛って捕獲し、乗客たちの容態を確認させた。



 俄かに賑やかになった甲板から、紫焔(しえん)たちはそっと姿を消す。客室へ戻って扉を閉めたところでようやく落ち着くことができた。


「はぁ、疲れた」

「全員、無事でなによりだ」

「つーか旦那の無双っぷりが怖すぎた」

「紅蓮が強いのは知ってたけど本当にすごかったな」

「まるで巨悪に立ち向かう勇者様のようでした!」

「あっは、勇者って面してなかったけどな」


 膝を叩いて笑い飛ばしてから、(かなめ)は違和感に気づいて顔を上げた。客室に招かれざる客が一人いる。当たり前のようにそこにいたせいか、誰も最初は可笑しなことに気づかなかった。

 紫焔が助けた女が、三人の視線を受けて笑顔を見せる。その腕に紙を抱えながら。


「えーと、お嬢さん。あなたはどちら様?」


 要は外面を整えてにこやかに問いかける。女も応えるように柔和な笑みを浮かべてぺこりとお辞儀した。


「ご挨拶が遅れました。私はリリファ・ソーラン・ブライムス。リリとお呼びください。先ほどは命を助けていただきありがとうございます。きちんとお礼をしたいと思い、同行した次第で」


 丁寧に自己紹介と感謝を述べたリリは、頬を好色させて手にしていた紙を掲げた。

 要が予想していたような、惚れた腫れたの甘い展開はまるで無さそうだ。


「お金はないので、お礼に私の宝をお見せします!!」


 ばっと机の上に紙が広げられる。


「これは私の命よりも大切なもの。そしてお金にも代えがたい価値あるものです! とくとご覧ください」


 喜色満面の笑み。リリは胸を張って紙を示すように両手を広げて見せた。

 要たちは彼女の勢いに促されるまま紙を見下ろす。そこに書かれていたのは、地図だ。それも広大な範囲のものである。

 国名が記載されておらず空白となっている部分も多々見受けられるが、これほど詳細なものはめったにお目にかかれない。

 彼女の言葉には嘘偽りなどなかった。まさに、お金にも代えがたい価値あるものだ。


「こんなもん、一体どこで手に入れたんだ?」

「書きました」

「は?」


 驚いて要はリリを見つめた。


「私が書きました」

「リリさんは地図が書けるのか」

「はい。しかし、既に出回っている地図で分かるものは既存品を参考にしています」

「それ以外は?」

「自分の足で調べて、書き加えています」


 リリが事実を述べているのだとすれば、それはとてつもないことだ。

 時間も労力も必要な作業である。もちろん、頭の良さも不可欠だろう。

 要はまじまじと地図を見つめた。世の中には様々な人間がいるものだ。恐ろしい強さを持つ者、到底敵わない知識を持つ者、優れた才能と努力で地図を作る者。

 聞き慣れない名前の響きや見慣れない容姿から、リリが遠い異国の人間だと察せられる。世界は広い。要はその広さを強く感じ、密かに驚嘆した。



 リリの地図で大盛り上がりした後、彼女はあっさりと部屋を出て行った。言葉通り、感謝として地図を見せてくれただけらしい。無駄に詮索をされることもなかったのは幸いだ。紅蓮が恐ろしいので。


 リリが去った後の客室では、要は紫焔の肩の手当てをしていた。(かしら)の男に踏みつけられて傷口が開きかけていたのである。その状態で波に攫われていたら、いよいよ危なかっただろう。

 要は力尽きたような気持ちで胸をなでおろした。


「そういやあの地図」

「うん?」


 包帯を綺麗に巻き終え、紫焔が衣服を整える。

 要はリリに見せられた地図を思い出してふと気づいたことを口にした。


「小国がいっこ、塗りつぶされてたよな」

「────ああ、そうだったかも」

「あそこなんだっけなぁって思ってたんだけどよ。そういえば十年くらい前に新聞で見たんだよな」


 陽輪ノ国(ひわのくに)からかなり離れたところにある小国で、貿易などの交流も一切なかった国だ。そのため、大事件が起こっても新聞の扱いは小さい。それでも記憶の端に引っかかっていた。それくらい大きな出来事だったのだ。


