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月華の紫石英  作者: あっとまあく
陽輪ノ国編
15/81

第一章「陽輪ノ国から」拾伍

優は通っていた娼館で働くムラサキこと紫焔を半ば強引に身請けした。それなりに穏やかな日々を過ごしていたが、ある日優が屋敷を空けている間に紫焔を狙う連中が屋敷を襲撃する。執事によると紫焔は襲撃犯を引き連れて屋敷を飛び出したらしい。友人である田城の従者から襲撃の知らせを受け、優は紫焔とともに田城の行方も捜索するが…。

優視点の回となっています。


以下、注意書きです。

・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です

・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません

・娼館についても独自設定であり、もちろんファンタジーです

当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。

どうぞよろしくお願いします。

※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止


*宝生優視点です。



二十三.


 友人である田城要(たしろかなめ)の従者が火急の知らせを持ってきたのは、空が赤く染まり、夜の足音が聞こえてくる頃だった。息せき切って現れた男が整わない呼吸の下で必死に状況を伝えてくる。

 田城に伝令として遣わされたこと。宝生(ほうしょう)の屋敷が何者かに襲われたこと。何人かが重軽傷を負っていること。


 伝えられた内容はどれも予想外のことばかりで、(すぐる)の思考は一瞬停止した。しかし、すぐに紫焔(しえん)との会話を思い出す。彼が警告していたことが、今日まさに起こってしまったのだ。

 警備を増やす直前の出来事だった。優は奥歯を噛み締め、屋敷へ急ぎ戻った。



 辿り着いた宝生の屋敷は酷い有様である。血と、硝煙の臭いが立ち込めていた。

 優はすぐにけが人の救護を指示し、屋敷の中へ踏み入った。どこを見ても紫焔はいない。襲撃犯も見つからなかった。

 気を失っていた執事が無事に目覚めた後、彼に事の次第を確認する。執事によると、紫焔はまるで囮になるかのように襲撃犯たちの前に姿を現わし、馬に乗って逃走したようだ。


 すぐに伝令を寄越した田城を探したが、彼もどこにも見当たらない。

 従者に確認しても、馬に乗ってどこかへ駆けて行ったことしか分からなかった。優は周辺を捜索させ、報告を待ったが一向に良い情報は得られない。焦燥感ばかりが募っていく。友人は無事なのか。紫焔は無事なのか。優には知るすべがない。


 どれほど時間が経過しても状況は好転しなかった。そして、田城の屋敷に送った遣いによれば、田城邸の周辺には怪しい連中が何人もいたらしい。まるで、田城が帰ってくるのを待ち伏せしているかのようだ。

 もし田城が何事かに巻き込まれたのであれば、賢い彼ならば馬鹿正直に姿を見せたりはしないだろう。身を隠しつつ、休息できる場所。優は不意にうってつけの場所を思い出した。

 屋敷から少し離れたとある町に、彼がお忍びで遊ぶ日に利用していた()()宿()があったはずだ。

 ようやくそこに思い至り、優はすぐに町へ向かった。




 紫焔の言葉を疑っていたわけではない。しかし、危機感が足りなかった。もっと早く行動に移していれば、屋敷の者は助かったかもしれない。警備を増やせていれば紫焔が身を挺して襲撃犯を引き連れて逃亡せずとも済んでいたかもしれない。

 すでに起こってしまったことだ。今さら別の可能性をいくら模索したとしても、過去を消すことはできない。

 優にできることは怪我を負った者たちを治療し、襲撃犯から逃げているであろう二人を救うことだ。



 町の裏路地。知る人ぞ知るその宿は、田城のお気に入りである。

 遊びに参加したことはないが、そこに呼び出されたことが何度もあった。その際の合図もしっかり覚えている。


 優は扉を慎重に叩いた。すると中から合図が返ってくる。やはり田城はここに潜んでいたのだ。安堵しながら扉を開け、中に入った。

 室内には疲れた様子の田城と、見知らぬ赤みがかった茶髪の男と、紫焔がいた。どうやら皆無事だったようだ。しかし、紫焔の肩には包帯が巻かれている。

 寝台まで近づいた優は、衝動に背中を押されて紫焔を抱き締めた。僅かな時間だというのに、もう長いこと会っていなかったように錯覚する。空虚だったものがようやく埋まった。


 紫焔の頭を抱えるようにして抱き締める。彼の手が応えるようにそっとこちらの背に置かれた。触れられた手から体温を感じる。

 彼はちゃんと生きているのだ。今こうして、優の腕の中にいる。つんと、鼻の奥が刺激された気がした。


「ちょっと待った!」


 その時、突然部屋に田城の叫び声が響いた。優は扉の近くで両手を上げて降参の仕草を示す田城と、そんな彼に刃を向けている茶髪の男を見た。


「その男、どうやってここを知った? こいつが手引きしたに違いない」

「ちょいと紅蓮(ぐれん)の旦那はさぁ、直情的すぎねぇ?」

「そう思うか? では直情的に首を刎ねよう」

「お前の男を止めろ紫焔!」


 慌てたように紫焔に助けを求める田城の発言に、優は眉を寄せた。


 ───()()()()


 そこで不意に、記憶が甦る。赤みがかった茶髪の男。知り合いではないが、どこかで見覚えがなかったか。

 そうだ────紫焔が持っていたロケットペンダントの写真。今そこにいる男よりも若い頃の写真だったが、間違いない。紫焔が麒雲館(きくもかん)から持って来た唯一の私物。

 ざわりと、胸の奥が騒ぐ。それでも優はなんとかその場は動揺を静めた。



 三人の会話を聞くと、どうやら田城は襲撃犯の内の二人を倒し、目をつけられてしまったようだ。そして、田城は何故か紫焔の秘密を知った。その結果、紅蓮と呼ばれる男は田城を口封じしたいと考えている。

