表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月華の紫石英  作者: あっとまあく
陽輪ノ国編
13/81

第一章「陽輪ノ国から」拾参

襲撃犯から逃げる最中に銃弾を受け、雑木林に落下した紫焔。彼を発見した田城は、襲撃犯から身を隠すために目覚めた紫焔とともに雑木林の中を進んでいた。しかし、途中で外灯も月明かりすらもない状況に陥り、二人は湖の前で立ち往生する事態に。ようやく雲が隠していた月が姿を現した時、田城は思わぬものを目にして紫焔の秘密を知る。そんな田城を突如襲う刃。命からがら応戦し、田城は必死に重く鋭い刃を防ぐのだった。

というような話です。


以下、注意書きです。

・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です

・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません

・娼館についても独自設定であり、もちろんファンタジーです

当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。

どうぞよろしくお願いします。

※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止


*引き続き田城視点です。



二十一.


 運というものは、一度見放されてしまえばとことん見放されるものらしい。


 あともう少しで雑木林を抜けられるというのに、日が完全に落ちてしまった。

 田城(たしろ)紫焔(しえん)は偶然見つけた水場の近くで立ち往生している。夏場であれば泳げそうな湖が目の前に広がっていた。


 月明かりは雲に閉ざされて今はない。おまけに雑木林の地面が体温を奪い、冷え込みが厳しくなってきた。


「最悪」

「災難ってなんでこうも重なるんだろうな……」


 はぁ、と息を吐いた紫焔は膝を抱えて小さくなっている。体温を逃がさないようにしているのだろう。


「お前って疫病神なんじゃね?」


 とりあえず悪態を吐くと、隣の男はからからと愉快そうに笑った。楽しませるための悪態ではないのだが、気に病んだ様子はない。随分と楽観的に見える。単純に開き直っているだけかもしれないが。


「疫病神はここで置いて行ってもいいよ」

「うぜぇ。テメェが今ここで洗いざらい話すってんなら置いて行ってやってもいいんだぞ」


 自己犠牲の精神なのか、あるいは秘密を暴露したくないからなのか。容易く別離の選択を提示する紫焔を睨む。

 田城が紫焔に構うのは、彼の正体を知りたいからである。それさえ分かれば望まれなくともすぐに捨てて行く。


「いやぁ……知らない方がいいこともあるってことで」

「それを決めるのはテメェじゃねぇ。この俺だ」

「横暴だ」

「お前が俺に抗議できる立場だと思ってんの? 調子の良い勘違いだな」

「横暴の極みだ……」


 はぁ、と吐いた紫焔の息に熱が籠っている。平然と会話しているが、おそらく発熱しているのだろう。紫焔の傷は消して浅くない。しかし、ここまできても泣き言ひとつ言わないのは見上げた根性だった。

 この男は以前田城が斬りつけてもその頭を地面に叩きつけても泣き言を言わなかった。娼館だけで生きてきたある種の世間知らず、だけの男ではないようだ。



 己の立場に胡坐をかいて弱者ぶる人間は嫌いだ。

 自分は弱いのだから助けられて当然だとでも言わんばかりの連中はこれまでたくさん目にしてきた。その点、友人である(すぐる)は愚直なまでに一直線で己の立場を乱用しない。ひとつ、紫焔の身請けに関してだけは沈黙しておく。いつもは少々愚直すぎて呆れるが。


 優が紫焔に引かれたのは、この男が自分を着飾るための嘘を言わないからかもしれない。


「類は友を呼ぶってか……」


 友と呼ぶには、優と紫焔の関係には熱が籠っているのだろうが。

 湖の水面に明かりが射した。雲が途切れて月が顔を出したようだ。ようやく光が見えて内心、僅かに安堵する。

 暗闇は人間の恐怖心を容易く煽ってくるものだ。信用できる者が己しかいないのであれば尚更。


 湖の近くで草木が揺れた。一瞬、空気がピンと張り詰める。しかし、すぐに跳び出してきたのが野兎であると分かって二人は息を吐いた。


「捕まえられるかな」


 徐に立ち上がった紫焔がぼそりと呟く。


「食うのかよ。そこは兎かわいいーとでも言っとけよ。可愛くねぇな」

「俺が可愛くてどうするんだ。アンタだってお腹空いてるだろ?」


 いや、お前は可愛くしとかないとだめなんじゃないのか、と田城は考えて眉を寄せた。少なくとも優の前では。

 優に「可愛い」の魅力が正しく伝わるかはさておき。そもそも優が紫焔を可愛いと評価しているのかどうかさえ分からない。知りたくもないが。


 そうこうくだらないことを考えている間に、紫焔は湖の方へ移動していた。

 雲が流れ、ぽっかりと空に穴があく。月の光が水面を広く照らした。水面に反射する月明かりとは、こうも美しいものなのか。田城は柄にもなく目を奪われる。そして、視界に入った紫焔に現実へと引き戻された。


