行列好きなコニッシュ爺さんの週末
今日は素晴らしい天気だ。週末のせいかどこの店も混んでいて、街中は活気に満ちている。爺さんはいつものように行列に並んだ。一時間ほどして自分の番が来た。
「やあ、今日も繁盛なさってますな」
「ええ、おかげさまで」
今日も、といっても爺さんがこの店に来るのは初めてだ。
「ところで、このノートにサインをお願いしてもよろしいかな?」
爺さんは注文もせずにノートを取り出し、そう言った。店員さんは戸惑っていた。
「はあ? サイン……ですか?」
「ああ、そうじゃとも」
「あの、パンのほうは?」
「もちろんいただくとも、ではこれをお願いしようかね」
「あ、ありがとうございます。5ドルになります」
「うむ、ちょうどある」
爺さんはポケットから札を取り出し店員さんに渡す。
「出来上がるまで少しお待ち下さいね」
「ふむ、それで、サインのほうをよろしいかね?」
「ええと……サインというのは?」
「ああ、わしがこの行列にちゃんと並んで、そしてここでちゃんとパンを買ったという証明になるサインじゃよ」
「それというのはハンコかなにかいるんですか?」
「いやいや、なんでも結構。わしは色んなとこの行列に並ぶのが趣味でな。並んだ店には、わしがちゃんと並んだという証明をしてもらうようにしておるんじゃ。これまでもいろんな人に書いてもらっておるんじゃが、ほら、こんな感じで」
爺さんが開いたノートにはスタンプやサインやらが書き込まれていた。
「す、すごいですね、これ全部おじいさんが並ばれたんですか?」
「もちろん、それが楽しみじゃからのう。今日の日付とこの店の名前と、並んだ時間は――1時間15分かな、それを書いてくれんかね? できればお姉さんのサイン付きで?」
爺さんはにこにこしながらそう言った。
「わかりました、ではここらへんでよろしいですか?」
「うむ、結構」
店員さんがノートに書き込んでいる間に、爺さんは後ろにいた青年と話し始めた。
「ふーん、爺さん、行列ってどんなとこ回ってんの?」
「ううん? 行列かね? なんでもじゃよ、人が並んでおったらパン屋でも握手会でもなんでもじゃ」
「へえ、並ぶだけで楽しいんすか?」
「もちろんじゃよ、きみだって活気がある街を歩いているだけでわくわくしてきたことはあるじゃろう?」
「ああ、たしかに、そう言われればなあ」
「そうじゃよ。だから行列を見ただけでわしはうずうずしてしまう。もしこれから戦争が起こって悲惨な目に会うとしても、行列があるならなんということはない気がしてくるんじゃよ。なによりも配給の列に並べるからのう」
「ふうん、そのときには僕ら葬列に並んでんじゃないんすか?」
「ははは、なにを上手いことを。それでもわしは結構じゃがね。そのときには死神に直筆のサインをしてもらうよ」
「んーっと、こんな感じでどうですか?」
書き終えた店員さんはなかなか満足そうな顔をしていた。
爺さんはノートを見た。
「おお、可愛らしい。これは猫かね?」
「ええ、ここらへんでよく見かけるので。あ、お待たせしました、できたてですよ」
「おお、ありがとう」
出来立てのパンからは香ばしい匂いが漂っていた。
「わざわざ老人の趣味に付き合わせてしまって悪かったね」
「いえいえ、ぜひまた来てください」
「うむ、ではまた来ようかね。じゃ、後ろも詰まっておるからおいとましよう」
「じゃあな、爺さん」と、青年。
「おすすめじゃよ、若いの」
「おれも暇になったらやってみますよ」
「うむ、それじゃあ失礼」
爺さんは歩き出した。行列はまだずっと続いていた。
パンの香ばしい匂いに耐えられず、爺さんは歩いている途中でかぶりついた。
「ほっほっほ、実にいい日じゃ。うむ、こりゃ美味い」
そのとき向こうの空で火花が散った。街の人たちはそれを見て口々に叫んだ。ミサイルだ! とか、花火だよ、とか。そしてサイレンのけたたましい音がして、緊急警報の知らせが街中に響き渡った。
店前にできていた長蛇の列はどこも崩れ去って、人々はあわてふためいた。
そんな危機的状況の最中にあっても、爺さんはのんびりベンチに座っていた。
おお! やっと、わしの人生が始まるぞ! と、一人、嬉々とした気持ちに満たされながらパンを食べていた。そしてパンを食べ終わって口を拭き、腹が一杯になった爺さんは、騒々しい街を眺めながら言った。
「今日はなんて良い日だ!」
こうして素晴らしい終末が始まった。