新婚旅行に行こう③~変な男を引っかけたな~
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砂漠の国の第三王子イスハークが急に立ち上がり、踊り子や楽器を持っている者たちに近付いて行くまでの間、アリアの心は穏やかだった。
強いて言うなら、早く終わって帰りたい、エデルが心配だ、くらいのことを思っていた。
イスハークが行く方向に何気なく視線をやり、そこに部屋で待っているはずの夫の姿を見つけるまでは。
そして、イスハークが、何故かこの場に竪琴を持って奏者として参加しようとしていたエデルに「美しい人」と言った瞬間に、アリアの心は一瞬で荒れ狂った。
「……何故、ここにいるのだ?」
荒れ狂う心を、ほんの少しだけ意識して口角を上げて笑顔を作ることで、アリアは耐えた。
そうでなければ、すぐに駆け寄ってイスハークに剣先を向けてしまいそうだ。
イスハークの向かった先にエデルの姿を確認したアリアの護衛も、驚いて声を上げそうになった口を自らの手で塞いだ。
「……エ、エデル様、ですよね?え?どうして……?」
アリアの視線を追った護衛が、驚愕して小さく呟いた。
馬車酔いで寝ているはずのエデルが、何故か宴の場にいて、竪琴を持っているということは、何かを演奏しようとしている。
「ふふ、私の夫は、目を離すとすぐこれだ。いい加減、男をたらし込むのは止めろと言いたいな」
いやー、エデル様ー、すぐにアリア様のところに戻ってきてご機嫌取ってー。じゃないと、エデル様、明日、起き上がれなくても知りませんよ!一日中、ベッドの上で倒れてたって、誰も助けらんないですから!何なら明日、会えるかどうかも分かりません。アリア様に監禁されたって知りませんからね。今回は、どんな理由があろうともエデル様が悪いです!
アリアの何だか凄みを増した笑みにだらだらと汗が吹き出した護衛の心の叫びも空しく、イスハークがさらにエデルに近寄った。
そしてあろうことか、エデルの手を取り、その指先に口づけた。
「あ……」
思わず声が漏れた護衛は、恐る恐る隣のアリアを見た。
……エデル様、残念ながらエデル様の清いお身体(?)はここまでかもしれません。
アリアの、未だかつて無いほどの怖い笑顔を見た護衛は、旅の日程変更に思いを馳せた。
というか、エデル様、マジで何してんの……?
恐怖が一周して冷静になった護衛は、改めてエデルの方をしっかりと見た。
いかにも砂漠の男らしさに溢れたイスハークと、北方の生まれを彷彿とさせるブルーグレーの髪の儚い外見の麗人。
それだけで、とても絵になる。
実際、周囲の、主に若い女性たちがざわついている。
エデルの不安そうに怯える目が余計にイスハークの男らしさを強調して、物語の中にある姫君をさらって来た傲慢な君主のようだ。
……そのお姫様の奥方が、隣で今にも剣を抜きそうな雰囲気を醸し出しているが、さすがにここではマズイので、もう少し我慢してください。
「美しい人、あなたの名前は?」
「……エ、エデル、です」
声が引きつって、ちょっと上ずった。
こうなると、エデル自身も声で男女の判別をされるのは不可能だと分かっている。
自分の声が、男性にしてはちょっと高めで甘めの声であることは自覚している。
今まで散々、声だけで間違われたこともあるのだ。
旅の一座のお姉さんたちにも、しっかり注意を受けてきたので、さすがにそれは自覚した。
男らしい野太い声だったらよかったのにねー、と助けてくれたお姉さんに言われたこともある。
「エデルか。美しい名前だな。俺は砂漠の国フールームの第三王子だ。ここには国の関係で来たのだが、あなたのような美しい人に出会えたのは幸運だな」
フールームの第三王子って、今夜の宴の中心人物じゃなかったっけ?
えっと、結婚式に来てくれたのが確か第一王子で、その同母の弟、だっけ?
結婚式の事前知識で色々と叩き込まれた中に、フールームのこともあった。
フールームは、王が何人もの妻を娶り、王位を巡って常に争いが耐えない国だが、今の王太子は第一王妃から生まれた第一王子で、商業関係を一手に担っているのが同母の弟の第三王子。
砂漠の国ならではの珍しい品物も扱っているので、出来れば仲良くしたい国だと教わった。
……と、言うことは、下手に動けないし、助けも呼べない。
一応、これでも辺境伯の夫。
妻が仲良くやっていきたいと思っている国の王子を邪険には扱えない。
「えっと、ありがとうございます?王子殿下」
「イスハークと呼んでくれ」
そう言って、イスハークはエデルの指先に口づけた。
「あ、う、え」
言葉も出せずに、急いで捕まれた手を引っ込めようとしたのだが、イスハークの力が思った以上に強かった。
「あ、あの、手を離してください。こ、これから、演奏しない、と」
「あぁ、そうか。すまなかったな。エデルは竪琴を弾くのか」
「はい、これから彼女、タルーシャが踊るので、演奏をする約束をしているので」
「そうか。なら、すぐ傍で聞いていてもいいか?」
「はえ?」
そう言うと、イスハークはさっさとエデルの隣に座った。
いつの間にか彼のためのイスが置かれ、イスハークの後ろに同じ様な砂漠の国の衣装を着た男性が立っていた。
「エ、エデル?」
タルーシャが恐る恐る声をかけてきたので、エデルは、大丈夫だよ、と言って竪琴を構えた。
だって、ここで上手くやれば、一座が砂漠での公演チャンスを手にすることが出来るかもしれないし。
何だか怖くて見られなかった貴賓席の方をチラッと見ると、彼の妻が笑顔でこっちを見ていた。
その後ろで見知った護衛が、諦めろという顔をしている。
ですよねー。だって、笑顔のアリアさんが何だか怖いしー。
いや、だって、知り合いに頼まれて演奏するだけで、こんな怖い人が傍に来るなんて思ってもいなかったし。アリアさんをちょっと見たかっただけなんです。
クロノス、お父さんはお母さんを怒らせたかもしれません。
お父さんがいなくても、お祖母様とかにちゃんと可愛がってもらうんだよ。
そんな悲壮感を身に纏ったエデルの姿は、余計に何だか艶めかしいというか、庇護欲をそそるというか、隣に居座った男の心を鷲掴みするには十分な威力だったらしい。
突然、顎をクイっとやられて、エデルは真正面からイスハークと目を合わせられた。
あ、この人の瞳は綺麗な黒なんだ。アリアさんの青紫が夜明けなら、この人は真夜中の王様だねー。
「どうした?何か心配事でもあるのか?」
この後、無事に帰れたら奥様からのお仕置きが怖いです。
じゃなくて、近いって。
「ちょ、ちょっと緊張しちゃって、もう少し離れてもらってもいいですか?」
この顔(異国の男前)とあの顔(笑顔の奥様)に見られながらの演奏って、けっこう地獄。
とりあえず、この場を何とか乗り切ろうと、エデルは竪琴を弾き始めた。
まさかその竪琴の音色で、ますます異国の王子がエデルのことを気に入るなんて思ってもいなかったのだった。
エデルさん……




