第一章「陽輪ノ国から」拾弐
優が身請けした男に刃を振るってまで宝生家から追い出そうとしていた田城だったが、再び訪れた宝生家が襲撃されたことを知る。追手から逃げる紫焔の姿を目にしていた田城は、彼を追いかけることにした。しかし、田城が到着した頃にはすでに紫焔の姿はなく、現場の状況から撃たれて落下したことが分かった。田城は仕方なく雑木林の中に足を踏み入れる。
今回は田城視点のお話になります。暴力表現がありますのでご注意ください。
以下、注意書きです。
・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です
・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません
・娼館についても独自設定であり、もちろんファンタジーです
当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。
どうぞよろしくお願いします。
※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止
※田城視点です
十九.
阿呆だ。田城は己の友人を思って溜息を吐いた。
田城要には古くからの友人がいる。宝生家の跡取り息子で、生真面目で融通が利かない仕事人間。それが宝生優という男である。
そんな優が、ここ最近になって突然遊びに目覚めた。田城が紹介した娼館に通いつめているらしい。この話を耳にした時、田城は大喜びした。とうとう息抜きを覚えたかと。
よちよち歩きの子供が馬で颯爽と駆けるようになったような不思議な感慨深さを覚えた。
しかし、あろうことか優は息抜きでは済まさず、肩までずぶずぶと沼にはまり込んでしまったらしい。
男性限定の娼館・麒雲館に通うようになって暫く、あまりにも突然彼は男娼に袖にされたと告白した。なんでも身請けしたいと申し出たのに断られたという。
どれだけ気位の高い相手なのか。田城は優が夢中になっている「ムラサキ」という名の男娼を嫌悪した。そもそも、宝生家の跡取りが素性も知れない相手に骨抜きにされるなどあってはならない。
そんな折、偶然にも田城は件の男娼が別の男に身請けされることを知った。
気位の高いムラサキ様はどうやら堅物な優はお気に召さず、やけに体格の良い奇妙な仮面を着けた男を選んだらしい。これ幸いにと田城はすぐさま優に報告した。
「お前の意中の相手、明日身請けされるらしいぞ」
「……身請け?」
「そ。つーわけで残念だったな、優。大人しく身を引いとけ」
優は不服そうにはしていたが、その時はこちらの言い分にこれといった反論はしなかった。だからすっかり安心していたのだ。
実直で道を踏み外すことのない友人が、実は思いがけない行動力を秘めていることを田城は知っていた。しかし、この時は完全に忘れていたのである。うっかりにもほどがある。
過去の自分は実に愚かだった。田城は戻れるなら過去に戻り、友人の性格を無視していた間抜けな自分を叱責したい。
優はこちらが与り知らぬ間に予想外の行動に出ていたのだ。
せっかく現況が他の男に身請けされることになったのに、なんと優は横槍を入れてムラサキが身請けされる前に自分が身請けして搔っ攫ってしまった。どこまで熱を上げているのか。所詮、ただの商売男だというのに。
そんな関係に純愛などもちろん存在しない。相手は優の中身ではなく外面を見ているのだ。
金を持っているか。自分に利益があるかどうか。そして優も、結局は相手の中身など見ていない。否、見ることができていないと言うべきか。
優は今まで出会ったことがない相手に興味を抱いているだけだ。恐らくは珍しい瞳の色に妙なまやかしでも見ているのだろう。愚かなことだ。
田城のように遊び感覚を理解していれば問題はなかったのに。真面目一辺倒な男はこれだからだめなんだ。ひとつ道を間違えると、もう突っ走るしかできない。軌道修正は不可能だ。そうであるならば、友人として田城が強引にでも修正してやるしかない。
「退きどころは覚えねぇとな」
説教をかましてやろうと、田城は宝生家を訪ねた。
