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月華の紫石英  作者: あっとまあく
陽輪ノ国編
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第一章「陽輪ノ国から」拾壱

優の友人による強行で染めていた髪の色を落とされたムラサキ。ムラサキを身請けした優は、彼のことを知るために二人きりの場で質問をし始める。不安を抱えるムラサキの訴えを聞き入れ、優は屋敷の警備を増やすと約束した。しかし、警備を増やす前に宝生家の屋敷が襲撃される。

ようやく物語が動き出す回です。


以下、注意書きです。

・本作品はファンタジーであり、もし実在する人物や会社等と名前が同じであったり類似していても無関係です

・勝手につくった国の名前や文化等も出てきますが完全にフィクションです。現実にある国等は本作には出てきません

当然ながら現実のものではない、空想の話であり設定であり展開となっています。

どうぞよろしくお願いします。

※無断転載、無断使用、無断編集・修正・加筆、自作発言等全て禁止


十七.


 寝室に備え付けの浴室へ押しやられ、ムラサキは全身を洗い流した。体をしっかり温めてこいと優に言われた通り、時間をかけて入浴する。

 脱衣室も浴室も調度品はどこもかしこも綺麗に整えられ、磨かれていた。細部にまで行き渡った仕事ぶりに使用人たちの腕の良さと真面目さを感じられる。


「場違いだよなぁ」


 ムラサキはぽつりと呟く。綺麗で清潔なこの場と、優しい温もりをくれる優。浴室の壁にかけられた鏡に映る自分を見る。銀色の髪と紫紺の瞳。鎖骨下には焼鏝(やきごて)による刻印が肌に張り付くように存在していた。

 温かい宝生家の屋敷に自分の居場所など作ってはいけない。



 入浴を終えると、寝室で優が待っていた。仕事には戻らず、ムラサキへの追及を優先したようだ。待ち構えていた優を見てムラサキは緊張した。無意識に背筋を伸ばす。


田城(たしろ)に何をされた?」


 優が腰を下ろしていた寝台から立ち上がる。彼は脱衣室へと繋がる扉の前に立つムラサキのそばまで近づいて来た。


「……見た通り、染めていた髪をもとに戻された」


 ムラサキは視線を上にあげて頭を示す。

 目の前で立ち止まった優がこちらに手を伸ばした。彼の指がムラサキの額の端に触れ、生え際を撫でる。瞬間、ぴりついた痛みを感じて反射的に眉が動いた。


「この怪我は?」

「それは……」


 地面に叩きつけられたときにできたものだ。素直に話すべきか、誤魔化すべきか。一瞬の逡巡は、優には答えと同じだったらしい。答える前に「よく分かった」と重ねられ、ムラサキは完全に回答の機会を逃した。

 優の手がムラサキから離れ、一歩後退する。ムラサキから距離をとった彼は、こちらの全身を興味深そうに眺めた。真っ直ぐな視線がムラサキの髪で止まる。


「これが、ムラサキの本当の髪なんだな」 


 銀色の髪を持つ男が、優の瞳に映っていた。紛れもなく、これこそがムラサキの生まれ持った髪色だ。


「白髪みたいだろ」


 茶化して言うと、優が首を振った。


「月の色だ」


 穏やかな声で感想を伝えられた。きっと彼には何の含みもなく、本当に思ったままを口にしたのだろう。

 しかし、ムラサキは自分の中を巡る全身の血が急速に速度を上げて目まぐるしく流れていくように錯覚した。何度髪の色を染めようと、この色からは逃れられない。

 遠くへ行こうとも、自分は自分でしかないのだと突き付けられた気がした。


 ムラサキはきつく目蓋を閉じて、ゆっくり瞬きする。


「……夢想家(ロマンチスト)だな」

「初めて言われたな、それは」


 優に導かれ、ムラサキは寝台へと移動する。二人で横並びになって腰を下ろした。


「田城が言っていたことだが」


 頭の中で、田城要に指摘された言葉を思い出す。


 ────戦闘訓練を受けてるってことは知ってんのか?


