結婚式前⑤~クロノスと先生~
読んでいただいてありがとうございます。クロノス??というよりも先生の存在感が……!
窓の外を見るとぽつりぽつりと雨が降ってきていた。
クロノスは母となったアリアが鉱山の方に行くと言っていたのを思い出して、大丈夫なのだろうかと不安になった。以前エデルが山で大雨が降ると崖崩れが起こることがあって危険だと言っていた。
「ルドルフ先生、ハルテ鉱山とはどのようなところなのですか?」
「ハルテ鉱山?ああ、アリアが今いる場所のことだね」
クロノスの教師として主に一族や帝国の歴史を教えてくれている先生は、アリアの叔父に当たる人物で、クロノスにとっても大叔父という立場になる人だった。若い頃は帝都エスカラの学校で教鞭を取り、辺境に戻ってきてからはこうして一族の者にその歴史を伝える立場にある男性だった。
「あそこは帝国が出来る以前より我が国の主要な宝石鉱山でね。鉱山を巡って過去に何度も戦争が起きているんだ。元々、ロードナイト家はあの鉱山を発掘した一族で、その警備の為に組織した武装集団が辺境軍となり、いつの間にかそれが大きくなって国となった。そして隣国のトワイライト王国と合併して出来たのがイールシャハル帝国だ」
ルドルフが我が国というのは辺境伯家の元となったロードナイト王国のことだ。現在の辺境伯家はロードナイト王国の王家に当たるので、これが皇帝と辺境伯が同等と言われる所以となっている。
「2つの王家はあくまでも対等。ロードナイトが辺境の王として武力を以て魔獣や他国の脅威から帝国を守り、トワイライトが表の王として国全体の政を司る。それが古の約定なのだが、最近の若い者は帝都エスカラこそが全てと勘違いしている者が多いな」
政の中心がエスカラに集中しているので、長年、あの地で暮らしている貴族たちの中には辺境を見下している者も多い。なぜアリアが辺境の女帝と呼ばれているのか、その歴史を知ろうともしない。そして辺境伯家は皇帝に頭を垂れるべきだと考えている者も多い。
愚かだ。辺境伯が皇帝に頭を下げたことなどない。皇帝と辺境伯が同時に公式行事に出る時、辺境伯が座る場所は皇帝の隣に置かれている玉座。
王妃の為の席だと勘違いしている者が多いが、エスカラの城にある2つの玉座は2人の王の為の席だ。
とは言え、長年、辺境伯は皇帝と一緒に公式行事に出たことがないので、密かに空の玉座と呼ばれている。さらにいつの間にか、あの玉座に座ることが出来る者こそ真の王妃だ、などという噂がたち、歴代の王妃が何とかしてあの玉座に座ろうと皇帝にすがったらしい。さすがに皇帝ともなれば玉座の意味を知っているので誰にも許可を出したことはない。王妃教育の中でなぜ皇妃ではなく王妃と呼ばれるのか習わないらしい。そんな部分も中央の横暴さと言ったところか。
「ハルテ鉱山自体は特に危険な魔獣がいるわけではなくて、昔からの採掘であちこち穴だらけになっている以外は安全な山だよ。麓の町は産出した宝石を求める商人や宝石職人たちで賑わっているから機会があれば一度訪れてみるといいよ」
「穴だらけになっているというハルテ鉱山は雨で崩れたりしないのですか?」
「ああ、そうか。アリアを心配していたんだね。大丈夫だよ。あそこは宝石鉱山だけあって地盤がしっかりしているからね。この程度の雨ではビクともしないよ」
優しい子だ。本当にアレの息子とは思えない。元々の性格もあるのかもしれないが、この1年ずっと一緒に暮らしていたエデルの影響もあるのだろう。
エデルという青年も不思議な青年だ。ずっと旅をしていただけあって本では学べない実体験による知識が豊富なのでしゃべっていて飽きない。そして何というか……周囲の事が良く見え過ぎている。時には己さえも盤上の駒のように見ている感じを受けた。物事を円滑に進める為ならば今度の結婚式のように平気で女装さえもする。
アリアとクロノスが彼の楔になれば良いのだが。
ルドルフは小さくため息を吐いた。
今考えても仕方のないことだ。
気を取り直してクロノスにハルテ鉱山の歴史について語った。
「現在皇室が所有している王冠やネックレス等の最高級の物はハルテ鉱山で産出された物が多い。どの家もここが欲しくてしょうがないのだが、辺境伯が守っているので誰も手出しが出来ないんだよ。そうそう、過去の皇帝の中には難癖を付けてハルテ鉱山だけ寄こせとか言ってきた者もいたが、すぐに皇帝の地位を追われてどこかに幽閉されたという記録が残っているね」
……どこのおうちの仕業かはっきりと理解した。さすがは辺境伯家。売られたケンカは倍以上のお値段で買う主義らしい。
僕もこれに慣れなくちゃいけないんだろうか。
ほんの少しだけー未来において魔王と呼ばれることになる少年はーびくついた。
辺境伯家を守る為、自分にそんなことが出来るようになるのだろうか。