廊下を歩いていると、前方の角から足音が聞こえてくる。角を曲がって現れた相手は例の男・ムラサキだった。
こちらの出現に驚いたのか、男が紫紺の瞳を丸くさせる。この目が優を泥沼に引き摺り込んだのか。
思考は一瞬だった。田城は躊躇なく刀剣に手をかける。鞘から抜き放った刃で横一文字に斬った。それで、すべてが終わる。しかし、目の前の男は背中から後ろに倒れ、寸前のところで刃を躱した。
斬ったと思い込んで無意識のうちに鞘へ納めかけた刃を、田城は再び抜き放とうと腕に力をこめる。次の瞬間、男の足先が鞘の先を押し上げ、抜こうとした刀を鞘に納めさせられた。
転んだことで偶然、襲い来る刃を回避した。そして、うっかり鞘を蹴り上げてしまった。そんな動きではない。
目の前で尻餅をついているこの男は、明らかに戦い方を知っている。
田城がどれほど凄んでも男は怯まなかった。作戦を変えるしかない。
田城は男のみすぼらしい頭髪を見せて、少しでも優の浮かれた頭を冷まそうとした。しかし、その結果田城はとんだものを目にするはめになった。
しどしどに濡れた髪からどんどん黒ずんだ水が落ちていく。中から出てきたのは予想していたような白髪ではなかった。
「銀髪……」
付き人が呟く。男が伏せていた顔をゆっくり持ち上げて、胡坐をかく田城を見つめてきた。銀色の髪の奥から、深い紫の瞳が見える。非道な行いをされた後だというのに、男の瞳には静寂が広がっていた。
これではまるで、狩人罠にかかるではないか。
田城は冷静さを取り戻すために沈黙した。そういえば最近、銀髪について何かを聞いた記憶がある。
港で広がっている噂話だ。この銀髪が、探されているそれなのか。差し出せば金を貰えるのか。そもそも、何故銀髪を探しているのか。謎が深まる。しかし、金を払ってでも手に入れたいと考える酔狂な人間の気持ちが、銀髪を前にしてほんの少しだけ理解できてしまった。
不愉快だが、それは確かに、見入るほどの美しさだ。
途中で優本人が現れ、田城とムラサキの対面は終わった。
友人の邪魔が入ったことでムラサキを問い詰めきれなかったのだ。その後優がムラサキの処遇をどのように決めたのか分からない。
すっかりあの男に良いようにされている優のことだ。どうせたいした言及もせずに甘やかすのだろう。
田城が自邸に戻ってから真っ先に行ったことは、調査だった。
色に溺れた友人は頼りにならない。自分がしっかりしてやらなければと気を引き締めた。
港の噂話の出所を辿ると、どうやらその情報は国の外へ繋がるようだった。しかし、そこまでだ。それ以上の痕跡が見つからない。
馬車に揺られながら、田城は悪態を吐く。
「怪しすぎるんだよな。アイツ」
午前中に顔を合わせた優が、鉄仮面のような顔のまま「紫焔というらしい」と告げてきた。
「紫焔、ねぇ」
どうせ偽名だ。
「紫焔か」
確かめるように再び呟く。妙に聞き慣れない響きである。目の色からしても、出生は国外なのだろう。どうせ親にでも捨てられ、売られたのだろう。そうすると疑問なのは、あの身のこなしだ。
田城は舌打った。馬車は真っ直ぐに宝生家の屋敷へ向かっている。
優が今日一日家を空けているのは承知済みだ。だからこそ、田城は己の用事を済ませた夕刻にわざわざ屋敷を訪ねようとしていた。
「あ?」
幻でも見たように田城は瞬いた。
馬車の窓から見えた人影が瞬く間に通り過ぎていった。馬に乗ったその人物に見覚えがある。
すれ違ったのは、あの男ではなかったか。あの男、ついに優のもとから逃亡を計ったのか。しかし、その後すぐに、まるであの男を追うように何人もの男たちが馬車の横を通り過ぎていった。
男たちは明らかに武装していた。尋常ではない事態になっているのではないか。田城は不穏な気配に眉を寄せる。
馬車はその後すぐに宝生家の屋敷に到着した。
下りていくと、その惨状が真っ先に目に入った。立ち込めるのは硝煙の匂いと、血の匂い。使用人の叫ぶ声が聞こえてくる。
田城は馬車の運転手にこの惨状を優まで伝えに行くように指示した。そして田城自身は馬を一頭引っ張り、制止する声を無視して馬に飛び乗る。
あの男が駆けて行った方向へ、田城も馬を走らせた。
二十.