 戦闘訓練なんて、大それたものではない。しかし、ムラサキが鍛錬を積んでいたのは事実だった。優の追及がいよいよ核心に迫ってきたことに、ムラサキは動揺を押し殺す。

 横目で優の顔を窺った。彼は真剣な表情でムラサキを見返してくる。


「ムラサキ……本当は、何という名前なんだ?」

「え?」

「本名だ」

「ああ……本名。本名か」


 どっと力が抜ける。そっちだったか。

 ムラサキは優の問いかけを胸の内で繰り返し、名前を思い出す。ムラサキにも商売用に名付けられたもの以外の別の呼び名はある。しかし、それは優が求める本名とは違う気がした。


「俺はムラサキだよ。この名前、気に入ってるんだ」

「本名は教えたくないか」

「そうじゃなくて。ないんだ」

「ない?」


 優を見返し、ムラサキは口を開く。


「親に名前をつけられなかった。いや……つけられていたとしても、俺はそれが何なのか知らないんだ」


 嘘ではない。ムラサキに本名はない。存在そのものが、生まれた時から無いものとされてきたようなものだ。


「そうか……」


 まるで悲劇的な身の上話を語る雰囲気になってしまっただろうか。ムラサキは暗くしてしまった空気をどうするか悩んだ。

 窓の外の景色が緩やかに変わっていく。夕焼けが庭を赤く染め上げた。赤色はムラサキの好きな色で、嫌いな色でもある。

 優は同情心を見せることもなく、いつも通りの雰囲気でムラサキに違う質問をした。


「なら、呼んでほしい名前はあるか?」

「呼んでほしい名前?」

「お前がムラサキと呼んでほしいなら、そうする。でも、もし他にあるなら知りたい」


 ムラサキという名前は気に入っている。しかし、特別に愛着のある名前ならあった。ムラサキは大事なものを広げるような気持ちで、ゆっくりその名を呟く。


紫焔(しえん)

「しえん」

「うん。知り合いが、つけてくれた名前なんだ」


 遠い昔の記憶だ。まだ、何者でもない子供だった頃のこと。否、今でもムラサキは結局何者にもなってはいないだろうか。

 あの頃から様々なことがあった。辛い過去でもある。それなのに、どうしてか思い出すとムラサキの心はじんわりと温かくなる。かけがえのない日々だった。


「もう一つ、聞きたい」


 優が立ち上がって、寝台脇の卓へ移動する。そこは優がムラサキにくれた収納空間だ。引き出しを開けて、優がその中からロケットペンダントを取り出した。

 ムラサキがずっと大事に持ち、麒雲館(きくもかん)を出た時も置いて来ずにここまで持って来たものだ。


「これは大事なものか?」

「……うん」


 それはムラサキが預かっている、大切なペンダントだった。

 優の指がロケットペンダントの蓋を開けた。そこには写真が飾られている。


「これは……家族か? それとも」


 赤みがかった茶髪の若い男。写真に写っているのは、今よりも若い頃の紅蓮である。

 写真を目の前に掲げられ、ムラサキは思わず口を噤んだ。目を逸らせない。沈黙と凝視で、優の顔が歪むのが見えた。何か言わなければ。何か────。


()()


 名を呼ばれて、ようやく写真から視線を外す。


 優に紫焔と呼ばれることで、ムラサキはとうとう「ムラサキ」という名を捨てて「紫焔」に戻った気がした。


「田城はお前を警戒してる。私がお前に入れあげて、盲目的になっていると心配しているんだろう」


 優はロケットペンダントの蓋を閉じて掌の中に隠すようにして握った。


「寝首を掻かれないか、慎重になれと」

「……俺が優の命を狙ってるなら、もう一緒には寝られないな」


 冗談とも本気ともつかないような調子で言ってのけると、優は気分を害した様子もなく鼻で笑った。


「お前がここにいるのは私が無理やり身請けしたからだ。寝首を掻くことが目的だったなら、最初から断ったりせずに身請け話を受けるのが筋だろう」

「まぁ……それはそうだけど」


 それに、と優は突然言い難そうな調子で口籠った。


「お前はここに来てから、いや。馬車の中からずっと私を怒っているだろう。寝首を掻くつもりならこんなに時間を置かず、すぐにでも掻いているに違いない。実際、機会はいくらでもあったはずだからな」