 田城は友人だ。当然、優も口封じには反対である。しかし、田城の屋敷には戻れない。一時的に宝生の屋敷に匿うことはできるかもしれないが、一度は襲撃を受けてしまった屋敷だ。今もなお、目を光らされている可能性もある。安易な行動はできない。

 そもそも田城は、どうやって紫焔の秘密を知ったのだろうか。紫焔が自ら吐露したとは考え難い。あれほど他者を巻き込むことを嫌っていた紫焔だ。つまり、田城自身が何らかの方法で秘密に辿り着いたと考える方が自然だった。


 田城は博識だ。興味があることには熱心で、あらゆる物事に興味を抱く。そして、深掘りすることは苦手ですぐに飽きる。楽しい間だけ楽しみ、興味が尽きればあっさり手を放す。そういう男である。

 彼は優が身請けした紫焔に興味があったようだった。優からしてみれば、持ってほしくない類の興味だが、その過程で田城は何かに気づいたのだろう。そのせいもあって命が危うくなった田城を、羨ましいとは言えない。言えないが、やはり少しばかり羨ましい。

 どれほど知りたくとも、紫焔が優に自分の秘密を打ち明けることはないだろうから。



 心の中の焦りや醜い感情を悟られたかのようなタイミングで、紫焔が田城に向かって言った。


「俺たちと来ないか?」


 何故、その言葉を田城に向けるのか。分かっている。田城の身が危険だからだ。分かってはいる。だが、それでも────。


 優は紫焔の手を掴んだ。それでも、その言葉を自分に向けてほしかった。なんと愚かな欲望だろうか。

 愛だの恋だの呼ばれる感情がもし優のこの感情を指すならば、これほど厄介で手に負えないものもそうはないだろう。


「私も連れて行け」


 祈るような、縋るような気持ちだった。しかし、かつて身請け話を初めて持ち掛けた時と同じように、紫焔は無情にも首を振る。


「できない」

「紫焔」

「優は俺のことを忘れて、今まで通り生きてくれ」


 ぐっと、強く強く手を掴んだ。人の記憶はそう容易くはない。忘れたくとも忘れられるものではないし、忘れたくないものでも忘れていってしまうものだ。随分と簡単に今まで通り生きろなどと彼は口にするが、紫焔のいない今までのことなどもう忘れた。

 麒雲館で紫焔と出会ったその時から今日までで、優の思い出の記憶は飽和状態だ。それより昔のことなど、あまりに遠い記憶すぎる。


 麒雲館の店主に無理を言って紫焔を横取りしてからも、優にとってはかけがえのない時間だった。紫焔を買ったという認識があまりなかったが、思い起こせば優は金で紫焔のすべてを買っているはずだ。


「紫焔、お前は勘違いをしている」


 そう言って、優は立ち上がった。見下ろす紫焔の紫の瞳は、いつだってこちらの心の底を見透かすように澄んでいる。


「お前は私の所有物だ。お前の意思は必要ない」


 卑怯で無様な言い分だった。言葉にしてしまったら、もう取り返せない。しかし、紫焔は傷ついた様子もなくこちらを見上げてくる。

 きっとどれほどの時間を共に過ごしても、紫焔の心を見透かすことなどできない。こうであってほしいと、優は自分の中で描く理想の心を彼に押しつけてしまうだろう。

 本当の彼のことなど、優には少しも見えていないのかもしれない。



 宝生の家のことも、仕事のことも、全て放り出して勝手をすることなどできない。優には、どれも捨てられない。せめてもと追い縋って、宿からの移動に着いて行くことにした。


 紅蓮が当たり前のように紫焔を背負う。

 この男が一体何者なのか見当もつかない。しかし、鍛えられた体や腰から提げている刀剣からすると、戦闘への備えをしていることが窺える。田城も相当鍛えている男だが、それとはまた違う雰囲気だ。

 紫焔と紅蓮が窓際で何事かを言い合っている。田城が二人に近づくのに合わせて、優も足を進めた。紫焔の顔色があまり良くない。怪我の影響だろうか。

 しかし、彼は怪我をしている肩ではなく首元を何故か撫でていた。その仕草で、田城が声を上げる。


「もしかして探しもんか? それなら俺、雑木林の中で拾ってたわ」


 ポケットをごそごそと漁り出した田城に、紫焔が聞いたこともないような慌てた声を出した。


「わぁぁぁ!! ちょっと待った!」

「うっせ、何!?」

「ペンダント? 拾ってくれてたんだな。ありがとう」

「ああ、そうそれ。色気のねぇ写」

「分かった! 間違いなく俺の探してる物だそれ! 後で! 後で返してもらっていいか?」

「挙動不審すぎだろ。何なんだよ気色悪ぃ……じゃあ後で返すよ。うっせぇから」

「ありがとう!」


 必死な様子の紫焔に首を傾げる。田城が拾ったペンダントとは、麒雲館から持って来た()()ロケットペンダントのことだろう。優はその存在を知っているし、口ぶりからすると田城も中身を知っているようだ。

 それでもここでは見せたくない。つまり、見せたくない相手は一人だけだ。

 優は紅蓮をじっと見た。仮面を着けていて表情はよく分からない。のぞく双眸が雄弁に語っているようにも見えるが、顔見知りでもない優にはその心の内を探ることはできそうになかった。 


 あのペンダントの中身。写真に写っていたのは紅蓮だ。それを紫焔は紅蓮本人には見られたくない。



 永遠に分からないと思っていた紫焔の心の在り処に触れそうな気がして、優は言葉にならない恐怖にも似た何かを覚えた。




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