元々、田城要は好奇心旺盛な人間である。だからこそ、あらゆる遊びに興じ、愉快な生き方をしてきた。
知らないことを新たに知っていく喜びは田城の心を驚くほど満たしてくれる。知識欲というものは存外、際限がないものだ。
まだ解明していないあの男の正体を、田城は知りたかった。頭の片隅で銀色の髪が揺れている。
好奇心だけではない何かを刺激されそうな気がして、田城は得体のしれないそれを頭を振ることで振り払った。
駆けて行った先で武装した人間が二人、右往左往している様子が目に入る。彼らは道の脇の傾斜になった先にある雑木林を見下ろしていた。必死な様子の男たちの傍で、一頭の馬が興奮して暴れている。
あれは宝生家の馬だ。田城は馬を走らせながら視線を下に落とす。地面にいくつか血痕が残っていた。
田城の接近に気づいた二人が、剣を構えようと動く。幸運なことに銃の弾は尽きていたのかもしれない。
男たちがこちらに殺意を向けるより先に田城は馬を飛び降り、刀剣を引き抜きながら加速する。銃でも剣でも構えさせる時間など、与えてやる気は微塵もない。鋭い刃で二人を斬り伏せた。
倒れた二人を足蹴にし、田城は舌打つ。犯人の衣服で血の付いた刃を拭い、鞘に納めた。
この二人は崖になった雑木林を確認しようとしていた。宝生家から逃げたあの男が乗っていたであろう馬は興奮状態で暴れている。そして、地面に散った血痕。導き出された答えに、田城は頭を掻く。
「下か」
もう生きていないかもしれない。おそらく、撃たれて落馬したのだ。
田城は渋々、雑木林の中に踏み入った。
傾斜の厳しい雑木林の中での探索は困難を極める。
田城は何度も舌打ちをしながら地面を必要以上に踏みしめた。落ち葉の中から折れた枝が飛び出していることがある。細かい枝は問題ないが、丈夫な枝をうっかり踏んでしまったら面倒だ。
そうして時間をかけて雑木林の中を移動していくと、丁度田城の目線の高さの枝に何かが引っかかっていることに気づいた。
それはロケットペンダントのようだった。あの男の落とし物だろうか。もしそうであれば、近くにいる可能性がある。
田城はロケットペンダントを手に取って蓋を開けた。中には赤みがかった茶髪の男が写っている。
「色気のねぇ写真」
悪態を吐いて、ペンダントをポケットに入れた。どうせなら美女の写真でも拝みたかったものである。文句を言っても始まらないので、田城は黙ることにしてさらに下へと足を進めた。
不意にがさりと、葉が揺れる音が聞こえてきた。刀剣に手をかけながら、一歩ずつ慎重に進む。油断すると落ち葉に足をとられて滑り落ちてしまいそうになる。
進んだ先で太い木の幹に引っかかるようにして男が倒れているのが見えた。探していた男は血を流しながら気を失っている。
「おい。死んでねぇか? 起きろ」
ムラサキではなく、名前は何と言ったか。田城は優の言葉を思い出す。優はこの男を何と呼んでいたのだろう。聞き慣れない響きの名前────
「──紫焔」
ピクリと、目の前の男が動いた。重そうな目蓋がゆるゆると持ち上げられていく。紫の瞳が揺れていた。意識が混濁しているように見える。
紫焔はどうやら肩を撃たれたようだった。出血が酷い。このまま放置すれば、失血によりあっさり命を落とすだろう。
「紫焔。死ぬ前に答えろ。テメェ、何者なんだよ?」
「勝手に、殺すな……」
ゴホ、と紫焔が咳き込む。起き上がった彼は、肩を押さえて田城を見返した。存外、意識ははっきりしているようだ。
「妙に落ち着き払ってんな。慣れてんのか?」
「そっちこそ、こんなところまで追いかけてきて。こういうことに慣れてるのか?」
「さぁな」
「……そもそも、どうして追いかけてきたんだ。あの時、すれ違った馬車に乗ってたんだよな?」
田城は閉口して視線を逸らした。好奇心に負けたからだと思うことにはしている。しかし、面と向かってどうしてと問われても、本当は自分が一番その理由を知りたい。
田城は誤魔化すように口を開いた。
「俺は見識を広めるために面白ぇと思ったことは何でもやってきたからな。警備兵に混ざって訓練も実戦も経験した。ちなみに医療の心得もあるぞ」
木の幹を支えにして背を預け、座ったままの紫焔の前に移動して膝を折る。血を流す肩口を指差し、田城は小さく嘲笑した。
「そのまま放っておくと、すぐにあの世だ」