 さらりと言われてムラサキ────(いや)()()は息を止める。こちらが距離を計りかねていたことを優はしっかり気づいていたようだ。表に出していたつもりはないが、滲み出ていたのだろうか。

 優の言葉は間違っていない。騙し討ちのような形で宝生の屋敷に連れて来られた時から、紫焔の中に燻っているものがある。


「ごめん」

「どうして謝る。無理を通したのは私だ」

「無理を通したって思ってくれてるんだったら、俺を解放してくれないか」


 優の腕を掴んで、紫焔は縋るように言った。


「無茶を言ってるってことは分かってる。でも、このままだと危ないかもしれない。優や、屋敷の人たちに迷惑をかけたくないんだ」


 ただでさえ、今日この銀髪の状態で庭を歩いてしまったのだ。人の口に戸は立てられない。どこから噂が漏れて、誰に届くことになるか分からない。

 紫焔の震えそうな手を、優の手が包むように覆った。


「警備を増やそう。すぐにでも」

「優……」

「それから、私はもう紫焔の客じゃない。客に対するような態度はとらなくていい」


 紫焔と呼ばれる度に、蓋をして隠していた自分を取り戻していくような気がする。もう、ムラサキではいられない。

 優の手の中で自分の手を反転させ、彼の手を握り返す。


「髪を染め直すって話、忘れてないよな? 優」

「ああ、忘れてない。明日には届けてもらおう」


 優は目を細めて、穏やかな声で笑った。







十八.


 翌日、紫焔(しえん)は引き出しに仕舞い直されたロケットペンダントを取り出して首から下げた。寝室の壁掛け鏡を見るとそこで当たり前のように銀色の髪が揺れている。紫の双眸も変わらずそこにあった。

 この二つの色がこの国でどのように伝えられているのか、あるいは何一つ伝わっていないのか紫焔は知らなかった。間抜けなことに、一番大事な部分を紫焔は失念していたのだ。


 そもそも陽輪ノ国(ひわのくに)にまで情報が届いているのかどうか。真っ先に調べておくべきことだった。



 宝生家の屋敷には巨大な書庫があった。幸いなことに、優には屋敷内のどこでも自由に出入りして良いと言われていたので、紫焔は一人の時間を利用して今日は書庫に籠ることを決意する。

 屋敷の書庫は二階の奥にあった。中に入ると、少しカビ臭さを感じる。それでも保管されている書籍は埃もなく、綺麗に保たれていた。


 巨大な本棚の間を歩きながら、紫焔は背表紙に刻まれた題目を読んでいく。ほとんどが貿易に関する本だ。勉強熱心な優の性格を思わせる所蔵に紫焔は知らず知らずのうちに微笑んでいた。

 別の通路に移動した紫焔は、歴史書籍が並ぶ棚の前で立ち止まる。そこから何冊かを抜き取ってぱらぱらと中を確認した。


「国外の情報は……」


 これといってめぼしいものは書かれていない。紫焔はそれでも一冊一冊、ページを捲って読みふけった。時間が経つのも忘れて本の世界に没入する。


 陽輪ノ国以外の情報は、基本的に外へ開かれた他国の貿易事情に関するものだった。時折、その中に国外の略歴のような情報が折り込まれている。どの本を読んでも紫焔が危惧する情報は記載されていない。