「たった一日で一国が滅びたって。あの塗りつぶされてたのがそれだよな、たぶん」

「ちっさい国のことだろ? 要はよく覚えてたな」


 紫焔の疑問はもっともだが、一日で国が滅びるというあまりにも衝撃的な出来事だ。覚えていても不思議はないだろう。

 あの国の名前は何だったか。要は頭を悩ませる。

 月だかなんだかの名前がついていたような気がした。月、十年程前、滅びて。要は顔を上げた。


天満月(あまみつつき)だ。大国に挟まれた小国・天満月」


 紫焔が紫紺の瞳を瞬かせた。


「紫焔、お前何年前に国から出たって言ってたっけ? 天満月(あまみつつき)は月の信仰が厚いみたいな話も聞いたことある気がすんだよな。まさかとは思うけど、あの国が滅んだのって七、八年前で紫焔はそこの皇子様だったなんて言わないよな?」


 カチン、と刀の手入れを終えた紅蓮が納刀する音が響く。

 静まり返る室内に、要は己の記憶力と頭の良さを恨んだ。


「当たりかよ……」

「要は察しが良すぎるなぁ」

「天才なもんでね」

「頭の悪いふりをすることも時には重要だと知れ」


 身も蓋もない紅蓮の物言いに肩を落とす。

 紫焔は天満月の元皇子で、紅蓮はそこの軍隊か何かの所属だった兵士なのだろう。何らかの理由で国が滅び、命からがら逃げだした。そんなところだろうか。

 また一つ、余計なことを知ってしまった。


 要が落ち込んでいると突然客室の扉が開かれた。


「出立の準備をしてくれ」


 入って来たのは優だ。


「もうすぐ海上警備隊がここに来る。海賊の残党を警戒し、乗客や乗組員の名簿表と照らし合わされるはずだ。そうなる前に三人を逃がす」


 優の手引きとはいえ、要たちは密航しているも同然の立場である。警備隊の目につけば強制的に陽輪ノ国へ戻されるだろう。

 状況を理解した紅蓮が真っ先に荷造りを始める。紫焔は優に謝罪して今の船内の様子を聞いていた。要は二人の様子を眺めながら自身の荷物をまとめてすぐにでも動けるように準備する。元々、荷物はそれほど多くない。

 優が手にしていた袋を紫焔に手渡した。重そうなそれは食糧と薬らしい。


「最初から三人分の食糧や薬は用意していた。これが無くなったところでこの船は問題ない」

「……ありがとう」

「小型船が準備してある。あれなら残り二日程の航海は十分に可能だ。燃料も問題ない。使ってくれ。警備隊には上手く言い訳しておく」



 荷造りを終えて、優の案内に従って要たちは小型船へと移動した。何から何まで至れり尽くせりだ。

 優の用意周到さに舌を巻く。それだけ視野が広く状況に応じた対応ができるからこそ、この男が若くして貿易船の責任者として代表を任されているのだ。


 貿易船に横付けされた小型船に乗り込む。少ない荷物も運び込み、要と紅蓮は小型船の中で待機した。

 優と紫焔だけが貿易船の甲板に残っている。最後の別れだ。



 要は横目で紅蓮の表情を窺った。これといった変化は見られない。本日の無双ぶりも相まって、要としては紅蓮の為人(ひととなり)が今一番気になっていることかもしれなかった。


 この男が紫焔をどう思っているのか、判断がつかない。発熱した紫焔を背負って優と別れる際も、自分の背後────なんなら()()()()────で優は紫焔に口付けていた。

 そんな二人を見ても紅蓮の表情に変化はない。主人に手を出すなと怒るわけでもなく、嫉妬するわけでもなく、かと思えば気遣う素振りの類もない。謎な態度だ。

 好奇心旺盛な要としてはぜひとも一度彼と腹を割って話してみたいが、自分の命の方が大切なので今は黙っておくことにした。


「必ず無事に送り届けると言っていたのに、こんなことになってすまない」

「何言ってるんだ。海賊なんて予測もできないことだし、むしろ迷惑かけ通しだったのはこっちだ。ごめん」

「紫焔。謝罪は聞き飽きたと前に言ったはずだ」

「そうだったな、ごめん」


 紫焔が言い終えてからしまったと顔に書いて狼狽えた。その様子を見て、優が相好を崩す。基本的には表情の変化が乏しい男であるが、紫焔の前だと優は様々な表情を見せるようだ。