「クロノス、辺境が全てではないが、君はいずれこの地を治める王になる身だ。歴代の王たちは誰もが迷いながらもその時の最良の選択だと信じてこの辺境の地を導いてきた。アリアだって色々と悩みながら王で有り続けているんだよ。まぁ、アリアみたいに即断即決しろとは言わないけれど、時には短い時間で判断を下さないといけない時もある。その決断の為にも知識は重要だからね。色々なことをしっかりと学んで体験することだ」
「はい、先生。あの、お……おか、お母様、も先生が教えられたのですか?」
よし、他の人相手でもアリアのことをお母様と呼べた。アリア本人にはハルテ鉱山に行く前に呼ぶ事に(※すごく小声で)成功したが、まだ他の人相手にそう呼ぶのは照れが出る。でも一度こうして呼べたのだからアリアが帰ってきた時にはもっと堂々と呼べる、気がする。
「いや、私はその頃は帝都エスカラにいたからアリアには教えていない。恐らくアリアの先生は当時の辺境伯だろう」
「先生は僕の大叔父に当たるんですよね?血縁関係が良く分からないのですが……」
アリアとクロノスの母は血が繋がっていなくて、クロノスの実父はアリアの従弟に当たる。ルドルフはアリアとクロノスの実父の親の兄弟になるのだろうが、どう繋がっているのかさっぱり分からない。
「そうだな、次回、詳しい家系図は持って来るとして、辺境伯家の直系の血を継いでいたのは、アリアの母とその妹で君の祖母に当たる女性。それから末っ子の私の3人だ」
その姿で末っ子とか言われても、何か可愛くない。
「姉2人と私は少し年齢が離れていて母親も違う。ああ、誤解のないように言っておくが、私の母は分家の人間で、姉を産んだ後に体調を崩し、もう子供を望めなくなった正妻の方の望みで父のもとにいったらしい。私が生まれた時は正妻の方も大変喜ばれて、私はあの方の元で姉たちと一緒にいたんだ。それで上の姉が婿を取って家を継ぐ予定だったのだが、アリアを産んでしばらく経った頃に病気で亡くなられたんだ。だから辺境伯の地位は父から直接、孫のアリアへと渡った」
当時ルドルフはエスカラにいて、手紙などで辺境の様子を知るだけだったが、皇帝から押しつけられた姉の夫のクズっぷりに何度か皇帝に抗議しに行ったものだ。一時期本気で皇帝は辺境伯家を潰したいのかと思ったほどだったが、エスカラにいた時は真面目だけが取り柄のような男だったらしく、はっちゃけたのは辺境に行ってからだったらしい。どうも辺境伯家に婿に行っても辺境伯の名を名乗れるわけでもなく、実権も握れずに何もかも己の思い通りにならないことが分かってから愛人を囲うようになったらしい。
皇帝の横やりが入らなければ分家の中から適当な夫を見繕う気でいた上の姉は、夫に実務能力を求めていなかった。軍人だろうが文官だろうが何でも良くて、夫に対して「心も能力もいらないから子供さえ作ってくれれば好きにすれば良い」と言い切った姉にも問題はあったと思う。
「君の祖母はまだご健在だからその内、会いにいくといいよ」
「先生の姉君ですよね?先生は会いに行かないのですか?」
「……歳の離れた姉2人を持つ弟の心は複雑なのだよ」
仕事で忙しかった父母に代わってルドルフを育ててくれたのは2人の姉だ。なので未だに姉の前だと背筋を伸ばさないと怒られる。この歳で怒られるとかイヤだ。
「それよりもようやくアリアのことをお母様と呼べるようになったのだね」
これ以上話をしていると墓穴を掘りそうだったので話題を変えた。
今までアリアのことを「アリア様」と呼んでいたクロノスがようやく「お母様」と呼んだ。
「は、はい。お母様は僕のことを捨てない、ってようやく理解出来ましたから」
「そう言えば君の実母はまともに家にいなかったらしいね」
「はい。エデじゃなくて、お父様が一緒にいてくれたので最近は寂しくなかったのですが、あの、えっとお母さんはよくいなくなっていたので」
エデルからも話は聞いていた。クロノスはいつの間にかいなくなる実母しか知らなかったので、「母」という存在はすぐに自分をおいて行方不明になる人だという認識が出来上がっていた。だからアリアも「母」と呼んでしまえばいなくなる人だと思って今まで「お母様」と呼べていなかった。だがいつも帰ってくると声をかけてくれるアリアにようやくこの人はいなくならないんだ、という理解が出来た。心が納得したからこそ「お母様」と呼べるようになったのだ。
「アリアも喜んでいるだろう。君の母親はアリアただ1人だ。そのことを忘れないようにね」
「はい、先生」
クロと呼ばれていた子供はもういない。ここにいるのはクロノス・ロードナイトというアリアの息子だ。
「先生、僕にも弟か妹が出来ますか?」
「いいかい、クロノス。それこそ神のみぞ知る、だよ。そのことは何も言わない方がいい」
クロノスが辺境伯家の血を継いでいて良かった。
今のところ、クロノスに弟か妹が出来る確率は限りなく低かった。