 聡明な優や、知識の幅が広そうな田城が紫焔の髪と目の色を見ても見た目の奇異さ以外には反応しなかったのも頷ける。

 そもそもこの国にまで情報が届いていないのだ。紫焔はひとまずの安心を得て息を吐いた。




 紫焔が書庫に籠っているうちに気づけば日は傾き、赤く染まり始めた空が窓越しに見えた。そろそろ引き上げようと紫焔は重い腰を上げる。散らかしてしまった本を手に取り、一冊ずつ丁寧に元の位置に戻していく。

 使用人たちに余計な仕事を増やさないようにしなければ。快適な環境を常に与え続けてくれる彼らに、紫焔も何か恩返しできればと思う。そんな甘い考えを、地の果てに叩き落とすような轟音が吹き飛ばした。


 手にしていた本が足元にばらばらと落下していく。紫焔は身を翻して窓に張り付き、外を見た。しかし、書庫の窓からでは屋敷の入り口は見えない。焦る紫焔の耳に次いで聞こえてきたのは悲鳴だった。

 脇目も振らずに書庫から飛び出した紫焔は、転がるような勢いで廊下を走る。壁を背にして吹き抜けになった渡り廊下から慎重に階下を目視した。

 一階のホールには顔を隠して武装した人間がわらわらと集まっている。それは間違いなく、襲撃だった。


「ここに銀髪の男がいるだろう! 連れて来い!」


 鈍い銃声が轟く。辺りに血の匂いが漂っていた。屋敷の誰かが撃たれたのだ。

 紫焔は渡り廊下の窓を見つめた。鍵は簡単に開けられる。自分が通れる隙間分だけ窓を開け、紫焔はそこに身を滑り込ませるようにして外へ出た。

 窓の縁を掴んで落下を防ぎ、生け垣に向かって飛び降りる。着地した瞬間足からじんと痺れるような衝撃が体に伝わった。しかし、構っている暇はない。紫焔はすぐに地面を蹴って屋敷の正面へと駆けた。


 無惨にも破られた扉が目に入る。庭では警備員たちが意識を失って倒れていた。壊れた扉の前に立って、紫焔は声を張り上げた。


「こっちだ! 銀髪の男ならここにいる!」


 張り上げた声に反応して、襲撃犯たちが振り返る。五、六────七人だろうか。多い。襲撃犯たちは一斉に紫焔へと剣や銃口を向けた。しかし、撃ってこない。連中の狙いは紫焔の命ではなかった。

 命を奪うことが狙いではないとすれば、目的は誘拐だろうか。

 港での噂を広めた側の人間ではなく、それを聞きつけた賞金稼ぎかもしれない。なんにせよ、相手が何者なのかを分析している暇はなかった。


 紫焔は踵を返して走り出す。宝生家の屋敷にある厩から一頭の馬を連れ出し、馬上に飛び乗った。こちらへ駆けてくるいくつもの足音。ちゃんと紫焔を追いかけてきている。

 紫焔は振り返る間を惜しんで馬を走らせた。


「逃げたぞ!」


 襲撃犯の声が響く。紫焔は胸の内で「こちらへ来い」と叫びながらどんどん屋敷から遠ざかった。途中、一台の馬車とすれ違う。その馬車はどうやら宝生家の屋敷に向かっているようだった。それならば、きっとすぐに屋敷の異変に気付いてくれる。

 屋敷で負傷した人は何人程度いるのか。命は無事だろうか。もし、誰かが亡くなっていたら。最悪の事態だ。結局、紫焔はまた誰かを巻き込んでしまった。

 優に合わせる顔がない。もし誰かが亡くなっていたとしたら、その命は二度と取り戻せない。紫焔は奥歯を噛み締める。

 もっと早く。もっともっと早く行動していれば。



 後悔はいつだって先には立たない。

 己の愚かさと無力さは何歳になろうと紫焔を捕らえて離さないのだ。太刀打ちできないまま、紫焔は一人でも多くの襲撃犯を引き連れて屋敷から遠ざかることしかできなかった。




次回は優の友人・田城視点の話となります。

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