音楽が通貨になった世界
「ほーたーるの〜、ひーか〜り」
「音声認識しました。おかえりなさいませ」
男はロックのはずれたドアを開くと土足で部屋の中に入っていった。録音機と買い物袋をテーブルに置き、そのままソファーの上に倒れこむ。
ゴロリと横たわったまま雑に靴を脱ぎ捨てると、近くにあったリモコンに手を伸ばしテレビをつけた。
「ビートコインの株価が上昇、ね」
だがすぐに飽きたのかしばらくザッピングを繰り返すとテレビを消した。
スマホで時間を確認した男はほぼ習慣化しているメールの確認作業を行うと、突然チャイムが鳴った。
「宅配便でーす」
男は録音機を持って玄関に向かうと小さめな段ボール箱を抱えた配達員が現れた。
「着払いなんで四小節分の音声と、本人確認の生歌をお願いします」
「ぞーおさん、ぞーおさん、おーはなが長いのね」
「ありがとうございます!お支払いは生歌にしますか?録音払いにしますか?」
「楽曲払いは出来ますか?」
「もちろん出来ますよ。それではこちらに音を流し込んでください」
マネマネマネ、オールウェイズサネ、イナリッチメンズゥワ。
スマホからABBAのMoney, money, moneyを流して支払いを済ませた男は荷物を受け取ると中に戻っていった。
箱を開けると中には会社から支給されたマイクが入っていた。ドラえもん顔負けのジーンとするマイクと書かれた箱には今や誰も知らない者はいない国民的キャラクターの青い顔が描かれている。
男は大事そうに中身を取り出してテーブルの上の買い物袋の隣に置くと、日課となっている散歩に出かけた。
住宅街を抜けて駅がある中心街へ向かう。
だんだん騒がしくなっていく街の様子に何事かと野次馬根性丸出しで近づいていくと、どうやら駅前で大規模なデモが起きていることが分かった。
音楽通貨反対、歌下手にも人権を、というスローガンのもと、老若男女問わず様々な人々が道ゆく通行人達に声をかけている。
ロックコンサート中止しろ、騒音出すな、と言って騒ぐデモ参加者に対して冷たい目線を向けた男は彼らを無視して目的地となる商店街に向かった。
商店街は明るく賑わっていた。おつかいにきた子供が一曲歌いきる度に拍手がおこり、サービスだといって肉屋のコロッケや八百屋の新鮮なトマトを余分にもらっていた。
少し時間が経つと居酒屋などの看板に明かりがつき、夕焼けと相まってなんとも温かみのある景観を生み出していた。
昭和の歌謡曲、しっとりしたクラシック、最近のアイドルのニューシングルなどが商店街を進む度に入れ替わりに流れて、この通りの雰囲気に違った色合いを加えていく。それに伴い、人も入れ替わり少しずつ空気が変わっていった。
あっちではまだ日も暮れていないのに泥酔した酔っ払いが気持ちよさそうに演歌を歌って、払い過ぎですと叱られている。こっちでは仲睦まじく歩いていたカップルらしき男女二人がホテルに消えこんだかと思うと、逆に血相を変えた別の女の人がホテルから出てきて、
「あんたみたいな音痴はこっちからお断りよ!」
と怒って走り去っていた。
「待ってくれ、3年間歌い溜めして買った指輪なんだ」
と言いながら追いかけていく男の流す涙に同情しながら歩いていくとようやく街を抜けて静かな並木道へと差し掛かった。
音楽禁止と書かれた看板を尻目に歩いていくと、すれ違いざまに、
「すみません、今は音楽禁止区域にいてお支払出来ません」
と、頭をペコペコ下げながら電話越しに謝るサラリーマン風の男がいたり、学生服に身を包んだ少年少女が今日はどのアーティストの楽曲を使ってご飯を奢りあうか話しあっていた。
男は彼らの会話に耳を傾けながら並木道を通り過ぎる。すると、今度は脇道に寝そべっている初老の男性を見つけた。
「どうか歌を恵んでくれませんか?」
初老の男性は地面に頭をこすりつけながらそう書かれた段ボール箱を男に向けた。どうやら声が出せないようで、首に汚らしい包帯を巻いている。
声帯を売るほど何かに切羽詰まっていたのかあるいは。
男は考えるのをやめると、初老の男性の傍らにある録音機に歌を吹き込んだ。
シューベルトの歌曲、音楽に寄せてを歌いきった男。それを最後まで聞いた初老の男性は涙を浮かべながら男の手を取った。何度も何度も頭を下げて感謝を伝えている。やがて疲れたのか初老の男性は横になると、大事そうに録音機を抱えた。
男はそっとその場を離れると鼻歌で蛍の光を歌いながら暗くなっていく夜の街を帰っていった。