 変化そのものは大きくはないが、あの甘い顔はなんだと要は舌を出した。胸やけがしそうだ。

 要の反応を横目で見ていた紅蓮が呆れたような顔つきになる。



 海上警備隊の船はまだ見えない。荒れた後の波が小型船にぶつかって弾けた。

 紫焔と優が何やらごちゃごちゃ話している。顔を俯かせた紫焔が表情を改めて優を見上げた。


「優……俺もだ。部屋で話した時、充実してたって言ってくれたけど俺も、お前が身請け先で良かったと思ってる」

「だが、怒っていただろう」

「強引なやり方にな。でも、宝生(ほうしょう)の屋敷はすごく居心地が良かった。優といた時間を俺はこれからも忘れない。だから、ありがとう」


 紫焔の手が優の後頭部に回る。

 二人の顔が近づき、要は野次馬根性を出してじっと見つめた。しかし、期待とは異なり紫焔の唇が触れたのは優の唇の横だった。違うだろと怒鳴りそうになった口を自らの手で覆う。


「でも、優は俺のこといつだって忘れていい。優の思うようにしてくれ」


 重ねてつれないことを言う紫焔に、優が眉を寄せた。


「思うように?」

「そうだ。優、お前はきっとこれからもっとすごい男になる。どこにいてもその名声が伝わってくるような、でっかい男にな」


 優から顔を離しながら紫焔は決定事項のように未来を語る。


「だから俺は、どこか遠い遠い国へ行ってたとしても、そこでお前の話が聞こえてくるのを楽しみにしてるから。お前のすごい仕事ぶりは国を越えて伝わるに決まってる」


 仕事一筋で生きてきた優の瞳に火が付いた。なんて別れの言葉を残すのかと、要は苦笑する。


「当然だ。私はもっともっと、優れた人間になろう」


 優は背筋を伸ばして応え、紫焔の頬に手を滑らせた。

 離れていこうとした紫焔を掴まえて引き寄せる。先ほどの紫焔の行動に違うだろと思ったのはどうやら要だけではなかったようだ。

 紅蓮に背負われていた時の紫焔にしたような、啄むような口付けとも違う。深く、情熱的な口付けを優は紫焔に贈った。唇が離れた瞬間、紫焔の乱れた息が届く。

 優の顔が再び寄せられたのを見て、堪らず要は声を上げた。


「お~い、あんま時間ないぞ」


 邪魔はしたくないが、警備隊到着までの猶予はあまり残されていないはずだ。

 要の声に反応した紫焔がびくりと肩を揺らした。こちらを見ようと顔を動かした紫焔を、優の手が引き止めて自分の方へと引き寄せる。止める間もなく、再び紫焔の唇が奪われた。


