新しい日④
「それで新婚旅行だが、アゲートに行こうと思っているのだが、どうだ?」
「アゲートですか?芸術都市、でしたっけ?」
「そうだ。あそこには少し変わった楽器も保管されている。吟遊詩人のお前には、ぴったりな場所だろう」
芸術都市アゲート。
文字通り、芸術に関する物が揃っている場所だ。
画家や音楽家はもちろん、数多くの職人が住んでいる町でもある。
アゲートに住んでいる者たちは、各分野のエキスパートだが、個人のこだわりがすごい者が多い。
たとえば、剣一本にしても、いかにスパッと切れるかを極めようとしている者もいれば、その刀身に剣の機能を失わせず、いかに美しい紋様を彫るかということを追求している者もいる。
実用性と観賞用のギリギリのせめぎ合いのような物を作っている者もいる。
何を以て芸術とするかは、人それぞれというやつなのだろう。
アゲートでは、己の感性や価値観が第一なのだ。
「面白い場所だぞ。私も何度か行ったことがあるが、なかなか混沌としていたな」
「何か、楽しそうな場所ですね」
「行く度に都市の風景が変わっていたな。建築家が変な建物を建てて、道も変な風に繋げていたりするから、一度はぐれたら慣れていない者だと確実に迷子になる場所だ。アゲートに行ったら、私の傍から離れるな」
「了解です」
んー、お父さんってけっこうふらふらするタイプなんだよなぁ。まぁ、お母様に引き戻されるだけか。
両親の甘過ぎな会話を聞きながら、クロノスは父と二人旅をしていた時のことを思い出していた。
父は、初めて来た場所だと、あちらこちらにふらふらと寄って行く習性がある。
お店の人に人なつっこい笑顔であれやこれやを聞いて、お土産までもらってくることもあった。
時には、男性の店主が父のことを同性だと気付かずに、一目惚れからのプロポーズ騒動もあった。
母に伝えておいた方がいいかな、と思ってそっちを見たら、目が合った母が分かっているとばかりに小さく頷いたので、そのままスルーした。
代わりにそろそろ誰かが本格的に砂を吐きそうな雰囲気なので、両親の会話を終了させることにした。
「お母様、お父さん、アゲートのお土産を楽しみにしていますね」
「え?クロノスは行かないの?」
「お父さん、新婚旅行ですよ?新婚夫婦で行くものでしょう?お母様と二人で楽しんできてください。僕はその間に、大お祖母様やお祖母様に色々と教えてもらいますから」
「遠慮などしなくていいのだぞ?クロノス」
「お母様、普段お忙しいお母様が、せっかくお父さんと二人で大手を振っていける旅行なんです。僕のことなど気にせずに、ぜひ二人で楽しんできてください」
新婚旅行と言いながら、クロノスも連れていくつもりだったらしいアリアに断りを入れる。
この朝食の場だけで十分、新婚夫婦の甘々さは実感出来た。
そんな夫婦の旅行について行こうと思う度胸は、クロノスにはなかった。
だって、絶対この雰囲気のままだと思うもん。
この甘々な両親の姿に間近で見ながら耐えろと?
砂吐くよ?
もじもじしながら逃げ出すよ?僕が。
二人の新婚旅行についていく使用人には、同情するしかない。
クロノスはこうやって断ることが出来るが、それが出来ずに直接この二人のこの雰囲気を味わう使用人たちは、無事に生きて帰って来られるのだろうか?
そんな風に思いながら、クロノスはきっぱりと同行を断ったのだった。
「ハンカチよし、ドレスよし、普段着もよし」
朝食後、急いで旅行の支度をする。
動きやすい普段着と、ドレス、男性用の正装は……いらないか。
一応、エデルにも男性用の正装は用意されているが、これを着る機会は訪れない気がしている。
皇帝陛下の前でだって、ドレスでいけそうだもんなぁ。
「あとは、竪琴だけ持っていくか」
エデルは楽器が置いてある部屋に行くと、愛用の竪琴を手に取った。
旅の相棒なので、これは手元に置いておきたい。
幼い頃からの相棒であるこの竪琴は、一座の長からもらったものだ。
長曰く、作られたのはけっこう昔の年代物の竪琴なのだが、どうせ壁に飾ってあるだけならよこせと言って、正式にどっかの貴族からぶんどってきた代物、らしい。
どこの誰からぶんどって来たのか知らないが、今まで一度も返せとか言われたことがないので、エデルはその辺は触れずにいた。
部屋から出て竪琴を片手に歩いていると、向こう側からテレサとなぜか帝国の宰相であるコーリーが一緒にやってきた。
ここは領主一家の私的な部屋が多い場所なので、祖母であるテレサはともかく、コーリーがいるのは珍しいと思っていたら、エデルに気が付いたテレサに微笑まれた。
「エデル、それは……竪琴?」
「はい、テレサ様、あのアリアさんと一緒に新婚旅行に行くので、この子も一緒にと思いまして。この子は、俺が旅に出る時は必ず一緒にいたので、連れていきたくて」
「良いのではないですか?吟遊詩人にとっては大切な商売道具ですから。……良い竪琴ね。少し見せてもらえないかしら?」
「どうぞ。昔、一座の長がどっかの貴族からぶんど、じゃなくて、いただいた物らしくて、派手ではないですけどお気に入りなんです」
テレサはエデルから竪琴を受け取ると、刻まれた装飾などをじっくりと見た。
そして何より、隣にいたコーリーがそっと一歩下がったのを、見逃さなかった。
「ありがとう。あなたがその竪琴を大切に使えば、あなたの吟遊詩人としての魂は、きっとそこに宿るわ。これからも大切になさい」
「はい。俺にとってこの子は、最高の竪琴です。使いやすし、俺の好きな音も出してくれるので」
にこにこと嬉しそうに竪琴について語るエデルを見て、テレサはエデルはこの竪琴を大切に使い続けてくれるだろうと思った。
エデルが荷造りのために部屋に戻ると言っていなくなった後、テレサはコーリーを睨み付けた。
「わたくし、あの竪琴を知っているわよ。あれ、お爺様が使っていらした竪琴よね?お母様が大切にされてたし、何ならわたくし、あの竪琴を使っていたわ。わたくしが嫁いでから、王宮のどこかの部屋に飾ってあるって聞いていたけれど?」
王宮で厳重に管理されていたはずの竪琴が、なぜここにある?
盗まれた、なんて、愚かな言い訳は聞きたくない。
「あー、その昔、王家にちょっとだけ関わりのあるとある劇団の長が乗り込んできて、ぶんどって、じゃなくて、色々あって正式に皇帝陛下から贈られました」
少々苦しい言い訳に聞こえるだが、言い訳というよりは事実なのでしょうがない。
「あの竪琴が派手派手しくなっていなくて良かったわ。由緒あるし、見る者が見ればその価値に気が付くだろうけど、今のところはそんな気配もないし」
けれど、祖父の形見が流出した経緯は語ってもらう。
鋭いテレサの視線は、間違いなくコーリーに突き刺さっていた。
そしてそれを回避する方法を、コーリーは自力で絞り出せなかった。




