ようやく結婚式③
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一人で入ってきた先ほどとは違って、聖堂を出る時、エデルはアリアに手を引かれていた。
重なった手からくる温もりに、エデルは内心で安心しきってほっとしていた。
この手がエデルを守ってくれる。
エデルから手を離すつもりはないので、万が一この手が離れたら、それはアリアがエデルを必要なしと判断した時だ。
そうしたら、また一人で旅に出るだけでいいはずなのだが、この温もりを知ってしまった今、エデルはもう一人には戻れそうになかった。
アリアさんに嫌われて出て行けって言われたら、どうしよう?
……その時点でもう壊れてそうだよなぁ、俺。
潔く死ぬ!のは怖いから、領地の片隅にひっそり置いてもらおうかな。
それで、アリアさんとクロノスを木の陰からそっと見守ろう。
結婚式の当日にそんな風に考えて現実逃避していたとバレたら、それこそアリアに監禁されてもおかしくなかったが、幸い徹底的に指導された笑顔と侍女さんたちに絶対にこするなと言われたメイクのおかげで、バレずに済んだ。
何年か後に、うっかり口を滑らせた結果、「身も心も愛されて満たされている今ならば、そんな余計なことは考えないだろう。それに私の愛がしっかり伝わっていなかったようだしな」、と妻に言われて結婚式のやり直しを要求され、父の何度目かのうっかりに息子が呆れることになるのだが、この時はそんなことになるとは思ってもいなかったので、アリアの隣で見当違いの未来の心配をしていた。
「……エデル、大丈夫か?もう少しで終わるから」
考え事をしていたエデルの顔色を見て、アリアが小さく心配そうな声でエデルに言った。
「大丈夫ですよ、アリアさん。アリアさんこそ、大丈夫ですか?」
「私は問題ないよ。これくらい慣れている」
「俺も大丈夫ですよ。舞台に立っていた時は、もっと長時間、色々とやってましたから」
新郎新婦がこそこそと会話している姿は、参列者に大変仲が良い夫婦という印象を付けた。
辺境伯が夫を溺愛している様子が、誰の目にもよく理解出来る光景だった。
誰もがこの城に着いてから城の者たちに聞いた夫婦の話が、全て事実だったということが確認された瞬間だった。
辺境伯の弱点は、間違いなくこの新婚の夫だ。
だが、夫をどうにかしようとすると、お姫様を守る騎士(妻の辺境伯)をどうにかしないといけないので、弱点の前にターゲットが立ちはだかるという何とも言えない状況が生み出される。
それに、王都からなぜか国王の代理として宰相が出席していた。
つまりこの結婚はトワイライトの王とロードナイトの王、二人の王の公認というやつだ。
一方が当事者なのは置いておいても、自分が公認した結婚にケチを付けられたら、皇帝だって面白くないだろう。
エデルに手を出すことは、文字通り、命がけのものとなる。
ロードナイトの王が周囲に向ける艶やかな微笑みが、その全てを物語っている。
すなわち、夫に手を出すなら全面戦争だ、という姿勢だ。
参列者の内半分くらいは、この時点でエデルに手を出すのを諦めた。
ラファエロだけはこの夫婦の真の関係を知っていたので、本を活用しろ、そして辺境伯に手を出せ、というちょっと変わったエールを心の中で送っておいた。
当然、ラファエロがエデルに例の本を送ってから今までの間、エデルがアリアに全く手を出せていないことぐらい分かっている。
そして宰相コーリーの隣では、絵描きの青年がひっきりなしにペンを走らせてスケッチをしていた。
今回連れてきた彼は、王宮画家の中でも、若く絵の才能がえげつない、と言われている人物だ。
特に得意なのは人物画で、その細部まで捕らえた正確な描写は人物の内面まで描き出す、とも言われているくらいだった。
皇帝陛下ご所望の、結婚式のエデルの様子の絵を描くために、わざわざここまで連れてきたのだ。
すさまじい早さでどんどん描き上げていっているが、辺境伯の姿はあまりいらないと思う。
皇帝陛下が欲しいのは、花婿の姿だ。
花嫁の方の絵姿を見たところで、「ケッ!」と悪態をついて終わりだろう。
彼にとっては、可愛い息子を連れ去る悪女でしかない。
ただ悪女が本当に息子のことを大切にして溺愛しているので、仕方なく許したに過ぎない。
息子がぽやっとした天然なので、通じているようで通じていない奥方の想いを知ってゲラゲラ笑っているちょい悪親父だ。
そんなちょい悪親父のために、テレサの詰問に精神的に疲労させられ、こんなことになるんだったら、あの時エデルを王都に連れてくればよかった、と何度も後悔させられた。