指摘には脅す意図もあったが、紫焔の表情はたいして変化しなかった。対人でのやりとりに関して言えばこの男は慣れたものなのだろう。当然と言われれば当然だ。そうして命を繋いできたのだろうから。
田城は友人の顔を思い浮かべ、目の前の男の顔と重ねる。大きな溜息が口から零れ落ちた。
懐を探って手巾を取り出す。手持ちの清潔な布はこれくらいしかない。
肩を押さえる紫焔の手を外させ、傷口がよく見えるように衣服を片側のみを脱がせる。どうやら弾は貫通したらしい。傷は浅くないが、弾が上手く体を通り抜けてくれている。応急処置を施せばなんとか持ちこたえられるだろう。
手際よく処置を終え、田城は立ち上がって周囲を見渡した。兎にも角にも、この雑木林から抜け出し、まともに休息をとる必要がある。
「ありがとう」
下から届いた感謝の言葉に、田城は紫焔を見下ろした。こちらを見上げてくる紫紺の双眸には濁りがない。単純なのか、図太いのか。
紫焔は自分が先日田城に甚振られたことなど忘れたような目をしている。読めない男だ。
恨みを買うのも、好意を持たれるのも、田城は慣れている。お遊びの恋愛ごっこも、お遊びの友人ごっこも得意だ。軽薄な自分を理解するからこそ、それを利用して好きに生きている。しかし、わざわざ賊らしき連中を追いかけ、あまつさえ刀剣を抜いて斬り伏せてまでこんな男を助けてしまうとは。
この男が何者か知りたい。
それは、田城の中に根強く残る好奇心と知識欲だった。
「礼はたっぷりいただくさ。感謝したことを後悔するくらいにな」
「それは怖いな」
ゆっくり立ち上がった紫焔は、足場を慣らすように踏みしめて息を吐いた。身動きできないなどと泣き言を言うつもりはないらしい。
「ああ、でもいっこだけ」
田城は紫焔に一歩近づいて冷淡な声音を作る。
「優からは絶対に手を引いてもらうからな。テメェみたいな怪しいヤツにうろちょろされんのは迷惑だ」
吐き捨てて、もう一度周囲を見回す。下って来た雑木林を上るのが一番早いが、万が一追手がいれば戦闘は必至。手負いの紫焔は役に立たないだろう。多対一は田城の得意分野ではない。
近くの町まで雑木林を通って移動し、暫く身を隠す。
これが最も安全な道だろう。その体力が紫焔に残されているかどうかは不明だが。田城は紫焔の顔色を窺おうと振り返った。
予想していたよりも近くに移動していた紫焔が困ったような、嬉しいようななんとも形容しがたい不思議な顔で笑っている。
「何だよ」
「いや、友達思いだなぁと思って」
「はぁ? 馬鹿々々しい。友達思いなヤツは友達のオモチャを壊そうとしねぇよ」
相手を転がすための優しさを差し出すのは得意だ。しかし、それは世間が言うところの優しいの基準とは異なるだろう。友達思いなど、以ての外である。
「友情の示し方は、人それぞれだろ」
紫焔がとんでもなく寒いことを言って歩き出した。鳥肌が立って、田城は思わず自らの両腕を擦る。
「気色が悪いことを言うな」
ぞっとして喚くと、横を通り過ぎた紫焔がこちらを振り返った。はは、と笑った彼の砕けた表情を見て一瞬呆気にとられる。毒気を抜かれた気分だ。
しかし、優と違って田城は絆される気はない。この男にはいろいろなことを白状させる必要がある。
「雑木林を抜けて町へ出るぞ。そこにある良い宿を知ってる」
「分かった。あ、でも」
「歩けなくなったら置いていく」
「そうじゃなくて、俺と一緒に行動したら田城が危ないと思うんだよな」
田城は足を止めて紫焔をまじまじと睨んだ。
「次撃たれるのはアンタかもしれないだろ」
「あのなぁ……俺はさっき、崖の上で二人斬ってんだよ! すでにな! 今さら無関係ですなんか通るか。あんな頭悪そうな連中相手に」
「斬……、それは、取り返しがつかないんじゃ……」
「黙れもう口を開くな。頭が痛くなってきた」
早まった行動をしたのは確実だ。しかし、あの時追いかけていなければ今頃紫焔は敵に発見され、殺されていただろう。あるいは掴まって拉致されていたかもしれない。
「とにかく急げ。今の時季、ここらはあっという間に日が暮れる」
雑木林の間から見える空を仰ぐ。既に日は傾いている。完全に太陽が姿を消せば、暗闇が辺りを支配してしまう。ここに外灯はないのだ。そうなれば移動は難しくなる。
優に連絡をとるにも、紫焔を治療するにも、田城たちは何が何でも町へ出なければならなかった。