 要はちらりともう一度紅蓮を窺う。相変わらず表情に変化はない。

 彼が何を考えているのか読めなかった。


「ちょっ、終わり。終わりだ!」


 紫焔が声を上げながら優の腕を叩いている。


「先につれないことをされたからな。これは仕返しだ」


 真顔で優が文句を言う。要は内心で優に一票を投じた。最後の別れに唇の横に触れるだけなんて、明らかに紫焔が悪い。

 ようやく顔を離した二人が、そっと体も離す。二人の間をつなぐのは、引っ掛けるようにして僅かに触れている互いの指先だけだ。


「紫焔は私の思うようにしろと言うが」

「うん」

「それならその通りに、私は私が思うようにする」


 いよいよ指先も離れようとした瞬間、優が手を伸ばして紫焔の手首を掴んだ。


「待っていてくれとは言わない」


 紫焔の紫紺の瞳に太陽の光が当たった。


「だが、私はいつか必ず……お前に会いに行く。今度は客としてではなく、もっと対等な立場になって。正当な手段で。必ず会いに行く」


 優が紫焔の手首を引き寄せ、離れた距離を一歩で埋める。紫焔の背中に回された腕は震えていた。

 要の友人は、本気なのだ。本気で、この男に惚れてしまった。馬鹿なやつだと嘆く気持ちがある。それでも、この光景を目に焼き付けておきたいと、要は柄にもなく思った。



 優が紫焔に回していた腕から力を抜いた。彼は紫焔を送り出すようにその体を小型船へと優しく押した。


「どうか、無事でいてくれ」


 紅蓮、要、紫焔をそれぞれ見て優が祈るように告げる。要は頷いて返した。

 紫焔が小型船に乗り込む。船と船の距離で、要は優と最後の別れを惜しんだ。


「ちゃんと俺らとお前は無関係ですって装っとけよ?」

「分かっている。田城(たしろ)、お前も十分に気を付けろ。処世術に長けているのは知っているが、なんだかんだ情に絆されるところがあるからな」

「俺がぁ? そんなわけねぇだろ。大丈夫だよ。俺は俺の命優先で上手くやるから」

「そうか」


 ふ、と優が力の抜けた笑みを浮かべた。要も笑って返す。そして、ついでとばかりに空を仰ぎながら口を開いた。


「一に自分、二に自分。三、四も自分で五くらいに紫焔優先で気をつけといてやるよ」

「……それは破格だな。助かる」


 げぇと顔を歪めると、優が妙に嬉しそうな顔になった。どういう反応だそれは。


「余計な虫がつかねぇように見といてくれって言わなくていいのか?」


 揶揄する目的でわざとらしく問いかけると、優は一瞬瞠目して固まった。しかし、すぐに口許を緩め

る。


「紫焔はもう私のものじゃない。いや、元々私のものじゃなかったんだ。紫焔が誰を選ぶかは、紫焔が決めることだ」

「……随分と大人なご意見で。つーかお前が買ったんだから今もお前のもんだろ。一応」

「金に見合うだけのものはもう貰っている」

「ふーん?」


 空が明るい。そろそろ出航しなければ海上警備隊の目に留まってしまうだろう。目の端で、紅蓮が小さな操舵室へ移動する姿が見えた。


「熱烈なキスして押しかける宣言もしたくせに、殊勝なことだな」

「私の強引さはお前も紫焔も分かっているだろう」


 身請けの際に嫌というほど理解した。そのような強引さがあったことを情熱的だと喜ぶべきなのか、恋に現を抜かすなと怒るべきなのか。どちらの感情も要の中に生まれている。表に出したのは後者のみだが。

 優は要を見つめて目を細めた。


「そもそも、余計な虫が知らない誰かとも限らないだろう」

「は?」


 紅蓮か。それは言えている。しかし、優が言いたいのは紅蓮ではないようだった。じっとこちらを揶揄するように見つめてくるその視線が、言葉以上に雄弁だ。


「私は田城こそが余計な虫になると思っている」

「────ないないない。ないない。ないだろそれは」

「そうか? そうだといいがな」


 小型船が唸りを上げた。


「要って船の操縦できるか?」


 背後から紫焔に問われ、要は双肩を竦めた。


「俺にできねぇことがあるとでも?」

「よし! 任せた」

「はいはい」


 操舵室へ向かう前に、もう一度優へと顔を向ける。


「じゃあな。仕事ばっかしてんじゃねぇぞ」

「ああ。気をつけて。喧しい男がいなくなるから、仕事に集中できてしまうな」

「さみしいって素直に言えよ。天邪鬼」

「本音を隠す男が素直になれば、素直になってやっても良い」

「俺、お前のそういう減らず口嫌いだわ」

「そうか。私も勝手に話を逸らすお前のそういうところが嫌いだ」


 波の音が聞こえる。

 優が片手をあげて別れを示した。要も同じように片手をあげる。船と船の間がゆっくり開いていく。打ち寄せる波が船体を揺らし、水しぶきが割れたシャボン玉のように消えていった。


「またな、優」


 要は小さく呟く。その声は波の音に飲み込まれて海に包まれた。

 小型船での航行が始まる。



 行き先は巌流国(がんりゅうこく)。別名、岩の国と呼ばれている小国だ。




【第一章・完】


ここまでお付き合いくださった方がもしいらっしゃいましたら本当にありがとうございます。


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