 近くまで跳ねてきた野兎を捕まえ損ねた彼は、足を滑らせて湖へその身を投げ出したのだ。間が抜けている。

 ばしゃん、と盛大な水音が響いた。寒さと負傷に加えて、水に濡れるという愚を犯す紫焔に呆れ果てる。


「おい、大丈夫か」


 形式ばかりに声をかけながら、田城は立ち上がって湖に近づいた。

 きらきらと水面が光っている。そこから浮き上がって来た紫焔が、濡れ鼠となった全身をふるふると動かして水切りした。犬には到底及ばない下手くそな水切りで、それでも頭はそれほど浸かっていなかったのかそこそこ水を弾いている。

 たっぷり濡れたのは首から下らしい。よりにもよって、傷口も含めてだ。


「破傷風にでもなりてぇのかよ」

「そんなつもりは……」


 やっぱりここに捨てて行くか。田城は無表情の下でそんなことを真剣に考え、しかし、すぐに思考を止めた。

 月明かりに照らされ、水で濡れた紫焔の体が衣服の下から姿を現す。



 お月様の光で きらきら 輝く銀の髪

 ずっと遠いところまで 見える 紫の目

 体も きらきら お月様で光る

 きれいな 花のよう

 遠い遠い ずっと遠いところの 皇子様



 それは、御伽噺の絵本の一節だ。


 十年ほど前だったか、貿易によって国外から運ばれた来た絵本の中のひとつ。その絵本はとある国の皇子について描かれている。その国の皇子の美しい見た目は皇帝家にのみ伝わるもので、それこそが皇帝の証なのだと。

 昔読んだだけの断片的な記憶だ。そのためか、田城も今の今まで忘れていた。目の前に、その描写そっくりの容姿が全て揃った者が現れるまでは。


 透けた衣服の奥に、浮き上がるようにして僅かに見える紋様。刺青とも焼印とも違うそれは、彫刻作品のような美しさを持つ。

 田城は動揺しながら紫焔の前に立った。


「まさかお前、どっかの国の皇子様でしたーなんて、そんな馬鹿げたこと言わねぇよな?」


 しどろもどろになりそうで、田城は混乱を必死に抑えようとする。まさかそんなと笑い飛ばされることを期待した問いかけに、紫焔は目を丸くして固まった。


 ────おい、それは肯定だと思われる反応だぞ。


 しかし、田城は二言目を紡ぐ前に全身が粟立つのを感じて身を凍らせた。

 唐突に田城の身を包んだのは恐ろしいまでの殺気だ。咄嗟に踵を返し、音もなく背後から飛び掛かって来た影を視界に入れる。喉が引き攣って声も出ない。生存本能が田城の体を無意識に後退させた。


 ギリギリのところで避けた鋭い切っ先が空を切る。回避が間に合わなかった髪の先が数本はらはらと舞い散った。ほっと息吐く暇もない追撃。

 田城はなんとか刀剣を引き抜き、襲い来る刃を受け止めた。しかし、相手の剣の重さと鋭さがこちらを軽く凌駕している。防戦一方になった。


 災難とは本当に重なるものだ。

 地面を踏みしめた田城の踵が落ち葉に包まれ、ずるりと滑った。目の前の殺気を回避するのに夢中で碌な受け身も取れずに転倒する。臀部を打ちつけた痛みに構う隙すらない。

 相手の刃の切っ先が容赦なく飛び込んでくる。


「殺すな!」


 瞬きの間に刃の先端が田城の喉を突き刺し貫く。その直前、紫焔の大声が響いた。ぴたりと動きを止めた刃はこちらの喉に触れる寸前まで迫っていた。あと少しでも進めば皮膚を傷つけていただろう。

 気づかぬうちに止めていた呼吸が戻ってくる。田城は大袈裟なほど激しく息を吐き、酸素を取り入れた。おそらく、数秒にさえ満たない攻防だっただろう。しかし、こちらはすでに呼吸一つ儘ならない。相手は歴戦の猛者だ。戦闘を齧ったことがある田城とは経験値が桁違いの動きだった。

 明らかに、戦い抜いて生きてきた男。戦いの中で鍛えられた筋肉は、街中で見かけるようなものとはまるで違っていた。


 ぽたぽたと額から汗が流れ落ちるのを感じる。心臓の鼓動が極限まで早まっていた。

 田城は必死に呼吸を整える。

 月光の下、影になっていた相手の姿がはっきりと晒された。田城は瞠目する。顔の上半分を覆う仮面を着けた奇妙な男。それは、田城にも()()()()()()()()だった。