……この中の何人が気が付いただろう。エデルが皇帝陛下にそっくりだと言うことに。
そんな猜疑心が過ぎった瞬間に、エデルと目が合い、エデルが宰相に向かってにっこり微笑んだ。
……あ、これ、まず気付かれないわ。
あの年中不機嫌全開で常にしかめっ面の皇帝と、ウエディングドレス姿で男装の辺境伯の隣ににこやかに微笑んで立つ花婿に血の繋がりがあるなんて、誰が思うだろう。
それに、エデルの髪の毛が北方の国に多いブルーグレーだったのも助かった。
顔は完全に母親似なのに、そこが違ってくれていたおかげで、ぱっと見では分からない。
あの髪色は、父親から受け継いだものだ。
皇帝は息子と言ってはいるが、正確には違う。
皇帝の妹、それがエデルの母親だ。
今、王宮で密かに流れている噂。
皇帝陛下が先王の血を引いていないのではないか。
王太子だった時、病で三年ほど空気の良い離宮に療養に行った時に、よく似た誰かと密かに入れ替わったのではないか。だから、帰ってきた時、印象が変わったのではないか。
そんな噂が広まっていることをコーリーは知っていた。だが、当の本人が皮肉な噂を笑って放置しているので、コーリーもそのままにしていた。
あれは、半分当たりで、半分外れだ。
どこをどう調べたところで、それこそ神に聞いたって、今の皇帝は先王の子供で間違いはない。
……そして、亡くなった王太子も。
離宮で亡くなった王太子、今の皇帝、そしてエデルの母親。
双子でも後継者問題でややこしくなるのに、まさかの三つ子に当時の皇帝が下した決断は、一人を残し、残りを密かに外に出すことだった。
一番最初に生まれた王子を残し、二番目の王子を当時出入りしていた旅の一座に預け、三番目の王女を北方の貴族の家に預けた。
三つ子は、交わることなくそれぞれの人生を生きて、出会うことなどなかったはずだった。
預けられた先で何があったのかは知らないが、旅の一座の座長をしていた二番目の兄に助けられた王女は子供を生み、そして兄に幼い息子を託して亡くなった。
一度だけ聞いたことがある。
二番目の王子、今の皇帝は、自分の生まれを含めて全てを知っていた。
だから、旅の一座として何度か妹のいる北方の国に行っては様子を見ていたのだと。
妹も自分とそっくりの座長に思うところがあったらしく、ある日、助けを求められた。
詳しいことは教えなかったが、自分と彼女が兄妹であることは教え、そのまま一座の者として国を出た。その時にはもう、彼女はエデルをお腹に宿していた。
母親以外で一番最初に赤ん坊だったエデルを抱いたのは、皇帝だった。
エデルと名付けたのも、皇帝だ。
家族に憧れていたという妹の願い通り、彼女が亡くなるまで兄として妹を溺愛した。
その思いは、妹の残した息子にも注がれている。
彼自身は、子供を残す機能を薬によって自ら遮断していた。
子供を残せば、後に厄介なことになるかもしれない、そう思って決断したそうだ。
まさか兄王子が病でそこまで弱っていたなんて、ただの旅の一座の長に分かるはずもなかった。
だからこそ、皇帝はエデルだけが唯一の自分の息子だと言うのだ。
妹の残した彼の息子。
皇帝の唯一の家族。
そして、その絆を奪ったのは彼を捨てた王家だった。
亡くなった兄の代わりに、そっくりな弟をその役目に据えるために、彼の一座を襲い、彼の過去を無かったことにした。
父王に捕らえられた皇帝は、エデルの自由と引き換えに承諾した。
先王にしても、もしまた同じようなことが起こった時、エデルを王家に戻す必要が出てくる可能性を考慮して、それを許した。
エデルの父親が誰かはコーリーには教えてくれなかったが、皇帝は北方の国の人間だとは言っていた。
王宮にいる王子たちは、王家の血を引いてはいるが、直系ではない。
皮肉なことに、王家の直系の血を引く唯一の王子は、市井に残された吟遊詩人だった。
その吟遊詩人が、まさかロードナイトの王に気に入られて彼女の夫になるなんて、誰が予測出来たというのか!
……これ、こっちが悪いの?
今なら分かる。
三つ子の正解は、三人とも残すだった。
そうすれば、第一王子が病がちでも第二王子がいることで安心感もあっただろうし、王女の生んだ子供は二つの王家をより強く繋ぐ存在になれた。
美しく荘厳な結婚式と、幸せそうに頬を赤らめる花婿(女装中の王子)を見ながら、宰相は意識が遠い果ての国まで飛ぼうとしているのを感じていたのだった。
三つ子でした。でもちょー溺愛している息子さんなんですよ。