「お前っ、麒雲館(きくもかん)にいた……おい! 勘違いすんなよ!? 俺はこいつの飼い主じゃねぇ!」


 この男は以前、麒雲館で紫焔を身請けすると手配していた者ではないか。身請け話を頓挫させたのは友人の優であって自分ではない。田城は立ち上がって文句を言った。


「野郎の嫉妬で殺されるなんて御免だ!」


 横取りしたのは褒められた行為ではないが、それは優と麒雲館の店主がやったこと。田城は部外者だ。人違いで命を落とすなんて間抜けな話はお断りである。

 怒り心頭で恐怖も忘れて言い募る田城の前に、再び切っ先が向けられた。


「何の話をしている?」

紅蓮(ぐれん)、とにかく刀を向けるのはやめてくれ。彼は俺の命の恩人だ」


 仮面の男は紫焔の言葉を受けて殺気を抑えた。刀剣はそのままだ。

 しっかりしてくれ紫焔テメェの男だろ、と田城は心の中で悪態を吐く。


「話は聞こえていた。この男、紫焔の出自を知っている。俺がここで殺さずともいずれは殺されることになる。今やるか、後でやられるかだ。ならば今口止めすべきだ」

「物騒がすぎるぞ! 出自なんか知るかよ。俺はただ、昔読んだ絵本をなぞらえただけで」

「絵本?」

「どっかの国の貿易商が手土産だったかなんかで持ってきたんだよ。それを俺はたまたま読んだことがあるってだけで……」


 この国では販売すらされていなかったはずだ。だからこそ、優も紫焔の容姿を見ても気づかなかったのだろう。宝生家は絵本の取扱いもしていない。

 どうやら仮面の男と紫焔の二人には絵本に引っかかりがあるらしい。彼らの国で作られたもので、国内の一部で出回っていたものかもしれないと仮面の男が話している。


「紫焔が何者かを見た目だけで分かるヤツなんて、この国にはいねぇよ」


 田城はたまたま絵本を入手でき、それを読んだことがあっただけだ。


「ではお前を口封じしておけばこちらのことが不用意にバレることもないということだな」


 仮面の男に再び刃を見せられ、田城は咄嗟に紫焔の背後に回って身を隠した。


「紫焔! 何とかしろこの暴走野郎を!」


 紫焔の背中を押してやるつもりが、田城の手は空気に触れただけだった。

 あ、と思う間に目の前の背中が力を失って崩れていく。無意識に伸びた手が紫焔の右手を掴まえる。しかし、彼の体が崩れた瞬間、すでに一歩で距離を詰めた仮面の男が正面からその体を支えていた。


 田城の掴んだ手が熱い。

 すっかり忘れていたが、紫焔は怪我の影響で発熱していた。さらに湖に落ちて体温を根こそぎ奪われている。長々と押し問答をしている状況ではなかった。


「おい、アンタ。そいつを死なせたくねぇなら町へ出ろ。俺が身を隠せるいい宿を知ってる。そこなら治療もできるぜ」


 思案するような顔は一瞬で切り替わり、気を失っている紫焔を背中に担いだ仮面の男が身を起こす。


「案内を頼む」


 乱暴で脳みそ筋肉仕様な人間かと思いきや、仮面の男はあっさり殺意を消してしまった。状況判断が的確で素早い。田城はまたしても男に「歴戦の猛者」然とした風格を感じて密かに身震いする。



 月明かりがあるうちに移動しなければならない。田城は仮面の男を導きながら、雑木林を抜けて町へ出た。

 さすがに後ろを歩かせる気にはなれなかったので、二人横並びで足を進める。横目で窺うと、仮面の男に背負われた紫焔の荒い呼気を耳が拾う。熱の具合を確かめようと田城は手をのばした。しかし、じろりと仮面の男に鋭い眼光を向けられて動きを止める。


「何だよ、具合を看るだけだっつの」

「そうか。紫焔の傷の手当はお前が?」

「ああ」

「助かった。礼を言う」


 含みのない感謝の言葉。仮面の男の行動からしても、どうやらこの男は紫焔のことを守りたいらしい。

 紫焔が本当に冗談ではなくどこかの国の皇子だと仮定すると、さしずめ仮面の男は専属護衛か何かだろうか。

 つまり田城は本職の人間に刃を向けられたが奇跡的にまだ命があるということだ。自分の強運に感謝して町の中を必死に進んだ。



 こそこそと夜の町を歩き、田城の御用達である宿へ案内する。

 宿の主は口が堅い。身を隠すのであればうってつけの場所だった。いつも通りに手続きを済ませ、金を渡して部屋を借りる。高級とは言い難いがしっかりとした作りの寝台に紫焔を寝転ばせた。仮面の男が紫焔の意識を確認したが、彼はまだ眠ったままだ。

 宿の主に言って持って来させた清潔な湯や消毒液等で準備を整え、田城は寝台の脇に片膝をつく。


「医者は」

「俺が治療すんだよ」

「お前が?」

「安心しろよ。俺はちゃんとこの国の医師免許を持ってる。それに、一人でも少ない方がいいんだろ? コイツのことを知ってる人間は」


 相手の急所をつくのは得意だ。田城の言い分に押し黙った仮面の男は、後ろで見ているぞと呟いた。脅迫にしか聞こえないが、今は恐怖心にかられている場合ではない。


 何故自分がここまでしているのか、と可笑しく思う。襲撃犯を斬り伏せてまで助けてやった命だ。簡単に死なれては田城の労力が無駄になる。

 ここで紫焔の命をさらに救えれば、背後に立つ男の刃から逃れられるかもしれない。相手への恩は出来る限り多めに売っておかなければ。


 田城は舌なめずりをして治療にとりかかった。




次回は優と再会する予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